宿命というのは実に嫌な言葉だ。
二重の意味で人間を実に侮辱している。
一つには状況を分析させる思考を停止させ、
一つには人間の自由意志を価値の低いものにみなしてしまう。
宿命なんてないんだ。
どんな状況でも、それは当の本人が選択したことだ。
ヤン・ウェンリー

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おはようございます^^
吉田です。


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ありがとうございます^^


先月末に締め切った特別なオンライン講座
「バリューデザイン」第9期にも
たくさんの方にご受講申し込みいただき
ありがとうございますm(__)m
https://www.nlp-breakstate.net/kokoro_shinayaka/


私たちは自分のことを自分で
よくわかっているようで、
意外と自分のことがわかっていません。


どんな思考癖を持っているのか?


どんな行動(反応)癖を持っているのか?


それが現実世界にどのような影響を
どれくらい与えているのか?


そもそもなぜそんな癖を持っているのか?


自身の内面を「愛着」や「ライフスタイル」の
観点から丁寧に紐解きながら、
ありたい自分をデザインするための
特別なオンライン講座です。


次回の募集は12月から開始する予定です。



では本題です。


前回はわたしたちが抱える「悩み」について、
構造的な視点から考えてみました。



まず大前提として、
悩みについて考える際には

「言葉の前提」

「考え方の前提」

に十分に気をつける必要がある
ということを何回かに分けてお話ししました。



私たちが考える際には「言葉」を
使わないわけにはいきません。


そこで、どんな言葉を使うのかについては、
意識して注意を払うことが多いかと思うのですが、
そもそも

「その言葉にどんな意味があるのか?」

「どんな意味でその言葉を使っているのか?」

ここを意識しないケースは少なくありません。



同じように「考え方」にも、
どんな前提(信念・価値観)が隠れているかに
十分に注意しないと、意図しない方向に
考えが進んでいることに気づけませんね^^;;



そして、悩みは連鎖的に別な悩みを
生み出していく特性があるため、

「そもそも論」

で、悩み自体に問いを投げかけ、
どんどん悩みを細分化して整理していくことで
悩みは解決に向かいやすいというお話をしました。



今回はまた違う切り口から

「考えること」

について掘り下げてみたいと思います。




わたしたちは大なり小なり、
いい意味でも悪い意味でも

「親の価値観(思想)」

を刷り込まれています。


・料理の味つけ

・服装や髪型の好み

・音楽の好み

・夫婦(家族)の関係性

・進路やキャリア

・お付き合いする相手


もっと言えば、

・体を洗う順番

・歯を磨く順番

・政治観、宗教観、道徳観

などなど、自覚しないまま
あたかも呼吸するかのように
体に染みついていたりします。


親から影響を受けた価値観(思想)の中には、
自分にとって役立つものもたくさんあると思います。


自分に役立つものは、
そのまま自分の中に取り込んでおけばいいでしょう。



悩みにつながりやすいのは、次の

「自分にとってまったく役だたたないばかりか、
 実は害を及ぼしているのに、
 それに気づいていない価値観(思想)」


「自分にとって害になっているのに、
 むしろ良いことだと思い込んでいる価値観(思想)」

です。



そもそも、自分がそうした価値観(思想)を
持っていること自体に気づいていないので、
新しい「思想」で上書きすることも難しいわけです。



だからこそ、考える際の「前提」となっている
信念・価値観を「そもそも論」で疑っていくことが
かなり有効になるわけです。



さて、ここまで価値観について、
あえてかっこ書きで

「思想」

と表記していることに
気づいたかたもいるかもしれません。



個人的には「信じている」という意味で、

「宗教」

と表記してもいいかなとも思ったのですが、
さすがに色々な誤解を生みやすいと思ったので

「思想」

にしてみました^^



なぜあえて「思想」と書いたのかというと、


「信念・価値観ってほぼ反射的(自動的)に
 反応してしまって【考えるプロセスを
 飛ばしていることに無自覚】なことが多いから」


です。



もう少し露骨に表現すれば、

「考えているつもりで、
 実は考えていないことに無自覚」

ということです。



「いや、そんなことはない!
 ちゃんと考えてますよ!」


と批判を受けるかもですが、
そういうことが実際に起きている現実を
たくさん見てきました。


それくらい価値観(思想)は
私たちの「考える」というプロセスに
深く関与してます。



さて、「思想」を辞書でひいてみると、


1、心に思い浮かべること。
考えること。考え。
(例)「新しい─が浮かぶ」


2、人生や社会についての一つのまとまった考え・意見。
特に、政治的、社会的な見解をいうことが多い。
(例)「反体制─を弾圧する」「危険─」


3、哲学で、考えることによって得られた、
体系的にまとまっている意識の内容。


とあります。



辞書の1では、

「心に思い浮かべる」「考える」

とあるのですが、刷り込まれた価値観(思想)は、

「考える前提」

になっているので、
自分では考えているつもりで、
実は価値観(思想)に歪められた考え方を
してしまっているわけです。



朝からかなり悩ましい話をしているのですが、
これは伝わってますでしょうか?



では次に辞書の3番目の意味を
改めてチェックしてみてください。



「哲学で、考えることによって得られた、
 体系的にまとまっている意識の内容」

とあります。



でも、実際には考えているつもりで、
最初から答えが決まっている
みたいなことが起きていたりするんです。



だから悩ましい現実が解消しないばかりか
悩ましい現実を繰り返してしまうわけです。



ちょっとややこしい話になってきたかもですが、
一旦整理すると、


「価値観(思想)=考えた結果まとまった考え方。自分なりの答え


「哲学=あるテーマについて自ら深く考えること」


ということで、悩みを抱えた場合には

「哲学すること」

が求められているということ。



ですが、わたしたちは哲学ではなく

「親の価値観(思想)を前提に考える」

ことをしてしまっているから、
悩みが解消しないということです^^



ここまで僕的には相当価値ある内容を
お話ししているつもりなのですが
うまく伝わっているでしょうか?




「自分で考える(哲学)なんて当然のことだろ!」

「いつだって自分で考えているよ!」

と思うかもですが、

「親の価値観(思想)に縛られているうちは、
 自分で考えているつもりという錯覚をしている」

ということなんです^^;;




これは「親の価値観(思想)」に
限ったことではありませんが、
わたしたちは誰か他人の価値観(思想)をベースにして、
そこに自分なりに思ったことを付け加えることを

「考える」

と思い込んでいたりします。



こうしたことに無自覚な状態を
言い換えるなら

「他人軸」

と言います。




もちろんこれは

「楽してエネルギーの消耗を減らす」

という私たちの脳の特性上、
ある意味しょうがないことなのです。



ですが、
こと悩みや問題を考えるという局面においては、
こうした特性を把握したうえで考えないと、
考えているつもりで考えがまるで深まらないという
残念なことに時間やエネルギーを消耗する
ことになってしまうのです>_<



では

「哲学=あるテーマについて自ら深く考えること」

と、価値観を前提にした

「考える」

とは具体的になにがどう違うのでしょうか?



それについては次回に続きます。