初日には見えないことも多いのだと、当たり前のことを素直に実感する。
ボランティア団体が、一体どこまでのことを考えて活動しているのか。表面的に見ただけでは、それは分からない。
偽善や独善になっていないか。
生徒のためを第一に考えているのか。
究極的な話、ない方がためになるのではないか。
偽善という言葉は、むげに吐き捨てられがちだな、といつも思う。「誰かのため」を真剣に考えたことがある人は、必ず偽善や独善という言葉とのジレンマに苦しむ。だから、それらの言葉を安売りしたりは決してしない。
「偽善でしょ」なんて簡単に言えてしまう人を見ると、何だかすごく、げんなりする。
でも、確かに悩んで見つめなして、の繰り返しを怠ってしまって、押しつけがましくなることも少なくない。
正義感に燃えて何かすることは否定されるべきではないと思う。だけど、人間関係においてもボランティアにおいても、このケースでは「誰かのため」という根本が抜け落ちてしまうことが多い。
初日だけでは、本当にこの学び場が生徒たちのためになっているのだろうか、という違和感の答えは出なかった。
きっと、それは長くいたとしてもいつまでも消えない違和感なのだろうと思う。
でも、2日間かけて生徒の声を聞き、スタッフの方たちの仕事ぶりを見て、それらの空気に触れることで、少しだけ違和感は小さくなった。
ここを動かしている方々は、ちゃんと先を見つめているからこそここにいるのだろう。何が本当に生徒たちのこれからにプラスになるのか。少なくとも、真剣に悩んでいる。
自分なりの目的意識を持って、主体的に動くことができる人。まだ同世代という範疇以上に人と知り合う術を持たない場合、同じ大学生の中からこのタイプの人を見つけるのは結構難しい。自分から多様な人と出会おうとアクションを起こしても、一般的な大学生たちに囲まれた日常に浸かっていると、物足りなさを感じることも少なくない。
だけど、今回のように一歩外に出て行動してみると、本当に色々な人と出会える。自分の経験や行動がちっぽけに思えるくらい、芯の太い体験を重ねている人もいる。自分なりの目的意識を持ち、実現するための手段を模索し、地に足付いた考え方で行動していける人。出会うだけでなく、その考え方や生き方、価値観を知ることができる。自分が小さく見える、そんな環境にいられることが、今は何よりも嬉しい。
ボランティア団体が、一体どこまでのことを考えて活動しているのか。表面的に見ただけでは、それは分からない。
偽善や独善になっていないか。
生徒のためを第一に考えているのか。
究極的な話、ない方がためになるのではないか。
偽善という言葉は、むげに吐き捨てられがちだな、といつも思う。「誰かのため」を真剣に考えたことがある人は、必ず偽善や独善という言葉とのジレンマに苦しむ。だから、それらの言葉を安売りしたりは決してしない。
「偽善でしょ」なんて簡単に言えてしまう人を見ると、何だかすごく、げんなりする。
でも、確かに悩んで見つめなして、の繰り返しを怠ってしまって、押しつけがましくなることも少なくない。
正義感に燃えて何かすることは否定されるべきではないと思う。だけど、人間関係においてもボランティアにおいても、このケースでは「誰かのため」という根本が抜け落ちてしまうことが多い。
初日だけでは、本当にこの学び場が生徒たちのためになっているのだろうか、という違和感の答えは出なかった。
きっと、それは長くいたとしてもいつまでも消えない違和感なのだろうと思う。
でも、2日間かけて生徒の声を聞き、スタッフの方たちの仕事ぶりを見て、それらの空気に触れることで、少しだけ違和感は小さくなった。
ここを動かしている方々は、ちゃんと先を見つめているからこそここにいるのだろう。何が本当に生徒たちのこれからにプラスになるのか。少なくとも、真剣に悩んでいる。
自分なりの目的意識を持って、主体的に動くことができる人。まだ同世代という範疇以上に人と知り合う術を持たない場合、同じ大学生の中からこのタイプの人を見つけるのは結構難しい。自分から多様な人と出会おうとアクションを起こしても、一般的な大学生たちに囲まれた日常に浸かっていると、物足りなさを感じることも少なくない。
だけど、今回のように一歩外に出て行動してみると、本当に色々な人と出会える。自分の経験や行動がちっぽけに思えるくらい、芯の太い体験を重ねている人もいる。自分なりの目的意識を持ち、実現するための手段を模索し、地に足付いた考え方で行動していける人。出会うだけでなく、その考え方や生き方、価値観を知ることができる。自分が小さく見える、そんな環境にいられることが、今は何よりも嬉しい。