先一昨日より続く。
漢墓を見たあと、近くで昼ご飯。できれば現地ならではの食事をしたい。保定といえば「驴肉火烧」。ロバの肉。北京にもあるし、食べたことある。食べなくていい。「河北菜」で検索した店「直隶安家罩饼」へ徒歩で移動。線路渡ってすぐ。
入口。
二人だから二つ。名物「牛肉罩饼」とこれも有名だという「鱼香肉丝」。
車を呼んで「莲池书院」へ。
正しいかはおいといて、日本語があった。
私は1992年か1993年、語学留学時にここへ一回旅行で来ている。でも中がどうだったかまったく覚えていなかった。石刻は入って右(西)と左(東)にある。
東碑廊ではこれが一番有名だと書いてあった。龍飛。康熙帝の字。
図書館。「暂不开放」と書いてあった。以前は中に入れたのかな。入ってみたかった!
蓮の時期は結構な人が訪れるだろう。
入口と出口が一緒。入口(北東)にも石刻があったが、反対側(北西)にもあった。しかし工事中でを入れず。
一箇所上がれるところがあるので、上がる。これは修復してなくて、渋いいい色なんだが、この真下を修復しているということは、ここもピッカピカになってしまうのかもしれない。
化石。怖い。
書道に特化した日本発行のガイドブックを持っているのだが、保定は「满城汉墓」とここが載っていた。ここはさまざまな石刻と、この石碑を見るべき。「张裕钊ー宮島大八」が師弟関係であったという記念碑。近くに展示室もある。
宮島詠士は、明治から昭和前期にかけて活躍した書家、教育家。山形県米沢の出身。名は吉美、通称は大八、詠士は字で、号に詠而帰廬主人がある。
詠士は明治37年(1904年)に中国語の教科書『官話急就篇』を刊行し、中国語の私塾・善隣書院を創設して生涯その経営にあたるなど、戦前の中国語教育に大きな足跡を残した。また書家としても著名で、代表作『犬養公之碑』は日本書道史に異彩を放つ楷書碑として尊い。書の門弟に上條信山、藤本竹香がいる。
詠士は中国人を尊敬し、日中友好を強く望んだ。そして、「日中の真の友好はまず話し合うことだ。それには中国語の修得が必要だ。」と考え……。
大学のときに書道部に上條信山先生の弟子が結構いたし、「张裕钊ー宮島詠士ー上條信山」という師弟関係は常識として頭に入っている。
<続く>