ゴウブログ

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シンガポールでがんばってます。

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突然ですが、僕は、斎藤一人氏の「未来は変えられないけど、過去は変えられる」という言葉が好きです。


普通は、「過去は変えられないけど未来は変えられる」と言われるけど、これは表現的には真逆のことを言っています。


でも、言ってることは同じで、どちらも、未来を変えよう、ということ。


ただ、後者は過去を受け入れ/諦めて未来に希望を持つ印象を持つけど、前者は過去を自分にとって良い解釈として未来を向くような印象を持つ。


過去を美化するわけじゃない。過去を見つめ直し、過去から学び、未来のために過去を使う。未来を変えるのは今の自分であって、今の自分を変えるためにも、過去の経験を異なる視点で見る。


過去が変われば、未来が変わる。過去が、未来を決める。



未来は変えられないけど、過去は変えられる。この言葉は考えれば考えるほど面白い。
今朝は予防接種に行ってきました。

シンガポールは進んでいるとは言え、赤道に近い東南アジアということもあり、予防接種をしておかないとやはり心配です。小さいお子さんがいるご家庭ならなおさらです。デング熱や食中毒はなかなか防げませんけどね。というか、いちいち蚊や食事を気にしてるほうが病気になりそうです。

今日接種したのは:
 ・インフルエンザ
 ・A型&B型肝炎
 ・狂犬病
の3つ。

インフルの予防接種は小さな子どもを持つ親の義務だと考えていますが、貝類から感染することが多いA型肝炎のシンガポールでの発生率は日本の5~10倍、B型肝炎は日本の7~8倍だそうで、この暑さもあるので、受けることにしました。また、東南アジア内での移動が多くなることを想定しているので、狂犬病の予防接種もしておきました。


病院は、近所にあるNovena Medical Center内、日本プレミアムクリニック。

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日本語の通じる医師もいるので安心、受付も日本人がいます。

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日本語で大丈夫だろうと安心しきって病院に来ると、あらまビックリ日本人の方が電話対応しています。ヤベェなぁと思っていたら、想像通り外国人の方が「グッモーニーン♪」と来るわけです。

英語の準備をしていなかったので、

Hi, I have an appointment for... for... ゲ!『予防接種』って何だっけ?・・・というプチ混乱を起こすことになるのですが、イ、イミュニゼーション?という昔聞いたことがあったような単語を言うと、「For What?」と言われ、ゲゲ!『肝炎』って何だっけ?となるのですが、なんとなく、アー ヘパ、ヘパ、ヘパ・・・と単語出てこいやあ!と念じてたら、「A or B?」となり、おっしゃ通じた!と「Both!」と言うと、「オーケー♪」と、通じました通じました。良かった良かった。ホッとしました。汗かいたけど(笑)病院に行く前は予習ですね。やはり。


さて、実は今日の予定は肝炎の予防接種のみだったのですが(予防接種は1回打つと他のを打つのに最低1週間あけないといけないので)、医師の方がインフルと狂犬病も同時に打てるよと仰るので、せっかくなので今日は3本いくことにしました。

で、医師の方が「肝炎が一番痛くて、インフルが次で、狂犬病はその次。どれから行く?」と仰ったのですが、医師も助手も女性ということで、もちろん「そりゃ痛いほうからでしょ(キリッ」となるわけなんですが、肝炎の注射はけっこう痛かったです(笑)


ここで面白いことがひとつ。

常夏のシンガポールにももちろん冬はあり、インフルエンザが流行することもあるのですが、ここの病院では10月から12月の間は、平日であればインフルの予防接種料金25ドルが10ドルになるというキャンペーンを行っていました。他の病院でもやっているそうです。ということで予約は殺到していて11月末までの平日はいっぱいらしいのですが、それってすごく面白いなと思いました。合理的で。

病院からすると、インフルが流行すると患者であふれることになり、病床も限りがある。通常の診療にも影響が出る。そうならないためにという病院側の想いと、インフルにかかることは避けたいという消費者の想いが見事に合致してる。とてもうまいなと思いました。(週末もやって欲しいけど 笑)


