(海軍)牧之内飛行場(根室第二飛行場)②戦闘指揮所壕と牧之内トーチカ
北海道根室市牧の内
海軍牧之内飛行場(根室第二飛行場)の戦闘指揮所は、滑走路の北東側にある。Googleでは誰かが掩体壕とマーキングしているが、実際行ってみると戦闘指揮所壕だった(・∀・)
いちおう引渡目録でも確認(^^)/
とりあえず1周してみる。
戦闘指揮所壕の全景
出入口部分がこんもりしている。
では出入口に木が無い方から入壕してみよう。
出入口は2ヶ所。どちらも長い階段を下りていくと大きな部屋に着く。
この部屋が戦闘指揮所と思われる(いや、戦闘指揮所以外に考えられないッス)。部屋は1つのみ。
階段から部屋までプラ系(ペットボトル等)ゴミで埋め尽くされている。よくもまあ、これだけのゴミを集めて捨てたもんだ。モラル低くね?
反対側の出入り口の明かりがみえる
天井の角材がよく残っている。
天井は板張りだったのかもしれないネ。
ゴミが見た目より深いので、これ以上の探索はやめて戻る。
またこのゴミだらけの階段を上るのかww
脱出ww
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1943年(昭和18年)5月、(アリューシャン列島)アッツ島の戦いで日本軍は玉砕、キスカ島からは軍隊が撤収した。以後、北からの連合軍の侵攻を止めることが急務となる。
1943年(昭和18年)年8月23日、北方軍(のちの陸軍第5方面軍)と同年8月に再編された海軍北東方面艦隊との協定により、北海道と千島列島における陸軍と海軍の分担が決まったが、千島列島の防衛強化・敵を極力洋上で撃滅する作戦のために海軍も陸上飛行場が必要となる。戦前からあった飛行場は再整備され、陸海郡は各地に陸上飛行場を建設した。
1945年(昭和20年)時点で、根室支庁管内には陸海軍の飛行場が計9ヶ所あった。
陸軍:計根別1ー5(第2と3は偽装、第4は第1の代替)
海軍:中標津(標津第1)、川北(標津第2)、花咲(根室第1)、牧之内(根室第2)
根室市の北西につくられた海軍の根室第一飛行場(牧之内飛行場)は、本格的な運用が可能の飛行場だった。根室駅で根室港線と分岐させ、引き込み線「根室第二飛行場専用線」を牧之内まで延長させ、厚岸の門静から石材を運ぶ軍用列車を開通させている。※廃線跡は道路に転用されている。
コンクリート敷・南北方向1,200m×80m(完成)と、未舗装・東西方向1200m×80m(大半は未完成)。この2本の滑走路は中央で交差している。
着工:1943年(昭和18年)9月1日
運用開始:1945年(昭和20年)6月
設備:格納庫を6棟、大型無蓋掩体18基、小型無蓋掩体6基、小型有蓋掩体12基
飛行場の主滑走路と誘導路に一部、幾つかの有蓋掩体壕、待避壕などが現存している。滑走路と並行に戦闘指揮所、トーチカもある。だが航空機が運用された記録は無い。
1947/10/31(昭22) USA M643-1-6 (出典:国土地理院ウェブサイト)
海軍牧之内飛行場(根室第二飛行場)を防衛するためのトーチカは、滑走路の南西約5キロの牧場内にある。
1947/10/31(昭22) USA M643-1-7(出典:国土地理院ウェブサイト)
このトーチカ、牧場の中にあるわ、南は航空自衛隊根室分屯基地があるわ、で、近づくことが出来ない。GoogleMapをみると2基とも現存しているのがわかる。
いつか行ってみたいw