鞍馬山 山門


10キロ近くある手荷物を抱えたまま、鞍馬の階段を上る。


朝がまだ早く、周囲には人の気配すらない。

ひっそりとしすぎていて、雪の降る音さえ聞こえてくる。

山門に着いたときには、足元にうっすらと積もり始めていた。


山門のトラがお出迎え。

とてもかわいい表情のトラだった。


この時間では山門は開いていても、窓口は開いていない。

そのまま、中へと入った。

中には寺の職員らしき人が一人。


おはようさん。


と挨拶を交わし、急な坂道を登っていく。

さすがにまだ、暗く、灯篭が灯っている。


僕は、右側の階段を登って行った。

小さな放生池。


そして、鬼一法眼社。

僕の記憶は殆ど皆無だったが、あまり良い感じのする場所ではなかった。

(神社なのにね。)

無視も出来ないので、拝んで次へ進む。


東光坊跡からも景色を見回すけれど、光のイメージが全然違って思い出せません。

とにかく、細かい事は考えるのはよそう。

この場所を楽しもう。

どんどん登って行くと、由岐神社があり、大きなご神木の杉が二本生えていた。

神社の記憶もまるで無い。

僕は不安に駆られた。

僕は本当に義経なのだろうか?


そして、各社をまわり上がって行く内に、椿の苗木のある九十九折へと差し掛かった。

雪が程よく積もり始めていた。

僕は久しぶりに見る雪が楽しくなって、つい手でつまんで口へ放り込んだ。

次から次へと放り込んだ。

寒いけど、手がかじかむのも忘れてただ、坂道を登りながらひたすら食べ歩き。


手が勝手に動いてしまう。

こんなに雪ばかり食べては、お腹を下してしまうだろうに。

子供の頃、この辺でやはりこんな事をして歩いていたんだろうか。

(とても楽しいのです。すっかりはしゃいでいました。)

(京都に住んでいながら、貴船にも来た事があるにもかかわらず、鞍馬など来た事も無かった。)


それでも、とても懐かしいと思うこの気持ちはなんでしょう。


上へ行くと段々と灯篭の明かりは消え、周囲の景色に日が差し始めました。

上に着く頃には、雪が一時止んでいたのです。


まるで砦のような最後の階段を登りきるとそこには絶景がありました。

石舞台に、明るい日差しが差し込みます。

とても、気持ちの良い朝です。


そして、僕は本堂についに足を踏み入れました。


本堂には、誰もいません。


暗い中、仏像だけが並んでいます。

金の鎖で出来た幕が、とても厳かな雰囲気をかもし出していました。

(仏教用語をあまり知らないので、正しい名前がわかりません。ごめんなさい。)


でも、この鉄筋コンクリートで出来た本堂では、いまいち良くわかりません。

実はここの本堂は、ずっと以前に燃えてしまいました。

ご本尊は無事だったのですが、僕に関する書物や、宝物などの殆どが灰燼に帰してしまいました。

その燃え上がる本堂の様子を麓に住んでいる少年が見て、

『馬に乗って鎧をつけた神様が走り去っていくよ。』

と、話したそうです。

以前母から聞いたその話が忘れられませんでした。


以前から気にはなっていたのですが、僕に関する資料が、徐々に失われているような気がしてならない。

だから、本当はもっと確信を持ってから関する場所に参ろうと思っていたけれど、何となく駆り立てられるようにこの場所を選んでいた。


東京タワー 比叡電鉄鞍馬



いよいよ、出発の日がやって来た。

横浜駅から深夜バスに乗り込む。

深夜バスなんてスキーツアー以来だ。

(昔は、懲りずに行っていたが、とても狭く、足はガクガク、体はカチカチになった。)

このバスとは大違いだった。

今は、サルーンバスで、トイレ付きである。

(こんなに安くて便利だったとは知りませんでした。)

怖いぐらいにきれいな夜景を独り占めしながら(横浜から乗ったのは僕だけです。)

工場地帯を抜け、バスは都心へと一度逆走します。

皇居を拝みながら、また今度は東京タワーを右手に、六本木、渋谷。

(まるで、はとバス観光だなぁ。)

僕のかつて住んでた場所を一望した。

とても快適だったけど、眠る気になれなかった。

僕の新しい人生の始まりだった。

幾つかの休憩所を経由し、空が白み始めた。

草津まで来ると、周囲の景色は一変した。

そこは一面の銀世界だったのだ。

明日には4月を迎えるというのに、吹雪のように一面白だった。

八条口に降り立った瞬間に僕の行き先は決まっていた。

手荷物のことなどまるで考えず、始発の地下鉄で出町柳へと向かった。

叡山電車に乗り込むと、雪はますます強く降って来た。

足元にも積もり始めていた。

まるで異世界。

僕はロッカーへ荷物を預けるのも忘れ、大きな荷物を抱えてそのままお山へと向かった。

(というか、現金がもう1000円ぐらいしか無かったのね。銀行へ寄るつもりだったから。笑。せつやくせつやく。)