接種も無事終わり、最後は会計です。会計デスクに呼ばれ、金額を見るとビックリ。なんと600ドル強。おったまげましたよ、ハイ。50ドルくらいを想像していましたから。でももう打ってしまってるので、文句は言わずVISAカードを平静を保ち(ったフリし)ながら渡し、明細を見てみると、
 ・インフル=25ドル
 ・肝炎  =89ドル
 ・狂犬病 =444ドル
とある。

ちょ、ちょっと待て、狂犬病444ドルってなんすか!と口から出そうになった瞬間を待ってたかのように、受付の方から「狂犬病は3回分です。最初に全額払わなければいけません。」と言われ、あぁそうですかそうですか、と納得(笑)

そんなこんなで、予防接種第1回目は終了。インフルエンザは1回でOKですが、肝炎と狂犬病は合計3回が必要で、次は1週間後の狂犬病2回目、その次は1ケ月後の肝炎2回目と続きます。

さて、プールでも行ってこよっと。
さて、シンガポールに来て1ケ月が経ちましたので、オフィスのご紹介を。

の前に、シンガポールのご紹介を少し。

とか言いながら、シンガポールの概要はWikiPediaをどうぞ(笑)


シンガポールと言ったら、まず頭に浮かぶのはマリーナベイサンズかなと思います。某キャリアが某タレントを使ってTVCFをドカンと打って、なんですかこのド派手な建物は!?とみんなが思ったヤツですね。

これです。

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そうなんです。やはりデカイんです。
近くに寄ってみると、

$ゴウブログ-サンズ2

ええ、デカイんです。
真下に来てみると、なんじゃこりゃレベル。

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夜は夜で、これがまたキレイなんですよ。

$ゴウブログ-サンズ夜

ビール飲みたくなりますね。

でもって有名な屋上プールはこんな感じです。

ゴウブログ-サンズプール

どうしてこんなところに「よし!プールをつくろう!」という思考に行き着いたのかはどこかの精神学者にお任せするとして、我々はこういう非日常的な空間をエンジョイするほうがマシです。

ついでにマーライオン様の写真も。マーライオン様がプールに注水しています。

$ゴウブログ-マーライオン様


さてと、シンガポールのビジネス街はこんな感じです。

$ゴウブログ-街並み1

なんかキレイですよね。青いビルって。と言いますか、出る杭は打たれるのかは知りませんが、ここまでニョキニョキと出てくれるともうどうでも良い感もします。ハイ。

$ゴウブログ-街並み2

それにしても、ガラス張りのビルがほとんどなのですが、ただでさえ日差しの強いシンガポールがまるで鏡の部屋のようにあらゆるところから日差しが入ってくるので、さすがにお肌の手入れを考えてしまいそうです。


そのシンガポール、とにかく緑が多いんです。ビル群の中でも街路樹や芝生のスペースも多くあるので、とても気持ちいいです。

$ゴウブログ-緑1

でも、さすが赤道付近に位置するだけあって、たまにビックリするような街路樹もあります。
例えばこういうの。

$ゴウブログ-緑2

こういうのなんて、オイ!ラピュタかよ!と突っ込みたくなります。

$ゴウブログ-緑3


ちなみに、街中にはビルや緑だけでなく、ヘンなものもあります。

こういうのとか、

$ゴウブログ-へんなの1

こういうのとか、

$ゴウブログ-へんなの2

こういうのとか。

$ゴウブログ-へんなの3

全く意味や意図が分かりません(泣)


さて、前置きが(超)長くなりましたが、オフィスに近づいてきました。
オフィスはビジネス街の中心にあり、周りはこんな感じです。

$ゴウブログ-オフィス外1

反対側も。

$ゴウブログ-オフィス外2

オフィスはCROSS COOP(クロスコープ)というインキュベーションオフィス内にあります。シンガポールで展開している日本企業さんが多く入っていますが、そこのフリースペースを使っています。

こんな感じです。

$ゴウブログ-デスク1

でもって、仕事してる時はこんな感じです。

$ゴウブログ-デスク2


今はまだ小さくてホコリのような存在ですが、シッカリと誇りを持ち、ここから大きく羽ばたいていきたいと思います。

今日はこのへんで。

昨日、ヘイズ(Haze)というものをはじめて知りました。


ヘイズとは、インドネシアの焼畑農業や森林火災が原因の煙害で煙がモンスーンに乗りシンガポールまでやってくるというもの。焼畑は7月ごろから盛んになるようで、9・10月の汚染が酷いようです。

