寂しさはどこからくるのか? | 大自由の翼のブログ

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昨夜のパートナーとの会話での出来事です。


夕飯を食べて、お茶をした後、パートナーが用事を済ませて、パートナーがこのまま帰ってしまうの?と言ってきたので、その質問の意図を尋ねたところ、親戚の子供を呼んでお茶したいと言ってきました。


その意図を尋ねたところ、親戚の子供がいつもパートナーや私を誘ってくるので、たまにはこちらから誘いたいと言ってきました。


パートナーの気持ちは理解しましたが、すでに21:30を過ぎていて、今から誘うのは、親戚の子供の親がどう思うのか?はあるし、親戚の子供は中学生で、勉強もしなきゃいけないという状況もあるので、親戚の子供のことを考えたら、今から誘うのは現実的ではないと思うと話をしました。


雨が降り始めたこともあり、結局その後まっすぐ帰宅することにはなったのですが、パートナーがちらっと「来週火曜日から2週間弱海外出張でいなくなるから少しでも一緒にいたくて」と漏らしていました。


パートナーは寂しいのだろうなと思ったし、親戚の子供も寂しくて私たちに会いたがっているところはあるので、パートナーと親戚の子供はある意味似た者同士なのかなと感じました。


その寂しさを誰かと一緒にいることで満たそうとしているのでしょうね。


現代社会の一般常識や慣習から言えば、私がパートナーや親戚の子供の寂しさをヒーリングすべきだということになるのでしょうね。


でも、認識技術を学んでいる私からすると、寂しさを満たすのは自分しかないと言いたくなります。ただし、ここで言う「自分」の定義が、現代社会、これまでの人類歴史上の自分の定義とは違ってきます。


これまでの自分は「この体が自分」と定義しています。この状態では、寂しさがくるのは当然です。

なぜならば、この体が自分と思えば、それ以外は自分ではなくなるので、一人になれば、孤独孤立であり、常に不安や寂しさが襲ってくることになります。

でも、よくよく考えてみると、この体だけが自分という定義はおかしいです。


この体が自分なら、独立して存在できるはずです。でも、実際は、この体は心臓が動いて血流がなければ、瞬き一つできません。では、その心臓が動くには、空気中の酸素が必要ですが、体人間は酸素一つ作ることができません。その酸素を作るには植物が必要で、その植物は、地球上の水、土、太陽の光がなければ育ちません。

そんな地球や太陽は太陽系がなければ存在し得ないし、太陽系は銀河系がなければ存在し得ないし、銀河系は宇宙がなければ存在できません。


つまり、この体は、いろんなものに依存しなければ成り立ちません。なのに、人間は無意識に自分が存在していると思い込んでいます。ある意味体人間はちっぽけで無力な存在とも言えます。

もっと言えば、体の人間は存在不可能です。1秒も存在できません


だから自分を再定義する必要があります。再定義のためには、体人間の存在を全否定することです。もっと言えば、体人間が認識する、時間、空間を全否定して、ポジション、エネルギー、力、光、観点、判断、生死など人間が辛うじてイメージ、認識できることすら否定することです。

それが完全死すること、正しい絶望をすることになります。

それが起きると、全てが一つしかなく、境界線が消えて、永遠不変の世界になります。それが本来の自分になります。


そこまで行った時に、無限の可能性になり、全てと繋がった感覚になり、寂しさ、不安、恐怖は消えます。


ここまで書いて感じたことですが、人間は人類史上自分の定義を明確にすることができなかったことを考えると、パートナーも親戚の子供もある意味霊魂が傷ついている、つまり心、精神が傷ついているとも言えます。そこをヒーリングすることは大切だなと感じました。