『料理物語』考
江戸時代になると文化が隆盛し、食文化の上でも「料理本」は量が多くなります。全部で数十冊を超え、その中でも次の三著書が重要だと書いてあります。
①『料理物語』 ②『素人包丁記』 ③『年中番菜録』
このうちの『料理物語』について書きますが、この本の奥書(おくがき)に「寛永二十○未暦極月吉日」とあり別名は「寛永料理物語」ともいうそうだ。『料理物語』の著者は匿名ですが、出てくる菓子が御所(ごしょ)で愛好されたもので、上方(かみがた)でのことに間違いがないという。
たとえば①御所様餅 ②近衛様餅などの菓子が出てくるが・・・二つとも上方文化のもので、村田珠光(利休の先人)の影響があるとのこと。また次の逸話が載っているそうだが、有名な話で、関西圏の話と推理できるらしい。チョッと書いておくと、
信長と料理人、坪内某(三好家の包丁人)の話。
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だいたいお分かりになるから途中を略して訳さないが、「信長が不味いといったら、もう一度チャンスをくれといい、二回目は塩辛い味付けで美味いといわせ、信長を『田舎者め!』と密かに馬鹿にしたとの話でかなり知られております。武士は身体を使うから塩気が必要なんですが・・・」
『料理物語』から面白い記述を引き出しご紹介すると、
明和8年(1771)「卓袱会席趣」では、
序文の中で「唐(中国
)の猪豚の肉を食べるのは、米の味が悪いからだ。日本の米は万国に勝って味が良く、肉の脂の力を借りるには及ばない」などと力んでいる。
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19世紀はじめ、ももんじ屋(獣肉店)では、たぬき汁を食べさせたようで、人気があったらしい。想像するに、そうとう臭かったと思うが、好みが違っていたのかもしれない。
そうはいっても獣肉は、【けがれもの】だから清浄なものと一緒に煮焼きすることを嫌った。具体的にいうと、火も鍋も別にしていた。(「火を別に」にご注意)。
江戸時代の料理本で、獣肉に触れたのは「料理物語」以外には存在しないそうだ。料理本の中でも、とてもリアルで、特殊な位置を占めているという。下のようなレシピが紹介されている。抜き出すと、
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鹿汁 貝焼き、炒り焼き、干物にしてもよい。
たぬき汁 山椒味噌の田楽に。
猪汁 田楽 菓子(この菓子は意味不明)
ウサギ汁 炒り焼きに。
川うそ 貝焼き 吸い物
熊 吸い物、田楽
いぬ 吸い物 貝焼き
大陸人は獣肉を食べており、日本人との違いが大きい。大和民族は獣肉を食べない。そのため感染症に弱く肺結核 などが多かったらしい。違った民族と考えたほうがいいようだ。
江戸時代に、獣食のレシピなどを書いた本は「料理物語」だけで、その後一切見られなくなるという。何かあったのかもしれない。獣肉は汁物にすることが多かったらしい。たとえば、
▲たぬき汁
野走り(狸のこと?)は皮をはぐ。みたぬき(アナグマ・イタチ科)は焼き剥ぎにするとよい。味噌汁に仕立てる。つまはアイ
コン(大根?)、牛蒡、その他色々。吸い口はニンニク。出しに酒汁(味噌汁などに調味料として加える酒を酒塩という)を加える。
▲鹿汁 薄味噌汁に、仕立てる。「つま」は色々入れる。吸い口は、にんにくまたは胡椒。
「料理物語」だけに見られるタヌキ汁や鹿干し肉などは、おそらくマタギの風習から知った知識だろうという。珍しい話としては、宮廷貴族は獣肉を食べていたと思われるとのことだ。細かく見ていくと、
獣肉食の風習が京都にもあった。古代法典の『延喜式』に猪や鹿の肉が記載されている。脯(ほじし)→薄く裂いて干した肉のこと。すると古代から14世紀までの宮廷貴族は、公然と獣肉を食べていたことになる。
他に書かれていることだが、何度も肉食が禁止されたのは、誰も守らなかったから、との説もあるし、もう一つは貴族たちが狩を行うと、馬を使って大掛かりなものとなり(巻き狩り)、平気で畑を踏み荒らすから、農作物が被害を受けたためとの説もある。
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削り物、の分類があり、これは古代からの伝承食品だそうだ。
カツオ、アワビ、サケ、タコ
、イリコなど干して固めた物を削って食べるのだが、平安朝の大臣たちの宴会に欠かせないものという。加工法としては干物に含まれる。
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伝統的和食では、包丁がいちばん偉いとされる。昔から、煮たり焼いたりの仕事は包丁の技より低く見られた。鯉を食べ、包丁の技を評価し、味は後回しだったらしい。味覚オンチだったのか?