このヘイズ君というものは、大人は大丈夫なんだけど(呼吸器系が弱い、またはアレルギーを持っている大人は気を付けて)、子ども、特に幼児は気を付けたほうが良いということで、基準値を超えている時は外で遊ばせないよう、アパートのご近所さんも気を付けているらしいです。

また、ヘイズ君は大気汚染なので、酷いときは外出を控えるだけでなく、窓を開けて空気を入れ替えちゃいけないし、ベランダに洗濯物を干すこともできません。というか、クーラー付けたら外気が入ってくるんですけどね(汗)


シンガポール環境庁のサイトにヘイズ君の情報がありました。
http://app2.nea.gov.sg/psi.aspx

7時~19時までの毎時間のPSI(指数)が公表されていて、大丈夫か危険かを判断できるようになっています。うーん、このサイトは要チェックや。

基準はこちら↓


0 - 50 Good (大丈夫)
51 - 100 Moderate (むむむ)
101 - 200 Unhealthy (健康に悪いよ)
201 - 300 Very unhealthy(健康にかなり悪いよ!)
Above 300 Hazardous (危険!)


ということで、小さい子どもをお持ちの家庭はこの数値をちゃんと見ないといけませんね。旅行中の方も見たほうがいいかも。


それにしても、以前から焼畑農業自体は知っていたけど、正直、害があるとは思っていなかった。もちろん過敏になりすぎることは無意味だと思うので、こういう数値は参考にしつつ生活していきたいと思います。


シンガポール、まだまだ知らないことが多いですね。


シンガポールに来て早1ケ月。

ブログを書かなきゃ書かなきゃと思いながら書いてなくてスミマセン。


今日はオフィス近くにあるラオパサというホーカーセンター(屋台)でランチしてきましたのでそのネタを。


ホーカーに来るのは今日が初めてなのですが、実は僕、ホーカーは人でごった返していて衛生面も良くなく、味も・・・という勝手な偏見を持っていて、なんとなく苦手意識があったんですね。はい。すみません。

でもなんだか今日は無性にうどんが食べたくなり、そういえばシンガポールに住んでいる方がラオパサのうどんが美味いと言っていたな、ということで、いざラオパサへ。


外観はこんな感じです。オフィスビルに囲まれて異様な雰囲気(笑)

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中を覗くとこんな感じ。ドキドキします。

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でもって、中に足を踏み入れてみると、意外や意外、キレイじゃないですか。人々の楽しそうな会話がいたるところで行われていて、なんか楽しそうじゃないですかワクワクするじゃないですか。

お店も多い。東南アジア料理だけでなく和洋中、韓国やインドもある。僕が苦手にしていたチャイナタウンにありがちな独特なにおいもない。食事をしているのは(場所がら)スーツを着たビジネスパーソンが多いけど、女性もすごく多い。なるほどこれがホーカーか。


今日は時間がないのでお店を一軒一軒見ずにうどん屋に照準を合わせて徘徊し、みつけましたうどん屋さん。マルサヤうどんさん。

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メニューに日本語が書いてあるのでもしかすると日本人もよく来るのかもしれませんが、とりあえず王道のわかめうどんで。わかめうどんラージサイズプリーズ。ろっつおぶネギ。


トッピングに温泉卵とエビ天とオクラ天を加えて、はい来ました。

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うん、普通。


普通ですね。そりゃそうだ。見た目がうどんじゃなかったら何なんだよ?と自問自答しながら食してみると・・・


おお!普通にうまい!駅の立ち食いうどんのように、うまい!(←褒めてるよ、いちおう)


うーむ。なるほどこれがホーカーか。これがそのうどんか。なるほどうまい。


わかめうどん大盛りにトッピング3つで12シンガポールドル(約700円)は費用対効果が良い。麺好きな僕にとって、ナイスな場所を見つけました。


でも今度は他のお店でも食事してみよう。発見があるかも。


今日行ったラオパサの情報はこちらを参考ください。
http://www.asiax.biz/life/kira/171k.html
僕は「圖南(となん)」という表現が好きです。

