人は死にたいと考える | 姫路 リフォーム モリシタ・アット・リフォームの社長 ヨシくんのたわごと日記

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肺炎で入院しても煙草をすうとか

肝硬変でもお酒はやめられないとか

こういう人は死にたいのか?と思う。

 

中毒だから、ジャンキーだから

しょうがないというかもしれないが

人はどこかで死を考えていると思う。

 

ただ、ほとんどの人が

「死ぬのが怖い」というだろう。

自分の死、考えただけでも怖いだろう。

 

世界中に宗教が存在するのは

一つは死の恐怖からの脱出だろうし

それで死にたいとはどういうことか。

 

一つは、なぜ寿命があるのか?

を考えるとうなずける。

 

現在、医学の発展で長寿になった。

しかし、すべての人に老化はおこり

だれもが寿命がくれば死んでしまう。

 

これだけ医学が進めば

老化も止められるのでないかと思うが

老化はおこり寿命が来てしまう。

 

なぜ、寿命があるのか?

諸説あるが、人口調節の意味だと

聞いたことがある。

 

他の生物同様に人にも

この地球上で生存するのに

ふさわしい数というのがある。

 

男と女の数が

意図的に調整しなくとも

大体同じになるのもそうで

 

人類全体としての限界が

人間界にも生じている。

 

また、一説によると

ガンや心臓や脳の疾病は

老化で起きるのではなく

 

本能的に、死ぬ時期が来ていることで

自分自身が自分を終わらすために

自らその病気にするともいわれる。

 

なぜ、人口調整があるのか。

 

なんだかの弊害が生じるのだろう。

多くの生物は子孫を作った時点で

死んでいくのと同じであろう。

 

いつまでも生き続けてはいけない。

必ず死んで、あらたに次ができることを

子孫にやってもらわないといけない。

 

だからこそ、種に進化があって

そのもの自体が長らく生き延びる

滅びることがない道なのである。

 

なので、

 

人は死にたいと考えている

というのは、決して後ろ向きの

発言ではない。

 

むしろ、利己主義でなく

人間という種として大きなくくりで考えた

前向きな気持ちであるのだ。

 

だからといって、

まだ死にたくないですがね。