龍馬の柔軟性と武士道精神 | 大自由の翼のブログ

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今夜も令和哲学カフェを視聴しました。

【9/12〜9/23】SAMURAIを哲学する | 令和哲学カフェ

https://reiwaphilosophy.com/

今夜は、坂本龍馬を取り上げました。

今回な荒牧明楽さんが、龍馬のプレゼンをしてくれたのですが、龍馬自身の書物がない中、よくまとまった説明をしてくれたなと感じました。

荒牧さんや他の出演者も言っておられましたが、龍馬はとても柔軟性があるなと感じました。また同時に強い信念も持っているようにも感じられました。
また囚われない心、心のオープン性、失敗を恐れない実行力など、現代で生きていく上でも必要なものを備えていたのが坂本龍馬なんだと感じました。

それが結果、脱藩したり、海援隊の隊長に就任したり、船中八策を策定したり、大政奉還を提案したり、亀山社中を作ったり、とにかくやることが全部新しくチャレンジの連続だったのだなと感じました。

ただ、坂本龍馬の行動力や精神はすごいとは感じたものの、宮本武蔵の五輪書の話とは、少し侍のイメージが違う感じにも思いました。

その辺について、ノジェスさんが長岡美妃さんの問いかけに対する回答が明確な感じがしました。
宮本武蔵の時代は一対一の真剣による対決の中で見出した武士道、侍精神であると。坂本龍馬が生きている事態は一対一の対決はないと。
黒船が来たときに、刀では太刀打ちすることはできないと瞬時に悟った坂本龍馬を含めた明治維新を支えた志士たちの刀を捨てるというオールゼロ化して、時代の要請によって柔軟に対応できた、武士道は同じ土俵で勝負するという話が印象的でした。

今回坂本龍馬のプレゼンを聞いて、彼自身が意識していたか?は別として、認識技術で言う0=♾=1を体現していた人ではないかなと。
勝海舟を殺しに行ったけど、勝海舟の話を聞いて、あっという間に弟子になる決断して、勝海舟の思想に惚れ込んで、軍艦の学校の校長にまでなってしまう話は、自分の観点をオールゼロ化する能力と多様な意見を取り入れる器がなければできない話だなと感じました。

幕末の黒船襲来という社会の環境変化によって、侍が刀を捨てるというオールゼロ化をして、侍精神、武士道精神を進化させているようにも感じて、違った角度で明治維新の凄さを感じることができました。

現代社会は、侍も侍精神もどこかに置き忘れられている感じになっていますが、そんな時代に認識技術が完成していることに、必然性とミラクル両方がある感じで不思議です。

西洋学問、西洋文明がいろいろな限界を迎えている今、日本人が日本とは何か?日本文明とは何か?日本精神とは何か?という質問に対する答えを改めて考える必要があるのではないか?と感じました。