荘子の逍遥遊に記述されているこの言葉は、鵬(おおとり)が南に向かって飛び立とうとしている状況をもとに遠くの地で大活躍する、もしくはそれを目論むことを表現していますが、小学生の頃この漢字に出会った時にビビっと来て、それ以降大切な友達が引越すときや大切な同僚が退社するときなど、大切な人の将来を想い、事あるごとにこの言葉を贈ってきました。



僕は今、この言葉を人生ではじめて、自分のために考えています。



来月、僕は妻と子供2人を連れてシンガポールに移ります。

僕は現在、クリスクというマーケティングコンサルティング会社にいますが、弊社のアジア展開を加速させるべく、クリスク・シンガポールを立ち上げ、その代表として移ります。

もちろん自分自身に圖南という表現を用いるのは馬鹿げているのですが、なんかこう、自分を鼓舞するというか、自律するというか。



僕が広告・マーケティング業界に足を踏み入れたのは10数年前。最初は媒体社で営業や企画・マーケティングを、その後は2社の事業会社でマーコムを学ばせていただきました。広告を売る仕事や広告を買う仕事を通じ、いろんなことを学びました。広告の反響を高めるための施策もいろいろ学びました。広告に囚われない施策もいろいろと考えてきました。ヘンなこともいろいろと企んできました。マーケティングコミュニケーションの世界をもっと知りたくて、いろいろやってきました。


シンガポールに移るのは、シンガポール国内企業と共にアジア展開をする企業を支援する目的がありますが、急速に発展・変化するアジアのハブに身を置くことで世界を俯瞰する目的もあります。世界が急速に変化するのであれば、その変化の中心に自分の身を置きたいから。


僕が得意とするのはデジタル領域ですが、デジタルに国境はありません。日本企業が日本だけをターゲットにする時代は終わったような気もしています。インターネットが生まれいろいろ変わりましたが、環境の変化に先手対応してこそマーケティングだと思いますので、そういう環境の中で、自分の価値をだしていければいいなと考えています。

とりあえず、アジアのマーケティング情報を集めたFacebookページを作りました。
シンガポールに行ってからも継続して最先端のマーケティング情報を収集していくつもりです。
https://www.facebook.com/ApacMarketingEye


できること、できないこと、得意なこと、不得意なことを理解し、日々皆さまのご意見を聞きながら新天地でも精進してまいります。

圖南の志を持ち。

引き続きご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします!


新しいアイデアが浮かぶ瞬間ってどういうときだろう?・・・ではなく、新しいアイデアはどこから生まれるんだろう?・・・ということを考えてみた。


というか、みんなが思いつかないようなことを自分だけが思いつくといいなあというムシの良いことを考えてたりするんだけど。


みんなが考え付くのは、きっと、みんなが同じようなことを考えてるからなんだろね。ということは、自分だけが思いつくアイデアというのは、みんなが考えていないことを考えなきゃいけないんだろうな。


みんなが考えないものというと、①常識を果てしなく逸脱したもの ②みんなが考えるのをやめた常識 かなあと思ったんだけど、結局①も②も難しいんだよね。実際自分が考えるとしたら。


でもさ、誰かが②から新しいアイデアを出したら、なんか悔しいよね。「なんでそこ思いつかなかったんだよ!俺のバカバカバカ!」という感じで。


常識は常識で良いと思うんだけど、Webが生まれて私たちの生活は一変しました、社会がパラダイムシフトを起こしてますとか言うくせに自分の身近にある常識は常識として変えようとしないんだよね。いや僕も含めて。


なんとなく、そんな「変わるはずのない常識」の中にアイデアが眠っているような気がする。



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大多数の人は非常識に成功するより常識的な失敗を選ぶ
by ケインズ

常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
by アインシュタイン

世間において常識とみなされていることに対して、疑問を呈する勇気を忘れてはならない。健全な猜疑心こそ、ものごとの裏に潜む本質を見極める近道である
by ロバート・ルービン
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常識、を常に意識してみよっと得意げ

たまには書評のようなものを書いてみますか。

「アトリビューション」読了。

著者であるアタラ社の3名はGoogleやoverture(現Yahoo!サーチ)の日本導入を指揮したいわゆる仕組みを創った人たち。Fring81の田中さんも同様に仕組みを創ってきた人。そういう創った人たちによる、創ったものを有効に使うための教科書なので、書かれてあることが役に立たないわけがありません(笑)

