(141)小便から黒色火薬 | 江戸老人のブログ

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(141)小便から黒色火薬

 

 合掌造りで有名な岐阜県白川郷、実はもうひとつあって富山県の五箇山(ごかやま)集落にも合掌造りがあり、こっちのほうが本物らしく個人的には好感を持っています。白川郷ですと商売熱心はいいんですが、「もうちょっと訪問者も大事にしろや」、という印象が。
 
で、富山県・五箇山を先日訪れたんですが、なにせここに慶長十年(1605)の古文書が残っているとかで、「黒色火薬の作り方が書いてある」というのであります。で、五箇山の博物館らしき合掌造り一棟を見学したけどよく分からない。
 
 筆者は化学に極めて弱く、理解不能でありましたが、五箇山では火薬を「小便を発酵させてつくった」との知識をパンフレットの記述から得まして、で、帰宅してからイロイロ調べたら、発酵食物研究の第一人者、いつも著書を引用させていただいている「小泉武夫先生」と遺伝子の研究で有名な「日高隆敏先生」との対談の中に細かく書いてあるのを発見しました。で、嬉しくなりまして、「亀の子マーク」は勘弁していただき、文章でご説明を。実際にお作りになると犯罪となりますが、まあ、不可能と判断してそのままに。良い子の皆さんは絶対に真似しないでください。

 全体をはじめに述べておきますと、越中五箇山地方に伝承されている話でして、村人の小便をすべて集め、囲炉裏周辺の床下に穴を掘り、その中にイナワラとかヨモギなどを乾燥した草、さらにはカイコのフンや、鶏のフンをバーンと入れる。で、そこに村人(多分・一年分)の小便をいれるんですね。
 
 次にこれを密閉しておきますと、囲炉裏からの地熱で発酵するんですと。まず、尿素(CO(NH
2 ) 2)が【土壌微生物】に分解されましてアンモニア(NH)になり、これが酸化されて一酸化窒素NO)、さらに酸化が起こりまして過酸化窒素(NO)になると書いてあります。
 さて、これに水がつきますと硝酸(HNO
3)になるんですと。
 このまま五年から六年過ぎたら、これを全部掘り起こす。で、これを漉(こ)して釜で煮詰めまして、途中で灰汁(あくじる)を入れるそうであります。灰の主成分はカリウムKなので、これが硝酸と結合して硝酸カリウム(KNO
3)になるんですと。それをずっと濃縮していきますと結晶ができます。すなわちこの結晶が【黒色火薬】であります。
 

 で、これをそっと真綿に沁みこませて加賀藩の前田のお殿様の所へ極秘で持っていったというのであります。何しろ秘境であります。1543年に例の種子島に鉄砲がやってきまして、鉄砲はあるんだけど火薬がないぞ・・・・・・といったタイミングでこれをやったとか。
 すべて調べましたが、小泉先生は、これは日本人の独創と断定小便で【爆薬】つくる民族がいるか?と。奇跡の発酵なのであります。

 先生が補足説明をされていますが、キーポイントは【堆肥】だろうと。昔は食べ物の残ったのとか、イナワラとかなんかをみんな積み上げて発酵させて堆肥を作りました。その時にですね、どこかの家が糞尿をその上に撒いたのではないか? 堆肥は三年くらい発酵させますから、その間に、今度はどこかの家の風呂場とか、カマドの普請があって、大量に出た灰をその堆肥の上にボワーッ、ボワーッっと入れたと思うんですよ。

 で、雨が降ってきまして、灰がずうっと下に溶けて侵入していく。その堆肥をどんどん使い始めて、いよいよ下のほうに溜まっている硝酸カリウムの濃度の高い所まで掘り出してきたときに、みんなで農作業の帰りかなんかに「この辺で一服やっぺか?(何故か急に茨城訛りが・・・・・・)」って、誰かが煙草か何かをプカーッと吸って、火のついた吸殻をポイッと捨てたら、カーン。これしかないと思います・・・・・・という小泉先生の推理。案外あたっていそうな気がします。
 
 そうすると、「何だ何だこれは。この堆肥を作ったときに、佐久衛さん、お前は小便を入れたか?」、「うん」、「権兵衛、お前は灰を入れたか」、「いれただ」、「じゃあもう一度再現してみよう」。そしたらまたバーンと。今の我々は物質文明の中に生きているから気づかないけれど、彼らにとって見れば不思議なことや魅力あることは何でもヒントにしたと思うんですね


日高敏隆;いや、僕はいつも、その発想というのがいったい何処から出てくるのかな、というのが気になるわけですよ。しばしば文化人類学だとか文明の話になると、何のルーツはどこだと、すぐにそうなるでしょ。元はどこで、どういう経路で伝わったと。しかしそれは発明した人に対して失礼ですよね。別に伝来しなくたって、チャントそれを発明していますよ

小泉;(拍手して)大正解!。日高先生大好き(笑)。われわれ現代人が、われわれの世界でものを考えているから、何が何処からどう来たかというように。文化の伝播(でんぱ)が公式のようになっていますが、そんなことはない。古代人はすごい努力をして、ちゃんと一つ一つの世界を自分たちで作ったと思う。さまざまな文化は必ず一箇所が発信源だなんて公式などありえない。日高;そうそう、すぐ、日本は周辺文化だから、みんな中国や朝鮮半島から来たという風になるわけでしょう。小便から火薬を作る話だって、これはもう凄い観察力ですよ。
(中略)

小泉; 中国 という国は新の始皇帝や兵馬俑(へいばよう)、万里の長城を見ても、みんなが凄い国だと思う。じゃあ日本の縄文人は何も考えつかなかったのか。そんなことはないでしょう。日本は「凄い遺跡」があまり残っていないではないかと。でも、中国 は石の文化だから残るだけの話で、日本は木の国で、木というのは土のなかに埋もれて三百年過ぎたら何の形跡もないんです

 それでもって「証拠がないから歴史がない」なんて決めつける考え方は、僕は絶対いやですね。学問はもっと自由であっていいと思うんです。そのほうがロマンがあるじゃないですか。


(「茶の湯」は我国が元祖だとか、馬鹿をいう国には「発明者への礼儀」が存在しないんでしょうな:筆者)


引用図書:『発酵する夜』小泉武夫 光文社知恵の森文庫 2008年