アドラー心理学の限界を突破するには? | 大自由の翼のブログ

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今夜は途中からですが、アモールファティ祭に参加しました。



今回はアドラー心理学の弱点を射抜くというかなりセンセーショナルなテーマで話がありました。


実は、私はアドラー心理学を少しだけかじったことがありまして(笑)。

現実世界や日常生活で割と使いやすい感覚はあり、便利な道具だなと思っていたこともありました。


ただ、最近は認識技術を学んでいるのもあり、アドラー心理学では個人の問題は解決できても、社会や組織の問題を解決するのは難しいのではないか?と感じ始めていました。


そんな私の中の前提があり、今回はどんな話が展開されるのだろう?と思いました。


夜遅いため、要約して書きますが、アドラー心理学は目的心理学と言われているけど、そもそも目的を持つ人間が何なのか?目的の源泉が何なのか?が分からないと、問題解決したとしてもまた次の問題が出てくるという感じでモグラ叩きになっていくように感じました。

言ってしまえば、人間が解決すべき共通の限界、根本問題が何なのか?に到達できないと感じました。


アドラー心理学では、自分と他者の課題を分離して考えるというやり方をしますが、これも根本問題を発見することを難しくさせるし、「それはあなたの問題でしょう?私には関係ない」という風に考えてしまうことになりかねない弱点があるなと感じました。


アドラー心理学は、自分の課題を解決するために他者が邪魔だと思うと排除したり、場合によっては殺してしまう、戦争に発展することにもなりかねないという話もありました。


アドラー心理学をアプリケーションくらいに使うのはいいかもしれませんが、これを絶対視するのはとても危険だなと感じました。


また、アドラー心理学は自分軸を持つということには貢献すると思いましたが、自分が何なのか?分からないのに自分軸を作ることは思い込みを強化させて、返って人との繋がりを持つことを難しくさせる可能性が高くなると感じました。


日本の思いやりの精神やSAMURAI精神にも合わないそんな感じがしました。


アドラー心理学が流行る裏には、現実に多様な問題が溢れすぎて、個人ではとても処理しきれないから、自分と自分以外の問題を切り離して考えようとする風潮もあるのかなと感じました。


でも、それでは自分の殻に閉じこもって自分の問題を解決するだけで、組織や社会、コミュニケーションの問題は解決できないと感じました。


だからこそ現実に起こる多様な問題の根本原因に何があるのか?という問題意識を持つ勇気が必要と感じました。