僕は正直、この考え方は以前から持っていたので特別新しい収穫はないものの、この考え方を理解していない広告会社、特にネット系の方々がいたら必ず読むべき本だと思います。CPCやCPAだけを見ている時代なんて数年前に崩壊しているし、理解していなければ広告主と会話もできないし。噛み合わなさ過ぎて。

高広さんの「次世代コミュニケーションプランニング」に何かヒントを掴みかけている人がいたら、この本を読むことで点在するヒントが繋がりはじめ、より具体的なWeb展開が描けると思います。両方おすすめです。

この10年くらいの間、テクノロジーが進化してきて様々なWeb広告手法(技法)が生まれました。LPOやEFO、RTBなんかによってよりコンバージョンへの近道探求に焦点が当たりつつ、同時にいろんなソーシャルメディアやゲームを消費者が使うようになってきたもんだからアドネットワークの在庫(=広告の露出量)もなんかスゴイことになり、その巨大な在庫を武器に「数打ちゃ当たる」的な展開も流行ってきました。広告はラブレターだと言いながら使ってるのは散弾銃かよオイという感じですが。そしてユーザーが一回でも広告に触れようもんならすかさずCookieくっ付けて行動ターゲティング。ラブレター握りしめてストーキングかよ、と。

もちろんそれらを個別に否定するつもりはありません。というか、それらは素晴らしい技術だと考えていますし、今後も使いたいですハイ。(Cookieは法的に議論がありますけど)

言いたいのは、それらを縦割りで見ても仕方ないことで、きちんと横串を指しながら全体をポートフォリオとして見ていかないとダメだということ。それを考えるにあたってこの本の内容は最低でも理解しておかなければいけないんだと思います。

使い方を広告主側(広告会社・媒体社を含む)が理解しておかないと結局は消費者には届かないし、そもそも受け入れられてもらえないし、イナゴの大群のようにこの畑を食い散らかしたら今度はあっちの畑だこっちの畑だという感じになってしまってもう何がなんだか分からん状態になってしまいますので、ぜひご理解いただきたいポイントだと思います。

最近、インバウンドマーケティングなるバズワードが出てました。大枠の考え方は賛同するのですが、たまに「バナーは効果ないからPPCで行きましょう。選択と集中、それがインバウンド♡」という感じのことを言ってる人がいるので、そういう人たちはコンテクストやアトリビューションを一度真剣に考えてみるといいのになぁと遠い目で見てたりします。皆さんも騙されないように。時代に逆行しますゆえ(笑)

ツラツラと書いていたらかなり長くなってしまいましたのでそろそろやめますが、あらためて、アタラの皆さん、Fringe81の田中さん、巻末に出ている方々(知り合い多すぎ 笑)、帯と序章を担当された高広さん、とても良い本だと思います。このような本が業界の地力を高め、発展に繋がり、その結果社会を豊かにするのだと思います。

あ、そだ。念のためですが、別にステルスマーケとかではないですからね。ちゃんと買いましたよ(笑)

アトリビューション 広告効果の考え方を根底から覆す新手法/田中 弦

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次世代コミュニケーションプランニング/高広 伯彦

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僕は、「普通にある」ということをもっと大切にしたい。


数日前、お弁当を全部平らげた4歳の娘に「偉いね!」と言うと、娘は「お弁当は全部食べなきゃいけないんだよ!残しちゃいけないんだよ!」と誇らしげに言ってくれた。それを聞き、母親や幼稚園はちゃんと教えてくれてるんだなと嬉しかったと同時に、娘の口からそのようなことが出たことに実はビックリした。


僕は、僕が子どもの頃、両親から「食べ物が目の前にあることを幸せに思いなさい。誰かが育て、誰かが料理をし、誰かがあなたの前に出してくれた。それって幸せなことじゃない?」と言われ、それでも残そうとする僕に対し、「あなたの前にある食べ物はアフリカの子供たちにとって何より欲しいもので、おなかを空かせたその子どもたちが食事を残すあなたを見たらどう思うだろうね?」とよーく言われた。そういうこともあり、僕はご飯は残さない大人になった。米粒ひとつ。


