猫Drが耳カットはしない、と言うか、必要性を感じない、とのことで
(Drそれぞれの考えがあるのだと思う)写真を撮っておく。
もうちょっと(全体の柄と顔とか特徴とか)わかるように撮らんとイカンわ。
 
敷地内に生息して居ります猫ちゃん達の避妊手術を
やっと、やっと、(それでも遅すぎるのだが)始めた。
何でこうなったかは安易に想像出来るでしょう。。
ダメダメな事をした典型的な私です。
思えば3年ほど前、夢をみた。
今は廃墟同然の生家、私はひとりそこに居た。
嵐の夜、玄関下から何十匹という猫が湧き出るように部屋に入ろうとしてくる。
侵入を防ぐ為に板を打ち付けようとすれば、隙間を見つけてすり抜けようとしてくる。
そのうち、玄関の戸は所々嵐に飛ばされ・・
雨風と猫と格闘している私。
今でもハッキリと覚えている夢。
その時は、虹の橋を渡ってった「にゃっちゃん」が逢いに来てくれたのかと思ったりしてた・・に、しても、そこにはにゃっちゃんの姿など無かった。
数ヶ月間の投薬、点滴(皮下点滴を家でやってた)、それらをこの先やるには、自分の気力的にも体力的にも自信が持てず、一緒に暮らすことはこの先無いだろうと思った。
なのに、、全く無責任なことをしている。
と、熟々考えるとどんどんマイナスに引っ張られる。
はい、(戻れないのだから)囚われても何の意味も無い。
囚われたって何も生れてこない。過ぎた事に執着しない。
最後には何とかなる。それを信じて。
とは言え、、十数頭が終わるまで手術代は結構な金額。
当分は、ねぇちゃん家で貰った保存食的な物を食べ、少なくなったらまた貰いに行く。
そんなちっぽけな決意をした日。

 

そぞろに・・

そんな思いを記すだけの何の面白みも無い日。

 

大袈裟なタイトルになってしまったが、

私の闇の部分と言うか、暗い私がひょこっと顔を出すのです。

表と裏、陰と陽、正と負、あるのが当たり前で

表だけでは生き苦しい。

理屈としては解ってはいるが、そんな私が大手を振って闊歩し始めるとドンヨリとする。

今、そんな沼にどっぷり浸かってる日々である。

歳を重ねると過去のドンヨリちゃんが次々と顔を出すのである。

それは既に解決済みのはずなのに

あの時もそうだった・・とか。

厄介なもんだ。

闇な私が現れる時って、何かを教えてくれてるんだろうけど

気付けよ、と言ってくれてるんだろうけど

この歳になっても未だ未熟な私では気付きようもなく

悶々としている。

 

話は変わるが、、

20代の頃、(バブル全盛期でイケイケだった頃)とても親しかった人が居る。一緒に遊び、一緒に飲み、仕事の愚痴も聞いてもらい、

(少々大袈裟だが)人生も語り合った。

疎遠になって久しかった頃、何日か続けてその人の夢を見た。

その夢の頃、その人が亡くなった事を後に知る。

「死ぬ時にな、今まで世話になった人を一人一人思い出してな、

ありがとう・・って、言うのが理想やねん。お前の事は最後に思い出して、ありがとう・・って、言うからな」って、言ってた。

今年のお盆終わり、、

何年ぶりかにその人の夢をみた。

明け方の夢。

あぁ~、(あっちの世へ)帰る前に寄ってみてくれたんやな・・

忘れずにいてくれてありがとう

と、手を合わせた。

 

孫ちゃんが帰ってって2週間ちょっと。

未だ気がぬけたままのばぁばです。

 

何を思ったのか、、

アンチョビを作ってみることにしました。

 

↑片口鰯を買ってきて、3枚に。
手前のナイロンテープはこういう時の簡単必須アイテム。
これで簡単に身が剥がせます。

 

 

↑氷水で洗い、水気を拭き取り

 

 

↑塩、鰯、塩、鰯・・と交互にして、野菜室で寝かせます。
魚醤が出てくるのを待ちます。
アンチョビって、ジェノバソースを作る時くらいしか買わないけど。
何だか作ってみたくなったのです。