24年7月湖北省恩施5:三日目は山中の民宿到着+映画のロケにも使われた老屋基村 | みどりの果敢な北京生活

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10月12日。最高気温23度。最低気温8度。空気質量指数154。

昨日より続く。

朝7時に小王が私達の部屋に来ることになっていた。来やしない。8時になっても来ないので、私以外の三人が朝食に出た。そのあと、小王がやってきた。前日スマホで大きくかけていた音楽を鳴らしながら。どんだけ好きなのよ。「みんなご飯食べに行ったよ」と知らせると、「あ、そう」と出て行った。
 
私はリモート稽古。ダンナが適当に私の朝ご飯を買って来てくれた。食パンだけは食べられない。とりあえず、なんか小麦粉でできた辛いのを食べた。

 

出発。今度こそ山の中にある民宿へ。だって写生に来たんだから。目的地まで約50キロ。1時間以上かかる。辺鄙なところへ行くので、まずは食材を買おうとスーパーへ入る。

 

食パンだけあってもダメなので、マヨネーズが欲しい。店員に「有沙拉酱嘛?」と聞いたら、「」と言われたので、見てみたらケチャップしかなかった。「」なら何でもいいってワケじゃない。

 

見たこともないメーカーの日式カレールウ、タイ式カレールウはあった。っていうか、どんな食品を見ても見たことのないメーカーばかり。

 

途中、小王に電話がかかってきた。「あ、スーパーで時間がかかっちゃって。あと40分くらいかな」。相手は目的地にいる人だ。どういうこと?待たせてんの?鍵がない人?暑いのに、外で待っているの?他人事ながら心配になってしまった。

 

小王のスマホのナビを使っていたのだが、アニメ声。声だけでなく、話す内容も「〇〇だと私、困っちゃうぞー」などと言う。ロリコンなのか?

 

巨漢がランニングを着て運転していて、それでも暑がりだから、車内のクーラー効きすぎ。私は長袖を着て、帽子をかぶって、防寒。

 

到着!

 
待たせている人ってどこにいるんだろう??不思議。
 
車は民宿の近くまで行けるけど、最後は舗装されていない傾斜を上がる。トランクを持って上がるのはチト大変だった。

 

本当に民宿だわ。行くまで信じていなかった(おいおい)。

 

茶室。

 

これが私とダンナの泊まった部屋。一階の客室は一つ。

 

その奥にトイレとシャワー室が別々にあった。

 

二階に客室が4つ。

 

みんなが「どっちが北か」と言い始めた。北方の家の建て方は「坐北朝南」。南を向いていて、北は壁。北京の胡同の方へ行くとそうなっている。ところが地方は、北京のように碁盤の目の道ではないし、斜めの道がたくさんあるので、必ずしも南を向いて建っているワケではない。

 

横は竹林。北京だと寒すぎてちゃんと育たないから、少ない。

 
民宿は去年オープンしたばかり。小王は共同経営者となり、これからいろいろ手を加えていくという。たとえば、竹林には夜、緑色のライトアップを考えていると。ダンナ、え?って顔。私も同じく。何も言わなかったけど。

 

台所。小王は自分で料理が上手いと言っていたが、本当に美味しかったし、手際もいい。

 
昼はすでに書いた焖面

午後、5kmくらい離れた木造の村「老屋基村」へ。

 

」の花輪が多い。これは葬儀用。この村に限らず、葬儀屋が多いなと感じる。

 
ダンナ「死ぬ人が多いんだな」。え?どういうこと?
 
大于老杨は水彩絵の具を持って来た。ダンナは油絵を描く用意をした。「こういう木造の家、水彩に適す。油絵はダメだ」とダンナは言った。彼は山を描きたい。湖北省に来て三日目だけど暑かった。みなが「头伏だから」と言った。一年で一番暑い時期。
 
三伏……夏の最も暑い時期。夏至から数えて3番目の庚(かのえ)の日以後の30日間を指す。最初の10日間を「头伏」「初伏」、次の10日間または20日間を「二伏」「中伏」、最後の10日間を「三伏」「末伏」という。
 
头伏时间:2024年7月15日到2024年7月24日,共10天;
中伏时间:2024年7月25日到2024年8月13日,总共20天
末伏时间:2024年8月14日到2024年8月23日,共10天。
 
そもそも暑くて描く気にならない」とダンナ。「凉城って言ったじゃないか!どこが凉なんだ!」。
 

80年代からそのまま?みたいな商店があった。

 

 

2015年の映画『1980年代的爱情』のロケ地だった。

 

https://www.sohu.com/a/108754125_119778

流连《1980年代的爱情》拍摄地 穿越老屋基古街旧时光 

 

北京の古い家はレンガだから、こういう木造の家は見ない。宿へ戻る。午前中から待たせていた人は小王の友達で、ここの近くの人。近くと言ったって車で1時間くらいかな。中国人は「はじめまして」(とも言わないけど)のとき、名前も名乗らないし、「朋友」としか言わないから、何の知り合いかも、何の仕事をしている人かもわからない。私からも何も言わないけど。その人を「瑞さん」とする。

 

瑞さんは40手前かな。女性と一緒で、奥さんなのかな。午前早く着いたので、釣りをしていたという。そして獲れた魚を調理すると言う。私は食器を運ぶくらい。料理は小王と瑞さんと同伴の女性が作った。味はみないいが、塩分が多い。

 

これ、怖くて食べられなかった。黒いのは魚なんだけど、金魚みたいな魚。泳いでいるのではなく、石にくっついているのを剥がしたと言う。

 

小王との共同経営者がやってきた。公の役職に就いている人だ。湖北省だけど、すぐ西が重慶。以上三人、このあたりの出身だけど、話す言葉は重慶語だと言っていた。そして何でも辛い。四川料理だもんね。小王がほとんどの料理に老干妈を大量に入れていた。

 

食後、当然のように席上揮毫。私が書いて差し上げる。書道用具一式と紙も持って来た。ハサミがないので、ダンナが中華包丁で切る。

 

名前も知らない人になんで書くんだろうって思わないことにした。ダンナは私の印を持って来ている。そしてダンナが捺す。すぐ乾かないし、この人達「また後日来るから」と、床に置いたまま。

 

瑞さんが「毎日臨書しています」。書道が趣味だと言う。中国人ってプロの前でも堂々と書く。上手だけど。日本人なら、書家の前で「練習してます」レベルの人が書かないよね。この度胸はいいと思う。

 

公の役職の人がダンナに「画家ならば見てください」と、倉庫にある大きな中国画を出して来た。70過ぎの人が描いた絵だと言う。私が見ても「きれいなだけで芸術性は高くない」と分かる。公の人が「行画」と謙遜して言うと、ダンナが「そんな言葉も知っているんですね」と言った。私、知らなかったわ。

 

行画……从严格意义上讲,“行画”艺术价值普遍不高、它属于油画工艺品。

芸術性は高くなくて、工芸品を指す。お土産屋に売ってそうな絵。

 

ここに泊まらない三人が帰る。北京から来た私たち、屋上でビール、お茶。

 

就寝。

 

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