触れることの化学 読書メモ | 鍼灸師 Shuhei Higashi 鍼灸師のブログ

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鍼灸師 鍼灸の勉強、言葉、英語学習など備忘録的に使用予定です。

 英語や日本語、様々な言語において感情と触覚は結びついている。例えば英語で「感動した」という場合”I’m touched”と表現し、また感情のことを”Feelings”(触感)という。日本語でも感動を「琴線に触れる」と表したり、他者を激怒させたときに「~の逆鱗に触れる」と感情を触覚を用いて表現する。

 乳児の成長においても触覚を用いた接触は成長に影響を及ぼす。1980年代のルーマニアの児童保護施設は人手不足のために子供たちとスキンシップが著しく低下することによる気分や認知や自己コントロールの障害がみられ成人後も続くことがあった。しかし、ごく幼い段階で1日1時間だけ子供に触れ、手足を動かすということによってこの恐ろしい運命を避けることが出来た。人間はほかの動物に比べ子供の時期が長く5年たっても自力で生きられない生物はほかにない。その時期に他人と触れ合わず愛情を伴った接触を欠いたまま成長すると、やはり重大な結果を招く。

  

 この本は触れ合いが大切でよい事だというだけでなく、皮膚から神経、脳へと至る触覚の回路が複雑で奇妙な結果をもたらすシステムであり、それが私たちの生活に決定的な影響を及ぼしているということを書いた本である。例えば唐辛子に触ると熱いと感じ、ミントに触ると冷たく感じる。愛する人に触られたときに甘く静かな2人の時間と激しい喧嘩の最中とでは全く違う感覚であるというようなことである。

 

痛みと感情

 パキスタンである少年が友人を驚かせようと自宅の屋根から飛び降りた。着地し少年は「大丈夫だ」と笑ったが、翌日大量出血で亡くなった。この少年は生まれた時から痛覚がなく、痛みを感じることがなかった。しかし、ほかの感覚は正常でハンマーで手を叩くとハンマーの圧力は感じるが痛みだけ感じないという。彼らは痛みを経験したことはないが他者の痛みに共感したり、感情の痛みは感じることが出来た。

 痛みは忌み嫌うものとして考えがちだが、痛みというのは組織にダメージを与えるような刺激に対しての反応として生じ、それを回避するように行動が修正されていく。例えば、靴擦れをした時に歩き方を無意識に変えたり靴を交換して刺激を回避しようとする。もし痛みを感じなければそのままの靴で生活し、傷口からの感染が起こり得る。

 人間関係で起こる感情が傷つく経験と体が痛みを感じる時は脳の感情的な痛み回路の同じ領域を活性化させる。詩的表現で見られる心の痛みと体の痛みとは脳内では同じであり、身を引き裂かれるような気持の時には、実際に身を引き裂かれた時と同じ脳の領域が活性化されるのである。

 

心と肌のふれあい

 恋人と手を繋いでデートしている。他愛もなく甘い時間を過ごすときに小さな食い違いからさざ波が立つ。しかし数分後にはそれは収まり元の甘い時間になる。この時繋いでいた手は常に同じ甘く親密感に溢れた感覚だろうか?

 皮膚と脳の間には単に感覚神経だけがあるのではなく、自律神経が存在し脳が皮膚の性質を実際に変えることがある。汗の分泌や局所的な血流や体毛の逆立ちを変える(同時に呼吸や心拍なども)。これらによって自身の感覚だけでなく相手の感覚のセンサーをも変える。相手の反応を知覚し、それによって自身の感情もまた変わるのである。こうした愛の触れ合いは、肌と心による二重の対話であり、一人の反応がもう一人へと反響しさらに大きな響きあいとなるのである。