海軍牧之内飛行場(根室第二飛行場)①

有蓋掩体壕群

北海道根室市牧の内

 

1943年(昭和18年)5月、(アリューシャン列島)アッツ島の戦いで日本軍は玉砕、キスカ島からは軍隊が撤収した。以後、北からの連合軍の侵攻を止めることが急務となる。

 

1943年(昭和18年)年8月23日、北方軍(のちの陸軍第5方面軍)と同年8月に再編された海軍北東方面艦隊との協定により、北海道と千島列島における陸軍と海軍の分担が決まった。根室には陸軍第32警備司令部がおかれた。

 

 

だが千島列島の防衛強化・敵を極力洋上で撃滅する作戦のために、海軍も陸上飛行場が必要となる。戦前からあった飛行場は再整備され、陸海軍は各地に陸上飛行場を建設した。

 

1945年(昭和20年)時点で、根室支庁管内には陸海軍の飛行場が計9ヶ所あった。

陸軍:計根別1ー5(第2と3は偽装、第4は第1の代替)

海軍:中標津(標津第1)、川北(標津第2)、花咲(根室第1)、牧之内(根室第2)

 

*

根室市の北西につくられた海軍の根室第一飛行場(牧之内飛行場)は、本格的な運用が可能の飛行場だった。根室駅で根室港線と分岐させ、引き込み線「根室第二飛行場専用線」を牧之内まで延長させ、厚岸の門静から石材を運ぶ軍用列車を開通させている。※廃線跡は道路に転用されている。

 

コンクリート敷・南北方向1,200m×80m(完成)と、未舗装・東西方向1200m×80m(大半は未完成)。この2本の滑走路は中央で交差している。

 

着工:1943年(昭和18年)9月1日

運用開始:1945年(昭和20年)6月

設備:格納庫を6棟、大型無蓋掩体18基、小型無蓋掩体6基、小型有蓋掩体12基

 

飛行場の主滑走路と誘導路に一部、幾つかの有蓋掩体壕、待避壕などが現存している。滑走路と並行に戦闘指揮所、トーチカもある。だが航空機が運用された記録は無い。

 

なお、根室第一飛行場は北海道根室市桂木‎にあり、根室航空機不時着陸場/花咲不時着陸場/根室ワッタラウス飛行場、とか呼ばれている。

 

 

1935年(昭和10年)に完成、1941年(昭和16年)から拡張工事開始。滑走路は2本でいづれも900メートル前後。崖地に有り滑走路の長さからも戦闘機の飛行場としては不向きだったようだ。

 

 

 

*

海軍根室第二飛行場(牧之内飛行場)

 

1947/10/31のUSA M643-1-7(出典:国土地理院ウェブサイト)

 

戦後、進駐軍が滑走路のコンクリートに爆薬を仕掛けて破壊した(コンクリートを剥がさず)ため、Google Mapでみると滑走路は櫛状になっている。

 

 

 

 

 

主滑走路は漁の網や、季節になると昆布を干すのに利用されている。

 

 

*

有蓋掩体壕は主滑走路の南西に集中している。小型有蓋掩体12基つくられ、うち7基が現存している。

 

 

 

 

 

 

掩体壕は誘導路に面して設置されるが、その誘導路の多くが藪と雑木林でわからなくなってしまっている。さらに大半が牧場地にあるため有刺鉄線などで仕切られ、行く手が阻まれるため探索はあまり出来なかった。

 

 

 

 

進駐軍に爆破されたのか?雪の重みで崩れたのか、壊れた有蓋掩体壕もある。

 

 

 

森の奥に潜む有蓋掩体壕もある。

 

 

 

 

掩体壕、頑張ってつくられたけど、飛行機の配備が無いまま終戦なり(T_T)

 

 

引渡目録

 

②につづく(^^)/