氣に関して
日本と中国での受け入れ方が
過去、異なっていたというのは
興味深いです。
氣と言えば中国が古代から
様々な賢人が文献を残していますね。
その氣に対するとらえ方は
物質に近いもの
触れ、操作できるものとしてとらえていました。
そのため仙道など氣を鍛錬して
不老長寿をめざすとか
様々な氣の実験が
積極的に行われてきました。
物質に近いものとしてとらえたため、
医療の分野でも臨床が進み、
東洋医学と言えば
中医学といえるまでになっています。
鍼灸や漢方のお世話になっている方も
多いのではないでしょうか。
翻って
日本は、どちらかと言えば
精神的なもの
とりわけ人と人の間を流れるもの
としてとらえていました。
なので日本では
「空気を読む」「察する」など
「気配り」のできる人が尊ばれてきたと言えます。
氣というものを
あえて訓練したり研究したりという面は
一般庶民の間には拡がらなかったですが、
文化としては浸透していました。
それは氣という言葉の多さからも伺えます。
明治大学教授の斎藤孝先生は、
著書「気の力」で、
日本語と気の文化の関係は深く結びついており
日本語を使うことが気のトレーニングになると言います。
「ある状況に対してどう思考し、
コミュニケーションにおいて
何を大切にするかという感覚は、
自分が体得している言葉や表現のなかから
醸成されていく。
自然に培われた感性だと
私たちが思っているものも
実際には言語感覚から来ているものが
非常に多い。
そして、言語は身体感覚と密接に結びついている。
私は、日本語が私たちのからだにつくりだす気のセンス
なかでも「気配り」「気遣い」「気働き」という感性を
高く評価している。」
江戸時代に活躍した近松門左衛門の戯曲には
「気」にまつわる用例が104か所にも及ぶそうです。
江戸時代の人は、
近松門左衛門によって
こと細かく表現された「気」に関する言葉を
感覚として知っていたということですね。
「気にまつわる言葉を豊富に知っていて
状況に応じて自在に使い分けられると
気のセンスもどんどん磨かれてくる。
気は目には見えないが
からだではっきり感じることができる。
そして、言葉によって微細な感覚をクリアに
識別することになる。
気をめぐる感性の細やかさこそ文化性であり、
長らく日本人の感性の核をつくってきたのである。」
「気」という文字が入った言葉
いくつ思い出せますか?
確かに一つ一つの言葉が
エネルギーを表しているのが
わかります。
普段から、もっと意識的に使っていきたいですね。