(327)江戸・上方の飯の炊き方 | 江戸老人のブログ

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(327)江戸・上方の飯の炊き方

 


 江戸時代までに一日三食の習慣が定着したらしいのですが、じゃあ、江戸で飯の炊き方はどうだったか。付随する他の慣習と共に『守貞漫稿』を見てみます。

 

 平日の飯は京阪は昼に炊き、ひるめし、あるいは中食(ちゅうじき)と呼んでいた。昼飯には煮物、とか魚類、又は味噌汁など、二三種を合わせ食す。
 

 江戸は朝に炊き、味噌汁をあわせ、昼と夜は冷や飯となる。昼は一菜をそえる。蔬菜、あるいは魚肉など、必ず昼飯に出す。夕飯は茶漬けに香の物を合わせる。京阪も朝食と夜食には冷や飯だが、茶、香の物などをつけた。

 

 江戸と上方の違いが濃厚な箇所は、江戸庶民は朝にその日一日分の飯を炊き、味噌汁も食べる。昼と夜は冷や飯である。昼の冷や飯には惣菜や目刺などを添えておかずとする。夕食は冷や飯のままでは冷たいので、茶漬け飯にして、香の物を添える。

 上方は、昼に一日分の飯を炊き、夜は茶漬けとし、朝は茶粥にする。すなわち夜につかった茶葉を再利用して塩を加え、冷や飯と共に再び炊いて、茶粥とする。
 

 江戸も上方も寒期に冷や飯を食べる工夫として、茶漬け、または茶粥とする。ともかく、江戸庶民の家庭には、日中でも飯がお櫃(ひつ)の中にあり、いつでも飯は常備されているのが普通だった。
 
飯櫃へ顔を突っ込むつよい暑気

 夏期には飯櫃に蓋をしないで、風通しをよくする為に簀や、ふきんなどをかけておく。ところが蒸し暑い日中にはすえてしまう事がある。そんな時期は食べる直前に、飯櫃の中に顔を入れて飯のにおいを嗅ぐのである。
「何とか食えるかな」と変質していないかと確かめる。「強い暑気」が続くので、飯の腐り加減を確かめる動作が「顔を突っ込む」ことなのだ。
 当時の猛暑の時期には、庶民達はこんな苦労をしているという一転描である。
 

 長屋の住人たちは、お互いに助け合うという「相身互い(あいみたがい)」の精神があった。そこで飯が足りなくなると、貸し借りを行う。

 

あいにくと言い言い飯を借りに来る

 

家庭の主婦たるもの、その日の飯が足りなくなるのは、配慮が行き届かぬ事になるので、隣りに飯を借りなければならない事態になると、それ相応の理由をつけて飯を借りに来る。
「何ね、うちの倅が寺子屋の帰りに、友達を二人も連れてきてね、飯櫃の冷飯を平らげちまってね、晩飯が足りないのさ。明日返すからちょっくら貸しておくんな」
「おや、とんだ計算違いだね。いいよ、持ってゆきな。今日はたっぷり炊いてある」
 

 こんな状態が長屋の嬶(かかあ)たちの日常なのである。
「あいにくと言い言い」という表現に、「済まないね」と何度も頼み込む主婦の姿態が窺える。この句から十一年後に「いくたて(いきさつ)を言い言い飯を借りてくる」という一句が詠まれている。飯の貸し借りは当たり前だったという証になろう。
 

 この「相身互い」については、随筆の『多波礼草(たわれぐさ)』(寛政元年~1789)に、
 世の中の、あひもちなりと、いやしきことわざにいへる。まことに道にかなへることばるべし。(略)薬材器用をはじめ、大事小事ともに、たがひにたすくる事多し。とある「世の中は相もち」(「世の中は相身互い」と同義)とは、人々は互いに助け合い、分かち合うようによって、円満に事が運ぶという意であるが、これが人間の道理に合致した教理であると説いている。

 この精神が庶民たちの中にも浸透し、困ったときはお互い様という相互扶助が出来上がっていた。これに付随した俚諺に「借りて七合、済す(なす)八合」というのもある。「済す」は返済。米を七合借りたら、それを返済する際には感謝の気持ちを加えて八号の米を返すべきであるという。


『大江戸庶民の驚く生活考』渡辺信一郎著 青春出版社