『徒然草』 に「園別当入道基藤」が包丁の名人で「百日の鯉」の話があるらしいのだが、基藤さんが切った鯉をいったんさげ、台所で働く召使が煮焼きしたそうだ。いくら包丁を大事にしても、料理の味付けは気にしていないようだ。
また広島藩の儒者、頼 春水(頼 山陽の父)は出雲藩の包丁人「広島幸右衛門」の包丁の技に感心し、『霞関掌録』に書き留めている。ここでも鯉の刺身を食べるのに、味の良し悪しより包丁の技を評価したらしい。どうもピントこないのだが。
話題が変わるが『料理物語』の作者は署名を入れなかった。つまり匿名で書いた。「料理は人々の作り次第のものである」とあるから包丁重視への批判か?とも思えるそうだ。刺身を第一とする日本料理とは、「包丁の切味」で決まり、「鯉はどう切ってどう並べるか」「鶴の料理で将軍を迎えたときは?」「婚礼の場合はどう切るのか?」いちいち細かな決まりごとがあったという。これは門流の秘伝とされたが、やがて消滅したという。そりゃそうですよね。
▲貝付け→カイツケ という項目があり、これはアワビの異名という。貝をつけたままの料理とか。また、「クシアワビ」とは「干しアワビ」のことだという。カイツケとは、味噌の澄まし汁でやわらかく煮込んだアワビのことで「たれ味噌」を使ったそうだ。これは今でも美味そうだ。「たれ味噌」とは今の「たまり醤油」に近いもので、だし汁で味噌を濃い目に溶き、袋に入れてから吊るし、自然に垂らした澄まし汁のことというが、醤油のように煮物に使ったそうだ。
▲日本の儀式料理では、奇数が原則という。七五三で構成し九は除くという。たとえば七五三本膳式などといったらしい。
▲『料理物語』第三の川魚の「サケ」の項目では、サケは蒲鉾の材料にもなったと書いてある。
その他、鮭はよく使われ、焼き物、なます、すし、はらら汁、かまぼこ、炒り焼き、なまひ、その他色々とあり、塩引き魚、開き、さかびて、同からざけ、水あへ、色々に使ふ。とあるそうだ。「杉焼き」とは実際は煮物で、「杉焼き」といえば他の魚は使わず鯛に決まっていたという。
タイや、アカガイや、ビゼンクラゲなどを盛り上げた会席料理は、それだけでも山海の珍味だったという。慶安3年(1650)の時点では、「美味珍膳」と形容するにふさわしい会席という。
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タイを厚く作りをく。だしに味噌をこうだて(濃くたて)鍋に入れ。煮えた頃箱に入。先ほねかしらを入にる(煮る)身は入れ候でやがてより。どぶ(どぶろく)をさしてよし。かき、蛤、たうふ(豆腐)、ねぶか。其の他作り次第に入也。久重茶会記 天文11年(1542)卯月四日。なんだかよく分からないが、何となく美味そうだ。
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柳生但馬守宗矩(やぎゅうたじまのかみ・むねのり)と十四谷宗五の会席のレシピが紹介されている。一見、質素に見えるが、千利休が聚楽第で天正18年の夏から19年の正月にかけて開いた『利休百会記』の献立もこれと大体同じという。これでも当時は大変なご馳走だった。客のリストに織田長政、松屋源三郎久重をいれて四人とあるそうだ。
正客は大和の国戒重藩(奈良県
桜井市)一万石の藩主、亭主(招く人)は奈良奉行の中坊長兵衛とあり茶会も奈良で行われたそうだ。そうとう高級料理のはずだ。
タイ・ナマコ・アカガイ・唐クラゲ・栗生姜(千切りだろう)蕪薄く切りて・芋の茎
飯とあるそうだ。
武家の茶会は、茶そのものより酒宴に比重がかかる。「料理立て」を重んじる方向へ変わっていったのだろう。武家流
茶湯の料理建てでは、高級料理は海の魚だが、川魚の「鯉」は海の魚よりさらに上だったという。但し,鯨は鯉より先に出しても良かったほどの高級料理だったらしい。鯨は希少だから価値があったのだろう。
皮クジラ(脂身) 身クジラ(赤身)
「松屋会記」以降、会席にはクジラ料理が出てこない。捕鯨が盛んになったから珍しくなくなり、その結果でてこなくなったらしい。鯨料理の珍しいレシピでは、カブ
ラボネ(蕪骨)といい→クジラ頭部の軟骨を短冊形に刻んで漂白して,乾燥したもの。味は淡白で、肉部分とはやや異質な味という。
なんだかよくお分かりにならないと思いますが、『料理物語』を研究した方の著書から何となく雰囲気がわかるところを引用させていただきました。江戸初期から中期の料理がどんなものだったか、雰囲気だけ伝われば・・・と記しました。ご容赦のほど。
引用本:『料理物語・考』 江原 恵著 三一書房

