2026.07.16

いよいよ、私が大好きなプロ野球⚾️の世界を通して


「大阪人が、お気に入りのチームを通して大阪人で在る事の証明を、半世紀全ての野球⚾️を応援する中で果たす」


その時が近付いている。


その理由。

今年の8月4日、平日の火曜日。

パ・リーグの福岡ソフトバンクホークス、生みの親・南海電気鉄道そしてNANKAIグループと共に大阪で開催予定のこの試合を、

『おかえりナイター』

と題して京セラドーム大阪で。

現在、南海電気鉄道ではそれを盛り上げるべくグループを挙げて、チケット🎫プレゼントを含めて宣伝を展開して居る。

先の年越しでは、実際に鑑賞させて頂いたが髙島屋大阪店(本店)にて南海電気鉄道創業140周年を前に、

「南海ホークス展(有料開催)」

を開催して多くの方を迎えた。

その際に手にした入場券、ソフトケースに入れて私は棺桶に入るまで持ち歩こうかと(笑)。

私が、南海ホークスそしてパ・リーグファンになったのには時間を遡る。
1976(昭和51)年、大阪市で小学生🎒に。

両親が共働き、学校から帰宅しても構われない事が日常生活だった。


週末、生まれつき発達障害を背負い少し手が掛かっていたので、母方祖父が決まって外へ連れ出してくれて京阪神の盛り場を、祖父が通える範囲で散歩した。

その中で、1番多くの訪問をしたのが写真の今は亡き大阪球場だった。

今にして思えば、南海ホークスの公式戦がやっていれば入りたかったのでは無いだろうかと。
しかし、今とは違いプロ野球観戦には多額の税金がチケットに課されていて、当時年金生活者だった祖父には到底手が出なかった。

時が過ぎ、1979(昭和54)年の春。
私は、1つ下の長妹と自転車で連れ立って大阪球場へ南海ホークス vs. 阪神タイガースのオープン戦を観戦へ。
怪我の功名か、実はひょんなきっかけで地理を会得して京阪神の大手民鉄そして今のJR西日本は路線の知識を大人並みに得ていて、母はそれを理解していたので敢えて買ってもらった入場券を手に。

しかし、この当時長妹は定岡正二さんが投手として巨人へ入られてから、ライトだが巨人ファン(笑)。
当時の大阪球場、お客さんも少なかったからさぞ楽しく無かっただろう。
これが、私にとっては最初で最後の大阪球場。



それから、実に45年以上。
当時から、既に在阪民放準キー局は阪神タイガース一辺倒へ。
パ・リーグだと、

■阪急ブレーブス
同じ資本系列、KTV関西テレビ放送が土曜日の午後に隔週で主催試合の実況中継
■南海ホークス
不定期だったが、MBS毎日放送が週末で実況中継
■近鉄バファローズ
ABC朝日放送が、土曜日と日曜日の近鉄藤井寺球場の主催試合を実況中継

でとても寂しかった。
それでも、週末は吉本新喜劇の舞台中継を毎日放送で楽しんで、お昼ご飯を食べたらその実況中継をテレビで観るのが楽しみだった。



しかし……

1988.09.01
南海ホークスが、ダイエーグループ本社へ
「吉村貞夫・南海電気鉄道代表取締役社長兼ホークスオーナー」
vs.
『小売業のドン、中内㓛・ダイエー代表取締役社長』
とのトップ会談にて、直近数年間の累積赤字を込みにして譲渡をする契約に基本合意。
阪急ブレーブスも、今から思えば本当ににわかに信じられない状況だったが2度のオイル・ショックで、かなりの有利子債務を抱えて居たらしく。
その追い打ちで、宝塚歌劇団はあの「ベルサイユのばら」以来の大ヒット作に恵まれず、社会的に注目の的になるも劇団員への人件費がべらぼうに高騰、とうとう経営陣へ泣きが入るまでに。
そこへ、当時の銀行団が

『ブレーブスと宝塚歌劇団、構うんやったらどっちにすんねん💢🔥🌋⚡💥❓』

と、当時の小林公平・阪急電鉄代表取締役会長そして阪急ブレーブスオーナーへ迫り、彼は元々テニスの松岡修造さんと同じ家系で縁あって婚姻関係になったが、学生時代からバリの文学肌。
宝塚歌劇団へは、ペンネームで作品の脚本を激務の合間に書き上げては無償で上げるほど。
そして、阪急電鉄の創業者・小林一三翁からの遺訓で

『ブレーブスと、宝塚歌劇団は誰が死んでも決して手放すべからず』

と言われて居た。
しかし、本当に逡巡されて。
ブレーブスは、南海ホークスのあのサヨナラ試合を経て「10.19」の午後に記者会見で譲渡を発表。



私は、それからずっとパ・リーグファン。
そして、母方祖父から

『お前に、ホークスファンとしてパ・リーグファンとしての矜持を託してんやからな💢🔥🌋⚡💥‼️』

と言われて来たと自負して居る。



だから、この日は楽しもうと思う。





■冒頭のリンク
2025.10.17放送
ANN系列(キー局:テレビ朝日、準キー局:ABCテレビ)
全国ネット生放送「羽鳥慎一モーニングショー」より



2ヶ月毎の年金支給日、東京都区内にてスタッフが年金生活者へ街頭インタビュー。
政治の事も関心あるかと思いきや、総じて自分達の生活の嘆き。

『毎回の受給額が少ないから苦しい』
『これだけの年金さえあれば、本当に老後は楽だと信じてたのに』

いやいやいや、言いたい放題ですね毎回。
呆れてものも言えない。



そもそも、年金額が少ないのは現役時代に皆さんがもっと老後に意識を持って、貯金や個人年金保険等をされなかったのが理由なのでは。
特に、大変な事情があって保険料の支払いが出来なかった等の理由がなさそうなのに、単に失念その他で未納を放置プレイとかの方。
そんな方々に、額が少ないから政治の力で何とかせよとわがままを言われても、ハッキリ申し上げて通用しません。



