2025年1月14日のこと・・

この日は仕事休み、午後からでも母の顔を見に行こうかと、タラタラしていると携帯が鳴る。9時過ぎのこと。

病院からだ。

院長から話があるとのこと。

現在の症状の説明とのこと。

後で解った事だが、緩和ケア病院への受け入れが整ったのだが、

今本人を動かすのが少し難しい状態なので、もう少し落ち着くのを待とう・・みたいな事だった。

ケアマネ「お仕事されているので、ご都合のいい日を聞いてみます・・と、言うことで連絡させて貰ったんですが・・」

私「偶々、今日休みなので伺います」

ケアマネ「そうですか?よかったです、11時くらいまでに来られますか?難しいようであれば日にちを改めましょう・・」

この日はオペ日で、院長が午後からオペに入るそうだ。

私「解りました、急いで支度します」

ということで、10時過ぎに家を出る。

我が家から病院までスムーズに行って4,50分かかる。

途中渋滞ポイントが2カ所ある。

車を走らせ、程なくして携帯が鳴る。

勿論、運転中だし、バッグの中なので出ないが、、何の知らせかは解った。

2度目の携帯が鳴った時、信号待ちだったのでスピーカーホンで出てみた(隣車線の2台前にパトカーがいたが・・これは緊急事態ですから・・)病院まであと数分の所だった。

母は穏やかな顔で眠っていた。

何度も見たあの顰めっ面の顔では無かった。

昨日買ったあの電気毛布はスイッチが入ったままで、暖かい中に居た。

年が明けた・・

リハビリを頑張って、正月は家で・・と言っていた母だが、

行く年来る年は病院で迎えた。

母の状態は、坂道を下るようだった。

度々見舞っていた甥っ子が言っていた、

「(見舞った者が誰か)解ってないような時もあるで、あっくんママ(私のこと)の事が解るうちに(逢いに)行っといたほうがいいかも知れん」と。

病院から連絡があったのは12日、日曜日のこと。

紙おむつを持ってきて欲しいとのこと。

今まではパンツ式の紙オムツだったが、テープ式の紙オムツに変えたいということ。パンツ式では(取り替えが)難しくなってきたと言うことだ。

それと、色々ある差し入れ的な物。

それらを口にすること(口から物を食べるということ)が難しくなったということ。冷蔵庫やベッド脇にあるそれらを持って帰って欲しいということ。

いよいよかな・・そんな気がして弟に

「新しい紙オムツを持って行くのと、荷物を持って帰りたいんで、(仕事)休みなら一緒に来る?」と、姉風を吹かせる。

この日の少し前、夢を見た。

その夢の内容は、ねぇちゃんにも弟にも話した、、

(亡くなった)じぃちゃんが出てきた(母の父親)。

病室に入った瞬間、「えっ!?」と一瞬止まった。

夢で見たのは、今そこに居る母の顔だった。

私と弟の顔を交互に見て、程なくして誰だか解ったみたいだった。

低体温になっていた為、電気毛布を掛けて貰っていた。

しきりに両手を出してこちらに手を伸ばす。

何かを掴もうとしているのか、私達に向けられた意思表示なのかは解らないが、その手は力なく震えていた。

握った手は冷たかった。

言葉にならない声でしきりに何かを訴える。

「ひっこ」「ひぃっこ」何度も言う。

「しっこ?(排尿)」と、私が問えば頷いた。

おしっこがしたいから起こせと言っているようだ。

「あのな、起きたりしたら危ないけぇ、ここで(おしっこ)してもいいようにちゃんとしてくれとるけぇ、ここでしたらえぇんよ」と、伝える。

「えぇん?」と、確認する母。

「うん、ええよ、ここでしてえぇんよ」

病室を出る時、

「おかぁちゃん、また来るけぇな」と、言うと

「いつ?」と、母が尋ねた。

私と弟は顔を見合わせた。

母が「次は何時来てくれる?」「今度は何時?」などと逢うのを待ちわびる言葉など言ったことなど無い、母の口から初めて聞いた。

私は次の日休みだったので来ようと思ったが、何故か出た返事は

「あと2つ寝たら、また来るわ」だった。

母は横を向いたまま頷いた。

 

