毎日が刺激のある日々で、逆に書くことに迷ってしまう。だけど、突き詰めていくと実は書きたいことの根本は前日と同じであったりして、なおさら困ってしまう。

 視野がまだまだ狭い。
 自分はどんな人間か。どうして社会に出たいのか。将来何を実現したくて、そのための手段は何か。
 長い就職活動を通して突き詰めてきたこと。広告業界に入る意味。22年間の1秒1秒を見つめ直して、脳みそのしわ1本1本を抜かりなくつついて考え抜いたつもりでも、まだ悩み足りなかったのかもしれない。

 当然だけれど、自分の視野にない部分までは考え切れていなかった。当然。でも、その当然の部分に気付けてよかった。

 考えたつもりになっているだけで、実はきちんと視界に捉えきれていなかったこともある。留学はその代表例かもしれない。
 休学届を出そうとしたけれど、教授に受理されなかった。
 何とかしようと学務部、キャリアセンター、教務委員、色んな人と話をした。
 でも、それでも駄目だったからあきらめた。
 筋は通っているけれど、並べ立ててみると情けない。自分が甘かったのだ、とそのときは唇を噛みこそすれ、それも今思うとご都合主義であった気がしてくる。

 人のために何ができるのか。
 それは、小さな頃から今もこの先も、ずっと続いている自分のテーマであるけれど、その方法論をもう一度振り返るべきかもしれない。
 留学は、ひとつの重要な手段となり得る。いや、手段を得るためのステップというべきかもしれない。より多くの人を巻き込むのなら、より多くの人にいい影響を与えようと思うなら、語学やグローバルな体験は大きな武器になるだろう。
 就職活動の必要性に駆られて、また希望の広告業界に進路が決定してから特に、留学という選択肢もいつの間にか視界からややはみ出てしまっていたのではないか。 
 しぼりきれずどっちつかずになるのは怖いけれど、視野が井の中の蛙状態になるのもすごく怖い。分かっているつもりでも、視界の隅に捉えているだけで実態が捉えられていないことなんて、きっとごまんとあるのだ。

 だから、やっぱり、自分は社会に出ても悩み続けていたい。
 自分が選んだ選択を美化しすぎるのではなく、悲観するのともまた違って、ただ「本当に今いる場所が最善か」ということを常に問い掛けているべきなのだと思う。でなければ、環境というのはなかなかに狡猾なもので、知らぬうちに本来の目標を安穏とする心にすり替えて、さも初めからそうだったかのように擬態させてしまう。井の中の蛙は井戸から出ることができないけれど、自分は蛙でもなければ井戸にいるわけでもない。視野がまだ狭いと、ちゃんと認識できること。やっぱりそれが、本当にうれしい。


 読み返して、相変わらずボランティアに来てからのブログの文章はまとまりがないなー、と思う。出会った方々の考えや価値観を兎にも角にも集めているような状態で、まだちゃんと自分のものとして噛み砕けていないのだろうな。

 最後に。
 今日、人づてでおもしろいことを聞いた。自分が個別指導をしている生徒が、「たまには男の先生もいい」なんてことを言っていたらしいのだ。
 それはもちろん、心の中でにやけてしまうほどうれしかったけれど、心苦しさもある。
 まず、視野が狭いとか自分はちっぽけ、とかまだまだ学んでいる最中の自分には、もっとできるはずという違和感が拭えなくてむず痒い。それに、あと一週間もすれば、また自分とは別の人が彼の指導をしている。また一週間したら、別の人。
 現実的な受験と向き合わなくちゃいけない。人手の問題もある。このひと場面だけ切り取っても、なかなかに難儀だなぁ、と改めて実感させられる、印象的な言葉だった。