普通にある感覚、というのは人間を惑わせるんだと思う。


食べ物をとってみても、今の世の中、コンビニに行けばいつでも何かあるし、安い早い美味いの牛丼屋もある。僕らはいつしか、食べ物は普通にあるものだと考えるようになったのかもしれない。


携帯電話が生まれ、いろんなことが「普通」になった。いつでも話せるし、いつでも誰でも捕まる。それが普通になったことで、約束に遅刻することへの抵抗感がなくなったのかもしれないし、緊急時もすぐ連絡が取れるので緊急に対する意識が希薄になってるかもしれない。


インターネットやITが浸透し、様々な情報にアクセスできることが「普通」になり、情報の生産者(?)に対する意識が低くなってきたような気がするし、漢字もすぐ変換してくれるもんだから漢字がかけなくなってしまった(←僕)


携帯デバイスにはWebが標準装備され、街中では無料Wi-Fiや電源を提供するカフェなんかも多くなってきた今、それが「普通」になり、それ自体の価値を感じなくなってきてるかもしれない。


デジタルネイティブってすごいと思うし羨ましいんだけど、生きているその「普通」な環境は、多くの先人達の苦悩や挑戦、失敗や挫折があって出来上がったことを知ってるのは少ないんだろうな、と最近感じる場面に出会うことが多い。もちろんそれは別に若者のせいではないし、批判する気も毛頭ないし、きっと歴史は繰り返す的なことなんだろうなと思う一方で、そういうことを理解できる人間はきっと強く大きく成長するんだろうな、と思ったりもする。


普通にあるのは、誰かが普通にしてくれたから。


「渋谷で待ち合わせ」とか言うもんだったら「渋谷のどこ?」「ハチコーあたり」「ハチコーの前?うしろ?」とかいう会話も今では皆無だし、恋愛ドラマで主人公のカップルが待ち合わせ場所の建物の両極でまさかの擦れ違いなんていうドキドキワクワク演出も今では出来ないし、ビビりながら彼女の家に電話をしたら「ハイモシモシ?」と父親が出てしまい、思わず受話器を置いてしまって「あ”~~!!!」と後悔してしまうことも今では皆無だし、英語の辞書で分からない単語を引いたらその前後の単語を覚えてしまって肝心な単語は忘れてしまうなんてことも今では皆無。


別に昔に戻りたいなんてことを言っているわけではなく、何でも良いのですが、今「普通」にあるものをじっくりと観察し背景なんかを想像してみることが、いろんなものが普通に溢れている世の中だからこそ大切なんだと思います。し、僕はその普通にあることにあらためて感謝し、これからも大切にしたい、そんなことを感じています。


商品のコモディティ化というのはそれだけでもスゴイことだし、文化として根付かせるというのはスゴイこと。普通になってしまったらその価値が薄れていくのは仕方ないのかもしれない。ただ僕は、『普通に存在すること自体が特別なことである』という感覚はこれからもずっと持ち続けたいと思う。


近所の公園に普通にある飲料水。普通に使える電気。普通に明るい光。普通に繋がるインターネット。普通にある空気。普通にいる友人。普通にいる妻、そして家族。


「もったいない」という言葉は、普通に存在するモノにこそ当てはまるんじゃないかな。


えっと、なんと8か月ぶりのエントリになってしまってもはや恐縮することすら恐縮してしまうレベルで大変恐縮なのですが、更新を楽しみにしてくれていた皆さん、お久しぶりです。更新を楽しみにしてなかった皆さん、すいません。このブログの存在を忘れてしまっていた皆さんもしくははじめてこのブログを読んだ皆さん、こんにちは。



僕は何かを深く考える(考えた)ときにブログが頭をよぎるのですが、今日は「勘」に関する簡単な考えを残したいと思います。の前に、まず前提としてこの「勘」を直観という本能的な反応というわけではなく直感といいますか感覚的で「俺の勘SUGEE!」的なものとさせてください。



さて、この勘については別に今日はじめて考えたわけではなく、今までも考えてきたことではあります。勘ってなんだろう?勘ってすごいの?エライの?とか。最近Twitterなどでいろいろ目にするヘンテコなことからもいろいろと考えていました。そんな中、今日読んだ本によって僕の考えがかなりまとまったので、忘れないうちに残しておきたいと思った次第です。