母に電気毛布を買って病院へ持ってくためにその足で家電店へ向かう。何と、弟、電気毛布を知らないと言うがな・・

ま、ええわ、使った事無ければ知らんでも仕方ないか・・

にしても、、50半ばのおっさんが電気毛布知らんか?・・

ま、ええわ。。

種類も色々あるで、電気毛布を知らん弟と悩んでおってもラチあかんで、店員さんを呼ぶ。事情説明諸々皆私。

ま、ええわ。。

いざ、会計へ・・全然財布を開かん(当然のように支払いは私と思ってるようだ)弟。

ま、ええわ。。

私もおかぁちゃんから預かっとるお金を使うし・・

「まぁーちゃん、(私のこと)これ」と、ポイントカードを出した。

その店のポイントカードを持ってるらしい、金は出さんがポイントは自分に付けろ・・と言うことらしい。

・・・・・

ま、ええわ。。

 

2024年12月のこと・・

入院も1ヶ月を過ぎた頃、ケアマネジャーさんから連絡が入る。

日々の状態、食事のこと、リハビリのこと、トイレ介助など・・

合わせて次の転院先のこと。

選択肢は、一般病棟、緩和ケアを有する病院、施設への入所。

私は、緩和ケアの病院をお願いした。

そこに入院と言うことはそこでの看取りということだ。

それを問われた、承諾の旨を伝え話を進めて貰う。

病院間での連携をとって受け入れ先を探して貰うことになる。

受け入れ先が見つかった場合の流れは、

家族の面談→入院の決定の連絡

面談したからと言って必ずしも入院とはならないらしい。

そうすると、また次を当たってくれるらしい。

面談の日が決まった、12月21日土曜日。

弟に連絡を入れ、一緒に面談に向かう。

最初に弟に約束した、入院中や入院に関することは私が判断し決断するよ、と。

半ば強引に「あんたは何も言わんでえぇ、ただ(私の)横に座っとるだけでいいけぇ、一緒にDrの話を聞いてみる?(イヤ、聞け!)」と姉風吹かせてみた。弟は本当に座ってるだけだった・・・

さて、転院のことや面談してきたことを母に伝えなければならない。それは、今まで膵臓の炎症としか言って無かったのを膵癌と言うこと、このまま終末を迎えると言うこと。

「折角じゃけぇ、(母の)顔見ていく?」と、問えば

少し間をおいて

「う~ん、行きたくないなぁ・・」と、答える弟。

「後何回も(母の顔を見ることなど)ないで?ひとりじゃないんじゃけぇ、私と一緒なんじゃけぇ、ええじゃん?行っとこうや?」と、

姉風再び。

母は、私と弟だと直ぐに解ってないように見えた。(解ってたのかも知れないが、私にはそんなふうに見えた)

起きなくていいのだが起き上がろうとした、ベッド脇のバーを掴もうとも力が入らない。

私の説明をうつむいたまま聞いた。ケアマネも同室していた。

病室を出る時、

「リハビリして動く練習しとらんとダメで。リハビリせぇよ」と、弟は声をかけた。2度頷いた母。

「(転院は)いつ頃かなぁ・・」と、弟。

「まぁ、年明けかなぁ?年末年始に動かさんやろ?」と、私。

「何時何があってもいいように心づもりと準備しといたほうがえぇよ」と、私。

「えっ!?そんな?(感じ?)」と、弟。

「ボーダーラインは節分やと思うわ」と、私。

クリスマス頃、母を見舞った時には自力で寝返りが難しかった。

この頃、感染症患者の受け入れの為、母は個室を出ざるを得なくなった。市中、インフルエンザが猛威を振るってた。

12月28日、母は88回目の誕生日を迎えた。