出雲から帰ってきた時から決めていたのだが、出雲ツアーでお世話になっていた旅行会社の新しいパンフレットで気になるページがあった。
『京都花見観光ツアー』
その場所は、花見ではそれほど有名ではないが、それでも一つのツアーにだけ写真が載っていた。
今回は一人旅の予定だったので、僕は貧乏旅行を決め込もうとしていた。
その頃、まだ僕は渋谷のとある事務所で仕事をしていた。
僕の生まれ育った家の近くに、毎日行けるから決めた、とても便利な場所。
企業向けのサイトの構築を手伝っていた。
その時、僕の隣にいた男、そいつがあの、※景季君だったとは、その時はまだ気づいていなかった。
彼が、僕の隣であまりにも京都へ行きたい、京都へ行きたいとこぼしていたから、僕も無性に京都に行きたくなってしまった。
もうすぐ花見の季節だし、調度、休みが繋がっていたので、僕は別の同僚に相談してみた。
彼女はとても旅行慣れしていて、ゲストハウスの事を教えてくれた。
ゲストハウスはとても安い。
京都でも、一泊3000円で個室が確保できる。
足も深夜バスを使う事で、新幹線片道運賃の半額で往復が出来る。
これなら、薄給の僕でも行ける。(笑)
と思って、ゲストハウス 京都 で検索をした。
そうすると、何故だか、とても意味深の場所がヒットした。
『鞍馬口』
なんだか気になります。
どうやって行くのか調べるうちに、そこは西陣の近くだということがわかった。
西陣か、それならば、叔父の奥さんの実家が近い。
(僕の親戚は、とても有名な機織師。能衣装を手がけてNHKでも使われている。)
どういう因縁だかわからないが、何か感じるものがあり、迷うことなくその場所に決めた。
花見シーズンの3週間前だと言うのに、すんなりとその宿を申し込む事が出来た。
次の日、京都に行く話しを景季君に話したら、『いいなぁ。いいなぁ。』としきりにもらしていたが、じゃあ一緒に来れば?といったが、気乗りしなかったらしい。
それから何も話さなくなった。
(その時は僕は気づいていなかったのだが、既に、目障りな人とマークされていたらしい。彼には何があっても説得とかそういう技は何も効かない。うるさい人は苦手らしい。)
京都へはたった4日間しか居られないが、久しぶりに行く第二のふるさとに、胸が高鳴っていた。
※景季君=梶原源太景季。梶原景時の長男。宇治川での先陣争いは有名。
頼朝殿の親衛隊(と僕は呼んでいる)の一人。
彼の陰口のおかげで、前世も多少は酷い目にあったのか・・・?