結論としてはこれです。



「勘をバカにするな」



僕は今まで、多くの「勘」に関することを耳にしてきました。「信じられるのは自分の勘だ」とか「理屈よりも直感を大切にしよう」とか。はい、そうですよね。皆さんも聞いたことがあるのではないでしょうか。しかし、これは僕だけかもしれませんが、そのようなことをいう方は大抵何かを極めたもしくは第一線で活躍されている方です。いや、そのようなことを言える方、という表現のほうがいいかもしれません。



ただ、僕のような庶民は、成功者からそういうカッチョイイ言葉を聞くと、なんとなく感覚的に「なんだ、勘でいいんだ。今まで理屈っぽく考えてたけど感覚でいいんじゃないか。だって○○さんが言ってるんだし!」なんて思ってしまってなんだかワクワクしてきちゃったりするんだけど、僕はずっとそこに何か引っかかるものを持っていたわけです。で、今日ある本を読んでその引っかかりが外れた感覚がしたのです。



オイこのステルス野郎!とか言われるのがめんどくさいし、私は基本的にはステマなんてどっか逝ってくれと思っているタイプなのでその本の名前も詳細も書きませんが、それはある世界的に有名な日本人の半生が書かれた本で、その方が10代~20代のころにやっていたことなどが詳しく書かれてありました。とても厳しい業界の中でのし上がっていく様が描かれている、まあいわゆるサクセスストーリーなわけですが、その中身がすごい。



まず、10代後半から寝る間を惜しんで研究に励むことで得てきたインプットの量が半端ない。削った睡眠時間で習得した外国語は2つ、その道の過去事例を全て頭に叩き込む努力、アイデアを全てノートに書き込み積み上がっていくノートの山。事業失敗や詐欺によって莫大な借金を背負わされた両親を助けるために仕送りをしつつ、自身の成長のために無給でいくつかの企業を手伝う気力&体力。



次に20代前半、先輩やボスからのいじめに遭いながらも果敢に何度も何度も立ち向かい、積み重ねてきた知見によって徐々に論破していく。同時にその道に対して真摯に向き合う姿勢(道具を大事にする、できるまでやる、など)が周りの共感を呼び、年齢に関わらず味方が増えていく。気になる情報があれば、夜行列車に飛び乗り自らの目で確かめにいく行動力が様々な人間を巻き込んでいく。両親に送っていた仕送りが博打に消えていた事実を知り愕然とするものの、その行動はスローダウンすることなく逆に加速していく。



そして20代後半、彼は結婚して子どもを授かった直後に海外からオファーをもらう。海外から認められた彼は家族を引き連れ海を渡るのですが、背水の陣として、遺書を残して旅立つ。



もうこれ以上の説明はいらないですね。そんな彼も、「直感を信じよう」と言うんです。



「直感」って何でしょうね?



僕は、直感や勘というのは、自分の習得してきたモノの範囲でしか出てこないものだと考えています。その道の第一線で活躍する人が言う「勘」というのは僕らが考える「勘」のレベルではなく、その「勘」が飛び出てくる彼らの引き出しには僕らが想像できないほどの中身が詰まっているはず。というか、中身を詰める行動をとってきたからこその引き出しであり、中身を詰めてきてないのに「勘、出てこいやぁあ! 」みたいなことをいくら大声で吠えても何も出てけえへんっちゅうねんアホかという話じゃないかな、と。



僕らは勘違い(←ダレウマ)してはいけないと思います。間違えてほしくないのですが、僕は、勘は大事だし頼るべきだと考えています。ただ、引き出しに何も入ってないのに呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーんとハクション大魔王が出てくることはないし、引き出しを開けたらあらまびっくりタイムマシンがふわふわ浮かんでいるわけでもないので、ネタ帳にどんどん記入するかの如く普段から引き出しに詰め込んでいかないといけないのだと思います。



冒頭の「勘をバカにするな」というのは、勘を信じるなという意味ではなく、勘が働くように普段から精進しなければいけないという意味です。日ごろのルーティンワークから見い出す改善手法、日々のチャレンジ、苦悩、勝利の美酒、などいろいろありますが、要は経験です。たくさん経験して、たくさん学んで、それを引き出しに入れていく。そうして勘は磨かれていく。



何も努力しないのに勘を頼りにしてても仕方がないでしょう。





Yes, I can.