2024.09.16(敬老の日)

ふと、気になったブログ記事があったので。

 

 

 

東海道新幹線、それに山陽・九州新幹線の沿線から新大阪駅及び「なにわ筋線」「関西本線」「阪和線」を経て関西国際空港までJR西日本を利用して移動するのに、空港特急「はるか」の特急券(座席指定券)とは別に「大阪市内特定区間」の規定を利用して大阪市南端部に在る杉本町駅(大阪公立大学最寄り駅)からの乗車券を買えば、ブログ主からこんな提案が。

 

こんな面倒臭い事を、よほどの時間に余裕がある鉄道ファン以外しないと思えてならない。

それに、天王寺駅を出発して一部の列車を除いて「はるか」の次の停車駅は確か日根野駅かと。

大阪市内は全て通過するのである。買えないはずなのだ。

 

 

 

最近思うが、報道でも盛んに言われていて私もそう言わざるを得ない。

「鉄道ファン」の多くは、てめぇの趣味で満足さえ出来れば例えそれが刑事立件されようがお構い無しだと。

こんな事もあった。

昨年春、大阪府堺市の堺泉北港に建設中の大規模物流センター新築工事で働いていて、南海電気鉄道南海本線で境駅まで通勤していた。

 

疲労がなかなか取れず、早朝という事もあり先頭車両のかぶり付きでシートに腰を掛けて。

だが、先に待っていた男性の存在に気が付かず、彼から

 

『俺の方が先に待っててんで、順番抜かしなや!』

 

と言われてしまった。

でも、その口調から彼も最近の拗らせた鉄道ファンだと察知して、「あっそ、ゴメンね!」と。

言ってやりたかった。

「普段から、大阪の人間はせっかちが過ぎるから『横入り(割り込み、順番抜かし)』は当たり前」

「なのに、それを自分は真っ当だと言って喧嘩売ってんのかい?」

って。

 

大阪・関西万博の海外単独パビリオン建設工事、今年のGW明けから従事して遅ればせながら着工したと思ったら、歯科治療でその日の午後大阪歯科大学附属病院(大阪市中央区大手前)へ出る以外に日の高い時間帯に退勤叶わず(苦笑)。




Osaka  Metro堺筋線で、自宅のある大阪市西成区迄の帰路で最近必ず立ち寄るお店。

日本橋駅下車、なんばウォークを西へ。

1970年に、旧「虹のまち」として開業以来ずっと近畿日本鉄道難波線日本橋駅西改札口前で、老舗として構えて居られる「らーめん古潭」。

此方、近年食堂形式へと新たな形態へ。


幼少期から、母に連れられて来たお店。

今の形態で、今年に久しぶりに入ってからお気に入りなのが生中かハイボール大とおかずのセット。

ビールは自身の身体だと肥るので、ウィスキーも好きだからハイボール大をチョイスしてお店手作りタレの油淋鶏と。


〆は、伝統のしょう油豚骨ラーメンなう。

久しぶりに筆を取らせて頂きます。

 

 

 

今朝(2024.08.18)、ANN系列全国ネットの報道・情報番組「サンデーLIVE」にて表題の件で終戦79年のコラムが放送されたので、大変興味深く拝見し釘付けになった。

 

別途、この記事に私が大好きです元・SKE48の主力メンバーで俳優の惣田紗莉渚(そうだ さりな)さんの画像も出て来よう。

 

 

 

今も昔も、女性有名人の活躍に男性は目を奪われる。

それが、国の浮沈を懸けて周辺国に戦争を挑んだ場合どうなるであろうか。

 

30年ほど前、大阪・ABCテレビ制作の全国ネット番組である方が取り上げられていた。

 

 

 

「元祖・女性アイドル」明日待子さん。

旧制の高等小学校(今で言うと中学校)を卒業後にスカウトされて、他の方とユニットを結成され東京・新宿「ムーラン・ルージュ」のステージに。

その愛らしいルックス、そして素晴らしい歌声に瞬く間に全国区の人気。

 

『とにかく、毎日が芸事とお稽古で一生懸命』『周りの事など、本当に考える暇がなかった』

生前、TVのインタビューにこう答えて居られた。

先年、99歳で旅立たれるまで北海道でお暮らしにて日本舞踊の流派で長い間指揮を取られていた。

 

 

 

