定価120元の博物馆通票をまたまた買ってしまった。ネットで95元前後で売っている。私はアウトドア派なので(え?博物館はインドア?)、絶対に元がとれる。無料のところもずいぶん増えたんだけど、新しいところも載っているし、どんどん行ってみよう!
ということで、ネットで知った行ったことない「沈家本故居」へ。事前に電話すると「予約不要」。
地下鉄「宣武门」駅から徒歩7分くらい歩く。
中に入るといくつも展示室があって、それぞれの部屋にボランティアが複数いて、解説してくれる。
沈家本(しん かほん)は、清末民初の法律家。
1883年に進士となり、天津や保定の知府となった。1900年、山西按察使となるが、赴任しないうちに義和団の乱がおこった。八カ国連合軍が保定に入ると義和団を助けたと誣告され、入獄した。釈放後、刑部右侍郎、修訂法律大臣、大理院正卿、法部右侍郎、資政院副総裁などを歴任した。1911年には法部左侍郎と袁世凱内閣の司法大臣に任命された。
1905年には沈家本の建議で凌遅刑・梟首・戮屍・連座・刺青・笞杖などの酷刑が廃止された。また刑法の改定にも取り組み、新刑法の草案として西洋と日本の刑法を参照した『大清新刑律』を発表した。この内容の一部は旧来の『大清律例』に代わった『大清現行刑律』に取り入れられた。それゆえ沈家本は中国近代法制の開拓者とされている。
以上wikiより。これボランティアがそっくりこのまましゃべっていたわ。中国語出来ない人は日本語で理解してから行ったほうがいい。
本人の字なんだけど、とてもとても綺麗。科挙の試験に受かるくらいのレベルだから。
画像でかつての刑が紹介されていた。かなり残酷なのは撮らなかった。
沈家本故居に戻るが、会議室だった部屋。二階もあるが未公開。当時、二階建てはあまりなかったという。
中庭があり、奥の両脇も展示室。
参観終わり。何か飲みたい。カフェを目指して北上。自転車に載って、バス通り(宣武门西大街)を渡ると、向かいは新華社。
佟麟阁路を北上。右は新華社。
佟麟閣は中華民国の軍人。満州族。北京政府、国民軍、国民政府(国民革命軍)の軍人。wikiより。
『北京胡同』という本に佟麟阁のことが書いてある。内容はwikiと同じようなこと。詳細はここへ。抗日戦争で出血多量で死去。享年45歳。道に名前が付けられるほどの人物だからね。
佟麟阁路に模范书局がある。北京で四店目のここは始建于1907年的中华圣公会教堂旧址。教会だった。
SNS映えする。北京で一番美しい書店(之一)とも言われている。私、インスタグラムは書道限定にしないで、北京の街なんかを紹介したらいいのかもしれないけど、もうブログで手一杯。
カフェも併設。できたときはコーヒーが80元くらいだったが、安くなってないとねえ。確認しなかった。
同じ敷地に別のカフェがある。高くない。そこへ向かおうとすると、保安が「どこへ行く?」と聞くので、見えているカフェを指したら、「営業してないよ。今日は休みみたい」って。ネットで調べると「土日は休み」。そんな店あるんだ??そして保安も週末は休業って知らないんだよね。不親切以前の問題。
ここまで来たら「鲁迅中学」も寄ることをお勧めする。中には入れないけど。
『北京胡同』より抜粋。
元は1898年に創立された「国立北平女子师范学校」で、魯迅が1923年から26年、教鞭を執り、ここの学生であった徐广平と結婚した。1996年から「魯迅中学」に。
このあたりへ行ったことは過去記事にも書いた。
コーヒー求めて三千里、続く。