帰って来た 「遺構へ行こう♪」 第2話 | マギィのだいじょぶっス!ブログ

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帰って来た 「遺構へ行こう♪」
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前回の記事がいつ頃だったかテッカリ忘れてます
(2012年10月と判明)


で、やって来たのは前回の石碑から数百メートル離れたコチラ
(`・ω・´)ゞ

画像奥が国道123号線
宇都宮市内から東進、鬼怒川を渡って鐺山(こてやま)の十字路越えて坂登って歩道橋の信号を左折したトコ

したら画像のコンクリ塀みたいのをよじ登って現れるのはコレ!!
(;つ´Д`)つ  エングエング、ハァハァ・・・
宇都宮陸軍航空廠 (こうくうしょう)
清原軍用線、鐺山駅跡( こてやまえき)
(`・ω・´)ゞ

陸軍宇都宮飛行場へ人員や物資を運ぶ為、宇都宮駅から宝積寺駅、そこから鐺山駅への引き込み線跡

終戦後に廃線となりましたが、今でもプラットホームの一部が残ってます 

プラットホーム上には屋根柱を支えていたコンクリ製の台座も健在

コンクリートの塊ではありますが、1942年の竣工から2021年の現代までどっこい生き残ってます
゚+.゚(´∀`)b゚+.゚

宝積寺駅(現存のJR東北線)からほぼ真っ直ぐ南下した先が鐺山駅

線路跡は道路に作り変えられ今でも存在
今でも年寄りやマニア達が 線路道/機関車道 と呼んでます
たまに間違えて 電車道 って言っちゃう人居るけどその頃まだ電車無いかんね

太線が清原軍用線 
飛行場関連の建物が記されてる辺りは今では住宅地となってます

で、その住宅地にアメリカン50’sカーの頂点
1959年型のキャデラックがフテ寝してんだけど、廃車探訪しようにも人様の敷地内なので掲載しませんスンマスン
気になる方は探してください

画像左端、南北に緩やかにうねったラインが清原軍用線
左下が終点、鐺山駅デス

蒸気機関車の他にもガソリン機関車も走ってたそうです
まさかのドライジーネか!?
  
軍用線ではありますが、一般人も1日1往復は乗るコトが出来たそうです
飛行場や関連施設で働く人も居るでしょうしね

画像をアップすると駅舎を確認
戦後1947年の画像なので1945年11月の廃線後にレールは撤去された模様です

斜めに突っ切ってる道は今では国道123号線
現代と変わらない形状してますね

陸軍飛行場や鐺山駅跡に関しての解説板とか無い只のコンクリートなんだけどね  

当時の宇都宮には戦闘機疾風等を作ってた中島飛行機の工場も有るし、他にも軍用施設が点在

コチラの宇都宮飛行場にも空母艦載機が攻撃目標として襲来
四式戦闘機・疾風(はやて)1機が迎撃するも敢えなく撃墜
疾風のパイロットはパラシュートで離脱してる所を狙い撃ち、虐殺されたそうです

コチラの柱の台座はくっきりと残っている
海軍製のしっかりした作りのコンクリートと比べ、陸軍製は作りが脆弱なんて言われてますからね
海軍と陸軍とでコンクリ製掩体壕の痛み具合がハッキリ別れてると言われてます

しっかし、戦時中の建物の一部とは言え今でも残ってるなんて感慨深いなぁ・・・
( ´ー`).。*・゚゚ ポワーン



し、か、し!

道路の向かいは藪だったのがいつの間にか宅地になってる

戦中から今までこの状態で残ってんのが不思議なぐらいだもんね
無くなんないウチに見に行ったのがいいよ
(´・ω・`)ノ

したら鐺山駅跡から北進し、清原軍用線始点・宝積寺駅(ほうしゃくじ)を目指します
機関車が通っただけあってほぼ真っ直ぐな道が続きます

画像の交差点を左折して鬼怒川越えて新国道4号・旧国道4号の陸橋越えた先の信号左折して次の信号左折した左側に てづか模型
 
ちょっと前迄は通行量も少なくうす暗く寂しい雰囲気だったこの辺り
機関車が走っていた線路道、今では清原工業団地~隣接する芳賀工業団地への物流/通勤ルートに変貌

ニュータウンとして住宅地も増え始め、あんだけ雰囲気暗かったこの辺りは片側2車線路に拡大チウ
(路面電車LRTも来年辺りに完成しちゃう盛況っぷり
栃木弁でLRT = イルアールテー)
    

で、




(;💥Д💥;)!?


久し振りにフテ寝チウの謎クルマを発見です!
(・∀・)ノシ