「昭和の絶世美人」、映画俳優をされていた故・高峰秀子さん。

とにかく、この時代の女性芸能人で一番ブロマイドを売り上げられたか。

出演された映画作品は、封切りになるや速攻で前売り券が完売に。

 

しかし、彼女は先の大戦に思いを馳せて自らの半生を書かれた著書にて、

 

『私のブロマイドを多くの方が、そして各地へ広がった戦地へ散って行った』

『私のブロマイドを、戦地へ持って出て行かれた事を決して忘れられない』(以上、著書文章に同意にて)

 

と述懐されて、亡くなられるまで自ら十字架を背負われた。

 

こうして、戦地に赴き還らなかった方が多かった。

 

 

 

歌手の淡谷のり子さん、中国本土や旧・満州へも慰問されたが戦局の悪化で国内へ。

九州地方のある海軍航空基地、慰問でステージを務められた際の出来事。

 

鑑賞中の将兵達が、静かに客席へ入場された上官に耳打ちされて淡谷のり子さんに敬礼後、相次いで客席を後に。

そう、大戦末期で敗戦濃厚の最中航空機による特別攻撃作戦の最前線。

彼らは、命令一下今世との別れをされた。

意を察した淡谷のり子さん、歌唱中に周りに憚らず涙に呉れられた。

 

 

 

こうして、淡き思いを胸に多くの将兵達が死地へ出て往かれたのである。

 

これについて、押田信子・中央大学経済研究所客員研究員もANNの取材に答えられて、

 

『こうしたアイドルに思いを馳せながら、男性達は徴兵そして志願して戦争へ』

『言わば、アイドルが男性達を戦場へ駆り立てた形になった』

 

と分析結果を述べられた。

 

 

 

先の大戦、圧倒的な犠牲を経て終戦から79年。

時代と世代を超えて、アイドルの愛で方そして推し活の形は大きく変化している。

しかし、今の時代に誰1人戦地にとられる事無く推し活が楽しめる事に感謝し、先人達への哀悼の意と誠を決して忘れてはいけない。





今(2024.02.12)、私は54歳。
6月の誕生日で、いよいよアラ還。

ASD(自閉症スペクトラム障害)が由来で、
「何時」「何処で」「どの様に」「どのタイミングで」
症状が出るのか全く予想出来ない発達障がい者です。



なかなか、社会でも理解が進まなくて相変わらず偏見も横行していますが、一応7年以上前に「発達障害者支援法」も施行されていて社会生活での差別は禁止されてます。
それでも、恋愛をしても相手に不利益を与えるかも知れないと思うと、なかなか発展しないのは目に見えるので正直結婚は…。

それでも、2019年晩夏まで30年半暮らしていた東京都江東区の東陽町で、多くの方と出会い交流をさせて頂いた中で家族の温もりも、改めて長い間の独り暮らしで感じた次第です。



そんな私ですが、最近YouTubeの動画で良く恋愛漫画のチャンネルで動画を楽しんでます。
もちろん、親目線で(笑)。

今日、トップにも挙げましたが久し振りに観た作品。
幼少期に、父が死去後母親が家出して寂しさを引きずる主人公。
自身が、育ての親である伯母と共に管理するアパートへ、主人公が自ら転居を進めた1組の若い母娘が。
母娘、両親が他界して施設育ち。
駆け落ち同然で、ある男性と結婚をし娘を儲けたが男性の実家から突き放されて、追って男性にも捨てられて…。

主人公は、その引きずる寂しかった経験から少し卑屈になっていたが、本当は心の優しい男性。不動産会社の社員。
母親は、過酷な半生から娘をしっかりと育てよと次第に無理を重ねて。

それを、主人公は次第にこの母娘に心を洗われて慕うまでに。
母親が過労で倒れて、5歳だった娘は着の身着のままで主人公に助けをと、最初に出会った不動産会社の支店へ1人で。
主人公は、取り敢えず彼女を保護してアパートへ。
母親を看病するにつれて、遂に恋心を正直に…。



苦労をされた方が、本当に報われて幸せになるお話って大好きです。
私も、東京で本当に自死も考えたほどに何十倍も苦労と屈辱を味わったので。



宜しかったら、リンクから動画をどうぞ。

 

2024年

本年も、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

■写真、東京都港区港南の「NTT docomo品川ビル」。

 

 

 

旧年中は、ますますブログを書く事から遠退いてしまっていて、それほど心身共に激動で疲労激しい状況でした。

今年は、心穏やかにそして賑やかに出来たらとの願いです。

 

