2026.08.04
仕事を切り上げて、身内の用事を済ませて京セラドーム大阪へ向かった。
「南海ホークス復刻ナイター」
2026.08.10現在、後継の福岡ソフトバンクホークスは南海ホークス時代の1966年以来60年ぶりに、パ・リーグ公式戦3連覇へ向けて優勝マジックを「33」としている。
私は、南海ホークスの最晩年期から40年弱ずっとホークスファンそしてパ・リーグファンである。
リアルタイムで大阪球場へ出かけた事がなかったので、この日は本当にほんの少しだが当時の郷愁に浸る事が出来て大変良かった。
しかも、ホークスは当時と違いめちゃめちゃ強い(笑)。
つくづく、ホークスファンで良かったと思う。
実は、私は亡き母方祖父の影響を受けて遅まきながら南海ホークスファンを自認した。
幼少期から小学生にかけて、共働き世帯だった私は母方祖父に週末には良く連れ出されて、京阪神の盛り場を散歩していたが一番良く連れて来られたのは在りし日の大阪球場だった。
その印象が大変強かったからだ。
ちょうど、私が南海ホークスファンを自認した当時は球団経営がほぼ絶望の淵に立たされていて、何時でも他所へ譲渡されてもおかしくなかったがその杉浦忠監督の政権下に在った。
生まれつき、片方の耳がほぼ聴こえないながらもそのハンディと、大阪近鉄バファローズを戦力外でクビになりながらもバッティングセンターで住み込みバイトをしながら、声が掛かるのを待ち営業終了後寝る間を惜しんで軟球のマシンに相手したカズ山本さん(=山本和範外野手)の存在を知ったのが、南海ホークスファンになる最終の引き金となった。
「1988.10.15」南海ホークス最終主催試合、そして試合終了後のさよならセレモニー。
当時、大阪・毎日放送(MBSテレビ)が全て実況生中継。
杉浦忠監督が、
『長嶋君(=故・長嶋茂雄さん、東京読売巨人軍名誉監督。立教大学で同期)が言ったからじゃありませんが、ホークスは不滅です』
『処を福岡に移します(翌年から、「福岡ダイエーホークス」として福岡市の平和台球場へ移転)が、これからもますますのご声援をお願いします』
『有難う御座いました、(福岡へ)行って参ります』
との挨拶をされた時は、画面を視て涙を堪えるのがやっとだった。
それ以来、引き続きホークスを応援している。
当時の状況について、詳細を書かせて頂く。
繰り返すが、リアルタイムで大阪球場へ出かけて南海ホークスの主催試合を観戦した事がなかった。
いや、当時の家の経済事情でそれが叶わなかった。
既に離婚していた亡き実父が、多額の横領事件を起こし大阪府警察へ逮捕されるのを会社から勘弁してもらう代わりに、実父の懲戒解雇と共に母からの申し出で被害額全額の弁済をしていたからだ。
当時、今考えても大変恥ずかしいのだが実は実父より会社では母の方が、会社の経営陣にまで絶大な信頼を集めていた。
と言うのも、1980年夏まで新聞全国紙の大阪地区販売会社で実父は販売店を任されていた。
その店長になる条件として、最低でも婚約中の相手がいる事だったらしい。
理由として、雇用する一般社員とアルバイト学生に食事を提供して欲しいと言うものだった。
会社では、明るく社交的で配達エリアの読者さんの多くから信頼を得ていると評判だった。
転じて、結婚して私と2人の妹を設けたが生まれつきどうしようも無かった超マザコンだった実父は、夕食のおかずが「ショボい」と見るや直ぐに激怒して勢いで外食に走るほど、それは身勝手の極まりだった。
「飲む・打つ・買う」だけじゃなく、果ては「外に女を囲う」までに至った。
家族に黙って、プロ釣り師が持つような高級釣り竿を買い漁り、更には散弾銃を持つ免許を取っては練習場へクレー射撃へも出かけた。
どう考えても、それだけの大金を持っているはずもなかったが⋯⋯。
実父と離婚した母は、私と妹達を連れて別居をしたが此処から本当に貧乏な生活が始まった。
明日食べるご飯の心配をしなければならず、長妹は既に化粧品メーカーのアルバイト工員をしながら公立の商業高校定時制へ。
私は、有難くも全日制の公立高校普通科に通っていて、同級生から1年遅れて2年生だった。
長い休み期間は郵便局で集配のアルバイトをし、普段も学校から帰宅するや否や大阪・谷町九丁目駅近隣の寿司店でホールを、それも午前様までしていた。
必死だったが、これが強力なアシストとなって後年聞いたところでは、会社の幹部から母が残り100万少しとなった残債を全権行使にて棒引きしてもらった。
そんな、バブル景気だとは申せ全く無関係で明日をも知れない暮らしだったが、それでも妹達に笑顔が戻った。
大変な状況だったが、そんな中でホークスファンとしての自分史を始めた。
ホークスが福岡市へ移転して、私も高校を卒業後社会人として東京へ。
まあ、長い間「ホークスファンです」と名乗るだけで本当に馬鹿にされ、それこそ嘲笑され続けた。
だから、1999.10.23に35年ぶり3度目の日本シリーズ制覇を成し遂げ、バンテリンドームナゴヤで王監督が胴上げされるのを愛知・CBCテレビ発全国ネット実況生中継で視ていて、路地裏のアパートでバンザイを叫びながら純米酒の一升瓶を抱いて朝まで離さなかった。
そこから、何が有っても動じない古参ファンである。


