壱岐要塞黒崎砲台②観測所
長崎県壱岐市郷ノ浦町新田触870地先
起工:昭和3年(1928年)8月15日
竣工:昭和8年(1933年)2月14日
備砲:45口径40センチ加農砲 2門(連装砲塔1基、巡洋戦艦赤城の一番砲塔を転用/戦艦土佐説あり)
目的:的山大島砲台と協力して壱岐海峡、対馬の竜ノ崎砲台と協力して対馬海峡の安全航行
首線:北西50度(射界180度)
有効射程距離:30,000メートル
猿石
黒崎砲台の観測所は3カ所ある。
(砲台の西南9.5キロの長島、砲台の後方400メートルの山頂、灯台の東北4キロの神達山上)
今回行くのは砲台の後方400メートルの山頂デス。
100メートルくらい先にある観光地「猿石」の駐車場に車を置いて、車道を猿石方面に歩く。猿石を過ぎた頃、左手に「唐人神展望台」行きハイキング道の入り口があるので、これを登れば山頂に観測所(展望台)ある。
道は整備され楽ちんに上がれる。見晴らしサイコー!
88式海岸射撃具観測所
観測所は鉄筋コンクリート造地下構造物で、算定具室、観測具室、指令室・通信室などからなり、観測具室から潜望鏡を出して敵艦を観測する88式電気式算定具を収納した。これは射撃に必要なデータを電気信号にて砲側照準具に送る優れもの。電力に関して大電流を確保できないため、乾電池の微弱電流を用いた。
出典:浄法寺朝美「日本築城史-近代の沿岸築城と要塞」
観測所の上部に装甲掩蓋(鋼製掩蓋)または分厚いコンクリート(鉄筋入り)を被せ、さらに盛り土をして擬装した。
装甲掩蓋(鋼製掩蓋)が現存する
↓
出入口は東屋の反対側にある。
弧を描く導入部、ヲサレ(・∀・)
ケーブル(電線)の絶縁不良、射撃具の結露は日常茶飯事だったようだ。
掩蓋(屋根)がないと、構造がなかなかわかりにくい
退出!
*
弾薬庫を探しに「旧道」の方へGO
旧道に沿って塹壕(交通壕)がはっきりと!
塹壕を追っていくと何本か、地下壕がある
これら地下壕はたぶん素掘り、地下壕が貫通しているかは不明。
旧道をそのまま進むと(下る)と、砲台の貯水槽、弾薬庫付近に出るはず。突然開けて畑が広がる。弾薬庫は場所がいまいちわからなかったし、人もいなかったので行かず。
学研「歴史群像2019年2月No.153号」に弾薬庫の写真が出ていた!
ま、これで満足(^^)/
*
「戦争遺跡に行ってみた。山口県の戦争遺跡」のブログが、散策記や地図などなど大変参考になりました。ありがとうございました。