 

 

元日の夕方、石川県能登半島を中心に大きな地震が発生して甚大な犠牲と被害が。

今も、余震の恐怖と戦いながら神奈川県警察や大阪市消防局等全国から緊急レスキュー隊が、懸命の救助作業をしてくれています。

 

1日でも早く、全ての犠牲者を穏やかに偲び日常生活が復旧される事をお祈り申し上げます。

私の職業は施工管理職

もう、社会人になってからずっと出向・派遣等外部人材として、建築・土木工事の施工管理職をしています。

 

今年(2023年)で35年目なう。

 

 

 

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好きになりかけた人

今から3年前。

その年の夏から11ヶ月、大阪・天下茶屋の自宅から住み込みで京都市伏見区の現場へ。

 

変わった馴れ初めだったが、今から思い出すとあれは人生で初めての経験だった。

 

 

 

2020年春から3ヶ月間、派遣会社では3ヶ月が契約期間凡そ「1クール」だが前の派遣会社は

 

『最初の契約は、是非とも半年でお願いします』

 

とのスタンスだった。

 

「何を今更…」と思われがちだが、大阪・北河内地域のとある物流倉庫の新築工事現場で就業先プロパー社員から、かなり陰湿な嫌がらせを受けた事が原因で、完全にやる気を失くしていた。

 

まさに、その「1クール」で契約を解除して。

派遣会社の当時の担当者、

 

『このパンデミックの状況、実はなかなか就業できずに自宅待機の者がかなり多いです』

『場合によっては、出張も可能ですか?』

 

と問われたので、事前に実家の母からも了解を得られていたので「東海道・山陽新幹線の沿線ならば可能」と。

 

後日、勧められたのがこの京都市伏見区の就業先現場。

面談の結果は「合格」。

 

 

 

赴任したのは良かったが、もう何もかも全て最悪だったかも知れない。

私の立場は、就業先にて元請且つ工事監理者。

1次請負会社が同じ企業グループ、そこにも同じ派遣会社から先に1人赴任していた。

2次請負が、全国展開をしている中堅ゼネコン。

 

だが、2次請負会社がなかなか私達の指示に従わない。

ほぼ毎日、施工ミスと安全ミスのオンパレード。

 

それだけではない、最悪の事態が直ぐ待っていた。

 

 

 

同じ派遣会社から、安全管理者専任として1人常駐していたがこいつが本当にどうにもならない男。

自らのキャリアを振りかざし、「書類不備、自分の指示に従わない」と新規入場者を何人も追い返すのは朝飯前。

 

後からこっそり知ったが、他社から来ていた女性事務職にかなりのセクハラ行為を働いていた。

 

そして、とうとうこいつ有ろう事か1次会社に対して明らかに、恫喝まがいの事をしでかしてバッチリ音声記録されて、下手したら刑事告訴寸前だった。

 

派遣元は、こいつが改悛しなければ斬ると。

案の定、自らのキャリアでマウントを取って、自分が居なければ安全管理は不可能だと抜かして、途中で仕事を放棄して出て行った。

 

 

 

それから、数週間後これらの行為を彼女から聞いて、恐らく会社は聞いていないだろうとその顛末を、聞いたそのまま連絡した。

会社は、厄介払い出来たと安堵するや総務の女性達がかなり激怒していたそうな。

 

 

 

その後、彼女を慰めて少しずつ親しくなり、お互いの身の上話からウィークポイントまで話す間柄に。

京都市内在住、短期大学卒業後折からの就職難で非正規雇用ばかりが続いていたそうな。

 

そして、ある時に資格試験の受験を提案し「You、やっちゃいなよ」と決心をけしかけて。

彼女、「うち、やってみる!」。

 

 

 

建設現場で、総務事務業務を行う際にどうしても必要な国家資格を取得する為に受験、結果は「合格」。

 

お互いに、業務の合間にそれは喜びあった。

 

この時に、彼女からも感謝されているのを感じて、恐らく惚れたのかも知れない。

 

 

 

髪を後ろにひっつめて、日中は業務に就いていたが通勤時は髪を下ろして帽子を被り。

かなり小柄だったが、典型的な京美人。

話し口調も、ほんとうに「はんなり」との形容詞が。

 

彼女から、私もかなり勇気付けられた。

自らが、ASD(自閉症スペクトラム障害)に由来する発達障がい者で人には言い尽くせない苦労と屈辱を重ねてきた事も話すと、

 

『もう、貴方は十分治ってるわホンマ』

 

と。

 

 

 

翌年、就業先にて意見が合わなかったのか所長が子飼いの社員を呼んで、私はそのままお払い箱。

でも、本当に良かった。

 

最後に、彼女にお礼にと食事に誘ったが、当時の状況下もあってそのままお別れ。

 

 

 

今頃、彼女はどうしているだろうか?

