歴史解析の回帰修正の限界と歴史維新の可能性 | 大自由の翼のブログ

大自由の翼のブログ

ブログの説明を入力します。

今夜は久々に令和哲学カフェを視聴しました。



久々に令和哲学カフェを視聴しました。

月曜日は古代朝鮮を取り上げていますが、今回は衛氏朝鮮を取り上げました。

この衛氏朝鮮から、史実が出てくるようになるようですが、まだ謎の多い時代らしいです。

衛氏朝鮮は、衛満という人が初代の王様らしいですが、古朝鮮人という説と漢系の燕人という説があるらしいですが、後者が有力らしく、韓国の歴史の教科書も後者で説明しているようです。


この時代は漢が中国を制圧していた時代でした。衛氏朝鮮は、中国から周辺国として認められるために、朝貢など様々な制約があったらしいのですが、衛満の頃から、それに少し違反していたにもかかわらず、当時はなぜか見逃してくれていたようです。裏には漢の皇帝の意向があったとか。

ただ、その後衛右きょうが王になると、制約に対する違反がひどくなり、漢に侵略されらようになり、家臣がことごとく逃げ出し、最後は衛右きょうが残った家臣に殺されてしまったそうです。


衛満が、古朝鮮人なのか漢系の燕人なのか、また衛満が当時の王様を追放して衛氏朝鮮を作ったという歴史があるけど、その王様が韓民族の祖先なのかそうでないのかなど様々な議論があるようです。


その裏には、中国が自分たちのアイデンティティの始まりではありたくないなど始まりの戦争があるようですね。


この流れを受けて、ディスカッションでは、歴史解析の回帰修正の限界と歴史維新の可能性について話をしました。


過去に囚われてしまうのではなく、未来を作るためにどんな歴史解析をするのかが必要、過去の固定された解析にプラスαしても何も生み出せないから、ゼロから歴史を解析すること、スクリーンの中を解析しても新しい観点が生まれない、だからスクリーンの外に出ること、今の歴史解析は妄想に過ぎないから、現実を作る、未来を作る観点で歴史解析をするなどの意見が出ていたと思います。


令和哲学者ノジェスさんの話では、大雑把に言えば、歴史維新はまず純度100%の心にもどることが必要というのを、片付けるという言葉を使って説明されていきました。片付けることでシンプルになるイメージを仰っていました。そして、究極のシンプルになった時に、今ここしかないことが分かり、歴史解析を遊び感覚でやるようになるという話だったかと思います。

最後の質問の内容を借りれば、Aの裏にnot Aがあること、これらを違いとして対立させるのではなく、 Aもnot Aもない、その二つを作るのがBだとした時に、BとnotBが出てきて、その二つを作るのがCという具合に繰り返していくと分けることができない心そのものになっていくというイメージでした。


聞いていて、歴史解析、歴史維新と片付けが繋がってしまうという表現が凄すぎると感じました。


未来のために歴史解析するなら、シンプル維新が必要ですね。