出発。今度こそ山の中にある民宿へ。だって写生に来たんだから。目的地まで約50キロ。1時間以上かかる。辺鄙なところへ行くので、まずは食材を買おうとスーパーへ入る。
食パンだけあってもダメなので、マヨネーズが欲しい。店員に「有沙拉酱嘛?」と聞いたら、「有」と言われたので、見てみたらケチャップしかなかった。「酱」なら何でもいいってワケじゃない。
見たこともないメーカーの日式カレールウ、タイ式カレールウはあった。っていうか、どんな食品を見ても見たことのないメーカーばかり。
途中、小王に電話がかかってきた。「あ、スーパーで時間がかかっちゃって。あと40分くらいかな」。相手は目的地にいる人だ。どういうこと?待たせてんの?鍵がない人?暑いのに、外で待っているの?他人事ながら心配になってしまった。
小王のスマホのナビを使っていたのだが、アニメ声。声だけでなく、話す内容も「〇〇だと私、困っちゃうぞー」などと言う。ロリコンなのか?
巨漢がランニングを着て運転していて、それでも暑がりだから、車内のクーラー効きすぎ。私は長袖を着て、帽子をかぶって、防寒。
到着!
本当に民宿だわ。行くまで信じていなかった(おいおい)。
茶室。
これが私とダンナの泊まった部屋。一階の客室は一つ。
その奥にトイレとシャワー室が別々にあった。
二階に客室が4つ。
みんなが「どっちが北か」と言い始めた。北方の家の建て方は「坐北朝南」。南を向いていて、北は壁。北京の胡同の方へ行くとそうなっている。ところが地方は、北京のように碁盤の目の道ではないし、斜めの道がたくさんあるので、必ずしも南を向いて建っているワケではない。
横は竹林。北京だと寒すぎてちゃんと育たないから、少ない。
台所。小王は自分で料理が上手いと言っていたが、本当に美味しかったし、手際もいい。
午後、5kmくらい離れた木造の村「老屋基村」へ。
「奠」の花輪が多い。これは葬儀用。この村に限らず、葬儀屋が多いなと感じる。
https://www.sohu.com/a/108754125_119778
流连《1980年代的爱情》拍摄地 穿越老屋基古街旧时光
北京の古い家はレンガだから、こういう木造の家は見ない。宿へ戻る。午前中から待たせていた人は小王の友達で、ここの近くの人。近くと言ったって車で1時間くらいかな。中国人は「はじめまして」(とも言わないけど)のとき、名前も名乗らないし、「朋友」としか言わないから、何の知り合いかも、何の仕事をしている人かもわからない。私からも何も言わないけど。その人を「瑞さん」とする。
瑞さんは40手前かな。女性と一緒で、奥さんなのかな。午前早く着いたので、釣りをしていたという。そして獲れた魚を調理すると言う。私は食器を運ぶくらい。料理は小王と瑞さんと同伴の女性が作った。味はみないいが、塩分が多い。
これ、怖くて食べられなかった。黒いのは魚なんだけど、金魚みたいな魚。泳いでいるのではなく、石にくっついているのを剥がしたと言う。
小王との共同経営者がやってきた。公の役職に就いている人だ。湖北省だけど、すぐ西が重慶。以上三人、このあたりの出身だけど、話す言葉は重慶語だと言っていた。そして何でも辛い。四川料理だもんね。小王がほとんどの料理に老干妈を大量に入れていた。
食後、当然のように席上揮毫。私が書いて差し上げる。書道用具一式と紙も持って来た。ハサミがないので、ダンナが中華包丁で切る。
名前も知らない人になんで書くんだろうって思わないことにした。ダンナは私の印を持って来ている。そしてダンナが捺す。すぐ乾かないし、この人達「また後日来るから」と、床に置いたまま。
瑞さんが「毎日臨書しています」。書道が趣味だと言う。中国人ってプロの前でも堂々と書く。上手だけど。日本人なら、書家の前で「練習してます」レベルの人が書かないよね。この度胸はいいと思う。
公の役職の人がダンナに「画家ならば見てください」と、倉庫にある大きな中国画を出して来た。70過ぎの人が描いた絵だと言う。私が見ても「きれいなだけで芸術性は高くない」と分かる。公の人が「行画」と謙遜して言うと、ダンナが「そんな言葉も知っているんですね」と言った。私、知らなかったわ。
行画……从严格意义上讲,“行画”艺术价值普遍不高、它属于油画工艺品。
芸術性は高くなくて、工芸品を指す。お土産屋に売ってそうな絵。
ここに泊まらない三人が帰る。北京から来た私たち、屋上でビール、お茶。
就寝。