前回、学校の『気』について書いた。
学校にも会社にも『気』みたいなものが存在し、組織にいい『気』が蔓延すれば、その組織は成長するし、不況など社会情勢がよくなくても乗り切って行けるが、逆にトップが急にアホなトップに変わるなどすると、、今までどんなに上り調子だった『気』も、半年で地に落ちる、という話だった。
お分かりだと思うが、これは日本語学校のクラス内にも言えること。
クラスの指導者(担任)が、クラス内の雰囲気、学生個々の学習目的、性格、やる気・・・これらをあまり気にしないデモしか教師だったら?
クラスの『気』なんかどうでもよくて、ただカリキュラムとスケジュールだけ決めて、毎日教科書をさらっとやる、作業員教師だったら?
自分が知っている知識だけを垂れ流して、担当スケジュールをこなすだけのおもしろくな~い授業をしていて、そのせいで学生がやる気をなくしていても、ぜ~んぜん気にしない鈍感教師だったら?
今までクラス内の『気』が上り調子だったとしても、こんな学生不在の、仕事をしているフリで満足しているマスターベーション教師がクラスの担任になったら、担任が変わった途端に、クラスの『気』は、一気に下がり始める。
だいたい、1月から3月までは、1年で1番出席率が下がる時期、とか言っている学校があるらしいが、そんなの担当教師が学生をやる気にさせてないからじゃないの?
面白い授業、卒業してからもこの授業は絶対役に立つ!と学生に思わせる授業をしていれば、自然と学生は出席してくるよ。
進路が決まった今だからこそ、進度を気にしなくてもいい、学生のリクエストに答えた、教科書から離れた授業ができるんじゃない?
クラス全体の雰囲気がよくて、やる気のあるクラスなら、学生からどんどん、使えるいいリクエストが出てくると思うけど。
問題は、担当教師が学生をやる気にさせてるかどうかだよ。
まぁ、それは置いといて・・・。
逆に、クラスの指導者(担任)がいい先生で、いい『気』を作ることができれば、クラス全体が活気づき、盛り上がり、クラスの個々のメンバーのもともとのちからよりも、更に上の力を生み出すことができる。
話は変わるが・・・。
たとえばこんな学生。
国ではハシにもボウにもかからなくて、仕方なく来日。
親は、どこか日本の大学に入ったら学費を出してやるが、それができないなら、国に帰って来て、どこかに就職しろ!と言う。
しかし、日本語がちょっとできるぐらいで、国で就職なんかできない。
たとえできたとしても、つまらない仕事に決まってる。
じゃあ、日本で就職しようかなと思うけど、日本の大学にもピンからキリまであって、キリの大学だと、やはり就職は難しいらしい。
しかも、日本に来たのは10月。
ゼロの初級から勉強を初めて、12月の時点でまだ初級の半分も終わっていない。
4月入学の学生に比べたら、半年分も遅れをとっている。
初級が終わった時点で、命をかけなければならない6月のEJU(日本留学試験)まではあと2カ月ぐらい。
学内のEJUの日本語の模擬試験の点数は、現在のところ130点ぐらい。
さあ、先生!私をどっか大学に入れてください。
こんな感じの学生、あなたの学校にも5,6人転がってませんか?
図体はでかいけど、中身はまだまだママが頼りのお子ちゃまの学生。
でも日本の中より上の大学行きたいんだって。
あなたは、どこかの大学に入学するまで、こんな学生を導けますか?
これがもし、一般クラス、普通のクラスで普通に勉強しながらだったら、大学入学はかなり難しいだろう。
入れたとしても、日本人もあまり行かない、偏差値40のFランク潰れかけ大学ぐらいしか入れないと思う。
名前さえかけたら入れる大学。お金さえ払えば入れてくれる大学・・・。
金を捨てるようなもんです。
ところが、こんな学生でも、集団の力によって火がつけられたら、通常では登れないような山を登り始めたりする。
うちの日本語学校では、12月に全クラスの大学進学希望者を集めて、オリエンテーションをする。
これは、いわば決起集会。
これからのスケジュール、いつまでに何をするのか、いつになったら何を始めるのかなどなど。
そして先輩たちを例に出し、「最初は下位だったのが、こういう努力をしたら、ここまでになった。」・・・なんていうサクセスストーリーも交えたりして、その気にさせる。
最後に、「さて皆さんはやりますか?やる人は先生がとことん応援します。でもやらない人はこのクラスから抜けてもらいます。自分の力だけで、勝手に大学を受けてください。」という形で結び、火をつけた状態で終わる。
もちろんここで、火がつかな人もいる。でもそういう学生は、遅かれ早かれ「やっぱり無理です。」とやめていく運命にあるのだ。
そして年が明けて1月になったら、通常授業以外に、EJU対策授業が始まる。
総合科目の対策授業なんて、上は中上級レベルの学生から、下は前述の10月入学の初級クラスの学生までが、一緒に授業を受けるから、レベル差がすごいある。
ライバルの中上級クラスの学生たちの、日本語の実力や社会事情に明るい“大人”の部分を見せつけられて、下位の初級の学生は、ちびまる子ちゃんのように、顔に斜線が入ってる。
で、あとは「やっぱり無理です。」と、大学受験をあきらめるか、必死に目を吊り上げてついてくるか。
2つに一つ。
もし、うまく火がつけられたら、クラス全体が火の玉になって、まず6月のEJUに突進していく。
そしてそれで、スタートが初級でも、日本語は250点、総合科目は130点ぐらいを取れたら、あとはしめたもの。
まあその後も、志望理由を練って考えさせたり、小論文対策のためにあの手この手を使ったりと、受験担当クラスの教師の厳しい日々が続くが、今までの例でいくと、前述の初級の学生でも、本来一般クラスにいたら考えられないような結果を出して、自分の実力より2ランクUPの大学に合格している。
現に、この2月、明らかに授業後自習する学生が増えた。先生のところに質問をしに来る学生も増えた。
みんな下位の初級クラスだけど、大学進学を希望している学生だ。
これが集団の魔法。
周りがやっているから、自分もやる。
周りの『気』に自分ものせられる。
そして、ちょっとずつ前進するのがわかるので、自分もできるような気になってくる。
みんなといっしょならやりたい。ついて行きたい。そう思える。
これが、個人では得られないけど、集団の中にいたら得られる不思議なパワー。
しかしそのためには、勢いがあって、いい『気』を生み出す、いい集団、いいクラスを作らなくてはならない。
それが教師の実力。
チャンピオンスポーツの体育会系運動部経験者ならわかるだろうか?
この集団の魔法の魔力の強さを。
個人の実力よりも、上の力を生み出すことができる、集団のすごさを。
しかし、それを生み出すためのクラス運営ができる日本語教師が、なかなかいない。
いても、その学校や上司がそんな「集団の魔法」みたいなものに関心のない、N●VA日本語学校だったり、なんちゃって受験指導しかしない学校だったら、その教師がせっかく持っているすばらしい力は発揮できない。
せっかく持ってるのにな~~。ご愁傷様。
で、あなたはこの「集団の魔法」を、生み出すことができる教師ですか?