2024年4月保定旅行3:河北料理「牛肉罩餅」+蓮池書院+宮島詠士の功績 | みどりの果敢な北京生活

先一昨日より続く。

漢墓を見たあと、近くで昼ご飯。できれば現地ならではの食事をしたい。保定といえば「驴肉火烧」。ロバの肉。北京にもあるし、食べたことある。食べなくていい。「河北菜」で検索した店「直隶安家罩饼」へ徒歩で移動。線路渡ってすぐ。

 

 

入口。

 

二人だから二つ。名物「牛肉罩饼」とこれも有名だという「鱼香肉丝」。

 
これまで食べてきたと鱼香肉丝と違うのは、具材が細い。甘い。色が醤油色でない。保定のはそうだとネットで確認した。でも、「砂糖と塩」を入れるところ、「砂糖と砂糖」を入れたと思える味だったので、服務員に「塩をもらえますか?少しでいいので」と言うと、皿を取り「すぐ取り替えます」って言うから、「取り替えなくていいです!」。「いや、取り替えます」。苦情をネットに書かれると困るから??「本当にいいんです。ただ塩をください」と言った。塩を足して食べた。私は今まで食べて来た鱼香肉丝のほうがいいな。
 
牛肉罩饼」は美味しかった!スープが日本のラーメンのような。でもちょっと兰州拉面のような。私は兰州拉面は麺もスープも好きでないが。THE中国の本場の中華の味、結構好きじゃない。よく30年以上住んでいるよな。
 
牛肉罩饼」は肉との量を選べる。
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1※1は肉1枚、1枚。ほかにたくさん料理を頼み、ちょっとだけ食べたいなら、一番少ないこれにするだろう。私は迷うが、娘は即決。「お肉を他に頼むから、こっちは肉が少なくていい。主食はが3つあれば足りる」。一番無駄がなく安い方法。こういうときの頭の回転がすこぶる速い娘ちゃん。
 

車を呼んで「莲池书院」へ。

 

正しいかはおいといて、日本語があった。

 

私は1992年か1993年、語学留学時にここへ一回旅行で来ている。でも中がどうだったかまったく覚えていなかった。石刻は入って右(西)と左(東)にある。

 
古典の有名な書作品を刻してあるのだが、たとえば董其昌。

 

東碑廊ではこれが一番有名だと書いてあった。龍飛。康熙帝の字。

 

図書館。「暂不开放」と書いてあった。以前は中に入れたのかな。入ってみたかった!

 

 

 

蓮の時期は結構な人が訪れるだろう。

 

 

入口と出口が一緒。入口(北東)にも石刻があったが、反対側(北西)にもあった。しかし工事中でを入れず。

 

一箇所上がれるところがあるので、上がる。これは修復してなくて、渋いいい色なんだが、この真下を修復しているということは、ここもピッカピカになってしまうのかもしれない。

 

 

 

化石。怖い。

 

書道に特化した日本発行のガイドブックを持っているのだが、保定は「满城汉墓」とここが載っていた。ここはさまざまな石刻と、この石碑を見るべき。「张裕钊ー宮島大八」が師弟関係であったという記念碑。近くに展示室もある。

 
宮島大八
宫岛咏士(1867-1943),日本书法家,名吉美,号勖斋,通称大八,又称宫岛大八,日本米泽市人。父宫岛吉久(又名宫岛诚一郎,字栗香)为米泽藩士。明治初结成兴亚会,为贵族院议员终。1884年,宫岛咏士在东京外国语学校中国语科毕业。1887年赴清,师从保定莲池书院院长张裕钊。随至武昌、西安,张裕钊为曾国藩高足,以北碑书法闻世。宫岛咏士学得精义,1894年回日本,开中国语塾归咏舍,后改善邻书院。以院长终。曾为东京大学、东京外国语学校讲师。
 

宮島詠士は、明治から昭和前期にかけて活躍した書家、教育家。山形県米沢の出身。名は吉美、通称は大八、詠士は字で、号に詠而帰廬主人がある。

詠士は明治37年(1904年)に中国語の教科書『官話急就篇』を刊行し、中国語の私塾・善隣書院を創設して生涯その経営にあたるなど、戦前の中国語教育に大きな足跡を残した。また書家としても著名で、代表作『犬養公之碑』は日本書道史に異彩を放つ楷書碑として尊い。書の門弟に上條信山、藤本竹香がいる。

詠士は中国人を尊敬し、日中友好を強く望んだ。そして、「日中の真の友好はまず話し合うことだ。それには中国語の修得が必要だ。」と考え……。

 

大学のときに書道部に上條信山先生の弟子が結構いたし、「张裕钊ー宮島詠士ー上條信山」という師弟関係は常識として頭に入っている。

 
ここで撮った写真は个人图书馆に入れた。
 

<続く>

 

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