白隠禅師 | さいたま市の20年間で延べ約4万5千人の施術実績!パワースポットで整体&岩盤浴&メディテーション!   与野健康プラザのブログ

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「氣の良い場を創造する」をテーマにパワーストーン、備長炭、富士山の溶岩を配置した、
大人のくつろぎ空間!
氣・呼吸法・潜在意識を学び、メンタルを整える、充実したセミナー

皆さん  こんにちは


与野健康プラザの山口です


先日、

上野の国立博物館

禅に関する展示を見に行ってきました。


東京国立博物館 禅展  


天気もよく、

上野周辺をブラブラとした後、

ゆっくりと見て回ることができました。


なかでも、

江戸時代の中期の禅僧

白隠禅師の絵や書は

迫力ありましたね。


目がでかくぎょろっとした達磨の絵(朱達磨)が

有名ですが、


その他にも、

寿という字を100種類もの書体で描いた

ちょっと変わったものまであります。


※百寿福禄寿

最晩年83歳の作。「寿」は「イノチナガシ」と読まれ

長生き、つまり「永遠の生命」を表わす。



白隠禅師について


ウィキペディアを見ると・・・


駿河国 原宿 (現・静岡県 沼津市 原)にあった

長沢家の三男として生まれた白隠は、

15歳で出家して諸国を行脚して修行を重ね、


24歳の時に鐘の音を聞いて見性体験するも増長して、

信濃 長野県 飯山 正受老人 (道鏡慧端)に

あなぐら禅坊主と厳しい指弾され、

その指導を受けて修行を続け、

老婆に箒で叩き回されて次の階梯の悟りを得る。


のちに禅修業のやり過ぎで禅病となるも、

白幽という仙人より「内観の秘法」を授かって回復した。

その白幽子の机上には只「中庸」「老子」「金剛般若」

のみが置かれていたという。

更に修行を進め、

42歳の時にコオロギの声を聴いて仏法の悟り を完成した。」




禅を庶民のものとして

普及したと言われる

白隠禅師には、


禅のエッセンスを短い文章に

わかりやすくまとめた

坐禅和賛」というものがあります。


答えは近くにあるんですが、

どこか遠くを探していませんか?

という白隠禅師のお示しです。


そうですね。


声に出して読んでみてもいいですよ。