(326)行灯と隠し妻 | 江戸老人のブログ

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この国がいかに素晴らしいか、江戸から語ります。



(326)行灯と隠し妻

 

 江戸時代、日が暮れると行灯をともします。蝋燭だってありましたが、此れは高価で庶民人は使えません。ところで、行灯の四面に張られた紙をよく見ると、男やもめの家と、主婦や娘など女性がいる家では、歴然とした違いがあります。

 

行灯へ疵をつけぬが嫁の疵

 

 普通の家庭では、昼または夜、針仕事をしている女が、途中で何かの用事があって縫い物を中断する時には、糸の付いた針を行灯の紙面に刺す習慣がありました。用事が済んで帰ってきても、何しろ暗いですから、針が何処だかわからない。これを避けるため、行灯の紙
に差しておけば、目立つからすぐに分かる。
 

 戻ってくると直ぐに紙面から針を抜き取って、また運針に精を出します。行灯はとにかく暗いので、針仕事のときは覆いの紙をどける細工が施してあり、直火で針先を見たとの記述があります。
 これは江戸の女達の、ごく一般的な習慣でした。ところが女郎から身請けされて家庭に収まった女は裁縫ができなかった。女郎という者は十五、六歳から遊郭での生活を始めますが、そこでは針仕事は一切しません。要するに女郎上がりの主婦は運針を全く知らないのです。
 
 ここでご注意して置きますと、江戸時代は女郎上がりであっても、一向に差別のようなことはありませんで、人柄がよければOKですし、悪ければアウト、何の商売からでも同じでした。この辺りが現代とは少々異なります。裁縫を全く知らぬ女郎上がりの女は、姑からも「早く、裁縫を覚えなさいね」などと責められることになります。

 したがって、「(行灯に)疵をつけぬ嫁」とは、女郎から身請けされて裁縫ができない嫁でして、裁縫ができないということは嫁としての瑕疵(欠点のこと)となります。行灯に疵をつけぬ嫁とは、「嫁の疵」となるといっています。

 次のような川柳はどうでしょうか。
 
行灯を蚊がなくなれば針で責め

 

 という川柳があります。短い夏の夜は、蚊が多くいますから蚊遣火をたくか、蚊帳をつってさっさと寝てしまいます。蚊がいない夜長の初冬になると、女達は裁縫にいそしみます。すると行灯は女たちの針仕事の針置き場になる、すると微小な針の穴が開く、という川柳ですね。

 

行灯に針はよしなと和尚いい

 

 当時、僧侶は肉食妻帯が禁止されていました。ところが裕福な僧たちは、隠し妻を持っていました。この隠し妻を大黒(だいこく)と呼びました。
 かなりな美女などを密かに寺に居住させ、女色を楽しんでいた者が多かった。
 僧侶が妻を娶っていくばくもない頃、「大黒」さん、住職の目前で裁縫をしていて、いつもの習慣で、行灯に針を刺そうとする。すかさず「行灯はやめておけ!」と僧がいう。
妻もはっと気づいて「ああ、そうか」と納得する。

 つまり檀家連中が寺にやってきたときに、たまたま行灯に眼をやると、小さい穴がたくさん開いているのに気づきます。すると、
 「あれ、この和尚、普段から謹厳実直で修行にもよく励むと思っていたが、隠し妻がいるんだな」と悟られてしまう。
 そうなっては信用が台無しになるので、住職はたちどころに、妻に注意を促した、というお話です。

 


『江戸庶民の驚く生活考』 渡辺信一郎著 青春出版社 2003年