ここ2年くらい、
自分のことを振り返ることをしていて。
今日は、ふっと、
自分の中にあった思い込みの一つについて
書いてみたいと思います
誰しも何かの「役に立ちたい」って
大小持ってると思いますが、
「役に立たないといけない」ってなると
だんだん苦しくなってしまいます。
私の場合、
所属する先々で、
「役に立たないと」と、
自分の心地よい加減を飛び越えて
時間も、体力も、自己犠牲レベルで
差し出していました。
結婚当初は夫家族と同居で、それこそ
いいお嫁さんが来てくれたと思ってもらえるよう、
精一杯「いい嫁」であろうと努力しました。
夫は転勤・引越しが多く、
子供たちが小学生の時、旧習深い地域に越したことで、
なるべく早く溶け込もうと、PTA、子供会だけでなく、
地域の活動にも目一杯関わりました。
長年「役に立たないと」で動いてきた
その結果、
ダウンしてしまうことになったのですが、
なぜ、自己犠牲してまで
役に立とうとしてしまうのか?
振り返ると、
新卒の教員時代を思い出しました。
小さい頃から夢だった先生、
努力してなれたと思ったら
1年目、学級経営がうまくいかず、
いろんな先生に入ってもらい、
退職後のサポーター先生にもお世話になり、
いっぱいいっぱいで終え、
2年目は図工専科に替わったこと。
幸い誰かから直接非難されることはなかったものの、
職員室では申し訳ない思いで小さくなっていたこと。
その上、急に年度途中で結婚退職することになり、
人事はじめ本当に迷惑をかけてしまったこと。
「役に立つことができてないと、居づらい」
この感情、体験がずっと尾を引いていたんですね。
結婚して同居先では
「役に立たないと思われて、居づらくなるのは嫌」
だから一生懸命いい嫁をやってきたし、
引越し先でも、
「役に立つことをやって、早くなじんで居心地よくする」
ために、(働いている人より)
時間も体力もあるからといって
可能な限り全エネルギーを注ぐ。
そうして地域でも居場所を確保し、
「役に立たないと居づらくなる」を
解消してきました。
実際は、うすうす
体も時間もキャパオーバーを感じていました
でも、気づかないふりをして
一生懸命自分の役割を頑張っていました。
無意識下では
居づらくなりたくないから、
が働いていたのかもしれませんが、
そんなこと1ミリも
頭で思ったことはありませんでした。
さらに私は、
「役に立たないと居づらい」を
家の中でもややこしく発動させていたのです。
(当時はもちろん気づいていません)
それが年々
「役に立たないと自分には価値がない」
くらいに形が変化していきました
身体は正直だから、
ちゃんと一旦ストップをかけてくれました。
※長くなりそうなので、
次回以降に分けます。