出雲から帰ってきた時から決めていたのだが、出雲ツアーでお世話になっていた旅行会社の新しいパンフレットで気になるページがあった。


『京都花見観光ツアー』


その場所は、花見ではそれほど有名ではないが、それでも一つのツアーにだけ写真が載っていた。

今回は一人旅の予定だったので、僕は貧乏旅行を決め込もうとしていた。


その頃、まだ僕は渋谷のとある事務所で仕事をしていた。

僕の生まれ育った家の近くに、毎日行けるから決めた、とても便利な場所。

企業向けのサイトの構築を手伝っていた。


その時、僕の隣にいた男、そいつがあの、※景季君だったとは、その時はまだ気づいていなかった。


彼が、僕の隣であまりにも京都へ行きたい、京都へ行きたいとこぼしていたから、僕も無性に京都に行きたくなってしまった。


もうすぐ花見の季節だし、調度、休みが繋がっていたので、僕は別の同僚に相談してみた。

彼女はとても旅行慣れしていて、ゲストハウスの事を教えてくれた。


ゲストハウスはとても安い。

京都でも、一泊3000円で個室が確保できる。

足も深夜バスを使う事で、新幹線片道運賃の半額で往復が出来る。


これなら、薄給の僕でも行ける。(笑)

と思って、ゲストハウス 京都 で検索をした。


そうすると、何故だか、とても意味深の場所がヒットした。


『鞍馬口』


なんだか気になります。

どうやって行くのか調べるうちに、そこは西陣の近くだということがわかった。


西陣か、それならば、叔父の奥さんの実家が近い。

(僕の親戚は、とても有名な機織師。能衣装を手がけてNHKでも使われている。)


どういう因縁だかわからないが、何か感じるものがあり、迷うことなくその場所に決めた。


花見シーズンの3週間前だと言うのに、すんなりとその宿を申し込む事が出来た。


次の日、京都に行く話しを景季君に話したら、『いいなぁ。いいなぁ。』としきりにもらしていたが、じゃあ一緒に来れば?といったが、気乗りしなかったらしい。

それから何も話さなくなった。

(その時は僕は気づいていなかったのだが、既に、目障りな人とマークされていたらしい。彼には何があっても説得とかそういう技は何も効かない。うるさい人は苦手らしい。)


京都へはたった4日間しか居られないが、久しぶりに行く第二のふるさとに、胸が高鳴っていた。





※景季君=梶原源太景季。梶原景時の長男。宇治川での先陣争いは有名。

        頼朝殿の親衛隊(と僕は呼んでいる)の一人。

        彼の陰口のおかげで、前世も多少は酷い目にあったのか・・・?

立ち上げが一番遅くなってしまいました。(大変失礼致しました。)

視聴者の方が増えたので、まだ早いながら、お話を始めます。


僕の旅が始まったのは、一昨年の10月でした。

何故か、母のお供で、出雲へ出向く事になったのです。


出雲大社の前へ行くと、とても不思議な映像が見え始めました。

空の上に何かいるようなのです。


気になって、食後にその場所へもう一度戻ると、大きな細い目(大仏様のように半眼です。)が一瞬見えました。


その後、急激に僕の周囲の状況が変わり始めました。

仕事が変わり、職場も変わり、そして何故か以前から気になっていた事を確認しようと思い始めていました。


この頃、テレビ東京で、名倉さんと江原さんとで番組をやっていたんですが、

(一般人のスピリチュアルカウンセリングを行うと言うもの)


自分ではある程度この時までに確信が持てていたのですが、

(ドラマ義経を見ていたせいもあります。)

他人に客観的に見てもらおうとは思っていたのです。

でも、その前に、自分の目でその場所へ行って確かめたいとも思っていたのです。


その場所は京都にあります。

京都は僕の母の故郷です。

僕は昔、京都の親戚の家に預けられていた時期がありました。

土地勘はあるのですが、あまり市内や周囲を歩いた事はありません。

古美術商を営んでいた叔父に、山科や、貴船に1回ずつ連れて行ってもらっていた程度です。


だから、一度でいいから行ってみたかったのです。

あの山に。

どんな山なのか、見てみたかった。


それが旅の始まりでした。



では、前世参りの旅、始まります。

GREE以外で、このブログをご覧の皆様。

はじめまして。

僕はクロウです。

あの、源九郎義経本人です。

この名は昔の名前、今は別の名前で、別人として暮らしています。


どういうわけか、最近になって昔の記憶の多くを取り戻しています。

歴史は繰り返すと言いますが、まさしく、今も昔も人の世は変わりません。


多くの憂いがあり、亡くさなくていい命が奪われています。


生きることばかりが全てではないですが、生きているには意味があり、生きている間は一生懸命生きなければならない。


一人一人は多くの人々に支えられている命です。


それらを無駄にしないよう、今こそ身を引き締めなければならない重要な時期です。


どうか、歴史を繰り返さないよう、皆様が、過去の人たちから学んで、賢明に生きて下さい。

大きな歴史の転換期が、また日本に訪れようとしています。

過信が、大きな犠牲を作ります。


あまりにも肥大しすぎた欲望が、自分自身を押しつぶしてしまうように、

人々は自らの未来の命を奪ってしまいます。

もうこれ以上繰り返さないために、子孫に向けて先人達が残した書物の数々。

その意味を読み解けなくなってしまった人々(子孫達)。


書物の出来事は、皆、先人達の血と汗の歴史です。

決して、絵空事ではありません。

僕らも皆さんと同様に生きてきた生の人間です。


生きた言葉が今こそ必要なときだと思います。

僕ら、800年前に生きていた人々の言葉をどうか今一度お聞き下さい。

多くの犠牲が出る前に・・・。


源九郎義経