 

 

 

 

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2023.08.05

おはようございます。

なかなか、筆無精になってしまっております。

 

 

 

先月の後半に、近所の銭湯から帰りに阪堺線停留所の踏切で足を思い切り捻ってしまい、ほぼ180°左足の甲が反っくり返って次の瞬間「バキッ」と音が。

左足の小指と薬指を骨折負傷、以降現在も自宅療養中です。

 

お陰様で、会社が傷病手当金を申請してくれるとの事で安心してますし、生命保険会社の口座から見舞金を振り込まれました。

前者が振り込まれるまでの補填も、前の現場で時間数の割に過去最高の残業手当をもらったので、別の口座に預けております。

 

さて、ここまでの転職からの経緯を書きます。

➝  初めて御覧の方もお出ででしたらと、改めて記します。

 

 

 

 

 

2023.02.13

先に、全く謂れの無き舌禍事件の責任を取る形で前の派遣会社と契約を終了後退社。

この日、その有給休暇を全て消化後新しい派遣会社と契約し、大阪府堺市の大規模物流倉庫新築工事へ。

 

一言、全く持ってとある人物のせいで「ムラ」でした。

就業先の副所長でしたが、自分の子飼たちとは気軽に話すものの私は何故か蚊帳の外で。

赴任当日も挨拶がとんでもなく、

 

『貴方とは、明日話をします』

 

と初対面の者への挨拶とは思えない、全く持って失礼なものでした。

 

一気にやる気を出さなくなって、取り敢えず眼の前の事で毎日働きました。

しかし、とうとう長い間の無理が祟ってしまったのか、初期症状なれど腰椎椎間板ヘルニアに罹りある日の朝、早朝出勤で南海本線堺駅からのバスの中で右脚全体がめちゃめちゃ痛み出して、事務所へ辿り着くのがやっと。

仕事を断念して、地元に帰り整形外科医院へ。

 

現場が、それはとても大きくて毎日かなりの距離を歩くために、右脚へはかなりの負担が掛かりました。

 

とうとう、限界を超える事態になった為に会社にお願いして、現場と就業先を替えてもらう様に依頼。

 

 

 

2023.05.08

兵庫県尼崎市にある、大きな公共施設の老朽化対策による改築工事。

工期は、全体で約5年以上と聞きました。

 

現場までの通勤、そして場内の移動がかなりのものと面談で伺い、そして腰椎椎間板ヘルニアの事もお話しましたところ場内移動で用意している自転車を、最寄り駅からの通勤と併せて専用で使って良いとの事。

更に、降雨時には連絡車で送迎もすると言ってくれました。

 

申し訳ないくらいの対応、他の案件をお断りしてこの日赴任しました。

 

所長からは、

 

『とにかく、若くて経験が浅い者が多い。その経験値を植えてやって欲しい。』

 

と懇願されて、少しずつですが行っております。

 

私自身、前の派遣会社でプロパー社員を1名手塩に掛けて育て上げて、見事に独立させる事が出来ました。

それと同じ方法で、今でもやっております。

1から、人間関係を創らないといけない。 

それが、本当に1番大変です。


私は、ASD由来の発達障害者です。

色々大変なんですよ。


しかも、それと両立させるべく敢えて派遣社員。

国家資格を取得してますので、お陰様で食いっぱぐれはあのリーマンショック以降の数年だけで。

 

 

 

 

 

 1989.03.27、大阪府八尾市の公立高校普通科を卒業後直ぐに社会人になり、布団1式を新調しただけで後は身内にスーツをもらって、ほとんど着の身着のままで東京へ。

2段ベッドが並ぶ独身寮、プライベートとか全く無い状態から本当に苦労しました。


でも、転職を繰り返す中でようやくまともな生活を送る事が出来ました。


2019.09.01、実家の事情があり大阪市西成区へ転居。

その際には、冷凍冷蔵車と冷暖房エアコン以外は全て大阪・梅田のYodobashiへ行って大人買い。

念願だった、家庭用ファックス複合機も。