23回忌と位牌 | あなたの夜を埋める物

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母方の祖母の23回忌法要があった。

母方の祖母、私のおばあちゃんは石原裕次郎と同じ年、同じ7月に亡くなったので、母の中でテレビでなにかしらの石原裕次郎特集が放送される=おばあちゃんの法事をしなくては。という図式が出来上がっているそうだ。
確かにうっかり忘れようが無い、私でも覚えられそうだ。テレビさえちゃんとチェックしていれば、だが←ネットばっかでテレビを見ていない今日この頃。

今年の23回忌法要は、石原裕次郎の方はテレビで国立競技場に寺を建てるという、大々的な23回忌法要特番が組まれていたので「23回忌って特別なものなん?」と母に聞いたら「別に。亡くなってから23年も経つし、今回節目にして27回忌以降はもう小さく身内だけでやるんじゃないか」と言っていた。

祖母の23回忌法要を終え、石原裕次郎の23回忌法要特番を母と見たのだが、寺を作り、120人のお坊さんの読経に続々と訪れる何万というスタンドのファンと献花の列、朝7時前から夜10時まで行われるというの法要の様子を見ていたら、昔読んだ西原理恵子の本で、朝日新聞かどっかの担当編集者にりえぞお先生が「石原裕次郎と美空ひばりは天皇と同じようなモンだから悪く書いちゃだめですよ」的な注意をされていた漫画があったなと思い出したそばで、「来よんの年寄りばっかりや、渡哲也も老けたし、“第2の裕次郎”もパッとせんし、これだけやる金を他に回せばいいのに、うち(の法要)は1時間なのにね」とか言うものだから「そんなに言わんでも、それにあなたも同年代だ」と返した。相変わらずドライなひとだ。
でも前日にやっていた石原裕次郎の映画を見ていたり、石原裕次郎の戒名には“大”がついているとか(よほどの偉人じゃないと“大”はつけられないらしい)、いろいろ詳しかったりして、やっぱり石原裕次郎の世代なんだなあと感じた。

うちの23回忌の方は朝方に大阪から長男である叔父が位牌を持ってうちに来て、午後1時にお寺で私を含めた親族6名で行われたのだが、法要の前に別の親戚の墓参りに母と兄と一緒に出て、帰ってくるまでの1時間ちょいの間、なんだか位牌ひとつを誰もいない部屋にぽつんと置いておく気になれず、普段仏壇に入っているであろう、むき出しの位牌の側でテレビや新聞を見たり、位牌のホコリをふき取ったりして過ごした。
当たり前の話なのだが、苗字が違う私の家には母方の親の位牌は置けない。お墓参りもあまり行かなくなってしまっているし、こういうときでしか、位牌というものに触れることもないし、なによりただ、おばあちゃんの側にいたいという気持が強かった。

位牌には祖父の名前、おじいちゃんも入っているのだが、生前はもちろん、亡くなってからの“つながり”が強かった分、ついおばあちゃんへの思い入れが強い。
おじいちゃんにもよくしてもらっていたはずなんだが、まず思い出すのは、ちょっぴりわがままで頑固なじいさんだったので、他の入院患者ともめたり、地元の病院全部追い出されて出入り禁止人物っぽくなっていたり、酒に目が無くて、普段「手すりがないと歩けない」とリハビリをしぶっていたくせに、母の目を盗んで横断歩道の無い国道をダッシュで渡って、病院の向かいの食堂でワンカップを飲んでいた、とんでもねえ嘘つきじいさんだったとか…ごめん、おじいちゃん(汗)
あと、亡くなったのが社内旅行前日で楽しみにしていた東京ディスニーランドに行けなかったっけか…こんな記憶ばっかで本当ごめんおじいちゃん(汗)

次に私が位牌に触れることができるのは27回忌。
叔父は「また持ってくるわ。俺が生きていればな」と笑って言うので「まだまだそんな歳やないやろー」と返したが、「死んだ人間の事より、今日生きていくのに精一杯や、おっちゃんが勤める会社は全部つぶれるんや、自分も焦らずにやっていったらええんやで」とまた笑って、位牌を布にくるんで大阪へ帰っていった。
叔父は現在大阪に建てた自分の家には住んでいない。離婚した奥さんと子供達が家と仏壇を預かってくれていると数年前に母親が話しているのを聞いた。

死んでしまった人のことも、私のことも、叔父のことも、なにもかもがどうしようもなくて、自分が選んで、なるべくしてなってしまった結果なんだとわかっていても、まだ祖母も祖父も生きていた頃の昭和の石原裕次郎の映像を見ながら「おばあちゃんの仏壇がうちに置けたらなあ」とまた考えてしまった。