常識が昭和で止まった男 | あなたの夜を埋める物

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070930コサージュ
「とりあえず、動きやすいスーツスタイルで式に行くことにしたのでネットで素敵なコサージュ購入。」

11月に父親と2人で従姉妹の結婚式に大阪へ行くことになった。

本来なら各家1人、血の濃さから行くと従姉妹にとっては本家の生き残り、ただ1人の叔父である父ひとりが行けば十分なのだが、うちの親族たちは2~3年に一度、しかも葬式と法事の時しか親戚達と会わないので、のちのちのことを考えると親戚付き合いもしておかなくてはねと、私も行くことにした…というのが表向きの理由。

昔々のこと、東京に住む従兄弟の結婚式で親戚たち数名と空港に降りた途端、父だけが止められた。
その当時オウム事件であらゆる公共施設が厳重警戒をしいていた頃だったので、白のスタンドカラーのシャツにデパートで礼服を買ったときに入れてもらったうっすいスーツ袋ひとつという軽装が怪しまれたらしく、ボディチェック中に父が冗談で「これはオウムのあれか?」と係員に聞いたところ、「まぁ、それもあるんですけどね……」

普通に麻○やらナントカを持っていそうなヒトに見られたのだ。「遠くで親戚や兄や祖母(母親)が心配そうにこっちを見とってなあ、ハッハッハ」とか笑い事じゃねえよ( ゚д゚)!

その他、「どこでも禁煙が当たり前の平成の時代にフェリーターミナルで普通に煙草をふかしていたのに、周りにいた客からすぐ側の売店の店員さんまで、父が煙草を吸い終わり本人が気付くまで、誰一人声をかけてくれなかった」、「お通夜中に“キューピー3分クッキング”着メロを鳴らした」 などの伝説をこれ以上増やすわけにはいかんのだ。
さらに、うどんの国の小さな島育ち、車の免許を取る歳にはすでに車の運転をマスターしていたため、汽車電車に縁が無く、ましてや自動改札や高速バスなど1人ではとても乗れない、昭和で常識が止まっている父親のことを考えた結果「また親戚そして世間様にご迷惑をかけてはいけない!」と10月に2回大阪に行く予定なのにもかかわらず、くましろ家の沽券を守るべく立ち上がったわけである←おおげさな。

「お前がついてきてくれるなら安心だ、バスの予約から何まで全部やっといてくれい」と言われ「バスのチケットくらいは自分で持って乗ってよ」と言ったら、母がぼそりと「いや、このおっさんに持たすと、無くすよ」。

多分、今回も、なんか、起こすな、このおやじ。