それを申し上げるなら、もっと大変な事情がおありの世帯に向けて汎ゆる支援を行って然るべき。
生活保護費の支給だって同じです。
その資格を再度明確化して、外国籍者でもキチンと過去に一定期間納税を行って生活実態がある世帯に限るとかで。
だから、どんどん実態調査を行って不正受給者は永久追放に。

視ましたよ「X」で。
明らかに、韓国の若い世代女子で赤羅様に日本をバカにし、それでも

『日本は、韓国に対してそして私達に対して未来永劫に尽くして当たり前』
『だから、私は日本に生活保護費を出させて遊んで暮らすんだ』

って書いてあったのを。
速攻で取り締まって、服役後国外追放しか無い。



今、本当に政治の力で光を当てる必要があるのは、

「片親家庭、それも若い低所得世帯」
「39歳以下で、単身で生活を送る若い世代」
「幼少期から、施設で生活を送り社会へ出てからご苦労をされている方」

であり、更には

「発達障害・精神障害を背負いながらも、何とか頑張って生計を立てられれ居る全ての世帯」
「ご家族の中で、これら重度の障害者が居られて御本人だけでは生活が送れない世帯」

だと思う。
何故、こうして限定するかと言うと視覚・聴覚それに下肢障害を背負う皆さんに対しては、もはや世界水準を超える支援と社会インフラが整備されているので、地方なら話は別だが都市部にお住まいならば、これ以上問題は無いと思うからだ。
もっと言うと、発達障害・精神障害に対して長い間偏見と差別がとても深刻で、それこそ社会から排除されて厳しい生活を送らざるを得ない実情があるからだ。

こうした事態を打開するには、政治の力で光を当てる以外にない。
全ての者が、出来るだけ同じ土俵で生活を送る事が平等だと信じている。
2025.08.14
1人の「生き字引」が逝去された。

茶道:裏千家流の前家元、宗家の千玄室大宗匠、享年102歳。
改めまして、御冥福をお祈り申し上げます。
合掌。



将来を嘱望されていた矢先、日本はアメリカ・イギリス・オランダそして引き続き中国国民党政権との泥沼の戦争が激化。
大宗匠が、同志社大学(旧制)に在学中の1943.09.21。
東條英機内閣は、旧憲法下で高等教育機関に在学中の学生へ施行されていた徴兵猶予制度を、戦時法制で撤廃しこの日施行。
1ヶ月後、繰り上げ卒業後学徒出陣で海軍へ。

恐らく、出身地に近い京都府舞鶴市の旧・舞鶴海兵団だったか2等水兵として徴用されて、厳しい訓練を経て半年後茨城県の土浦海軍航空隊へ。
名実共に、第14期海軍予備学生となった(階級;海軍飛行兵曹長)。



そして、速成訓練を経て操縦科へ。
後に、人事編成を経て徳島県の海軍航空隊へ特攻隊員として赴任。
出撃前、同地で終戦を迎えられた。

しかし、此処で多くの予備学生仲間をたくさん……死の旅立ちを見送られた。
在阪民放準キー局そしてNHK大阪放送局で、生前多くの機会で取材をお受けになられたのでご本人のお気持ちその他を代弁は差し控える。
でも、肉親や家族以上に短い時間だったが濃い交流だった為に、相当お辛かったのではと想像に難くない。



戦争は、何も生み出さない。
あるのは、多くの者の悲しみだけだと思う。
やりたかった青春時代の「映画制作(自身の目標とか)」を、その創る機会を戦争だからと時の政権に奪われて死地にやられてしまう。
こんなに辛い、悔しい事はない。



私は、社会人になってからこの日本軍の末期をライフワークとしていて、そのきっかけが1943.10.15に挙行された「最後の慶早戦(=早慶戦)」を題材にした故・岡本喜八監督作品「英霊たちの応援歌」を、ビデオソフトで借りてはずっと観て感情移入から何度も号泣した事だ。
その後、色々問題となる裏話さえちょっと聞いたが、それでも純粋になって旧・陸軍の「特別操縦見習士官」を舞台にした「月光の夏」も拝見した。
この時に、実際に有ったであろう学徒士官と軍の衝突を、作品の中で目の当たりにした心地になった。



もっと言えば、海軍の「神風特別攻撃隊」には旧制・東京六大学野球の豪華メンバーや、各種学生スポーツの有力選手それにプロ野球選手さえ。
別の映画作品で取り上げられた、名古屋軍(セントラル・リーグの中日ドラゴンズ)に所属し日本大学の文系学部2部学生になっていた石丸進一・海軍中尉。

陸軍でも、若い下士官として朝日軍(系譜で言うと、後に大洋・横浜大洋ホエールズ〜横浜DeNAベイスターズ)の渡辺静さん。
旧制・小諸商業学校(現在の長野県小諸商業高等学校/公立)出身。
陸軍特別攻撃隊として特攻戦死された。



多くの将来あった若い世代が、幾万も戦渦に散り生還せず。



この事実を、絶対に今の若い世代も知るべきだし永遠に語り継ぐ責任がある。
もちろん、日本軍がアジアでして来た多くの戦争犯罪の実態も。
更には、外地で日本国籍の一般市民が犠牲と被害に遭った悲しい事実も。

そして、2度とこんな時代へ回帰させてはならぬ。



今朝未明まで、民放各系列でも流されていたブレイクニュースから国際問題の記事より、アメリカのD・トランプ大統領の記者会見の模様を。



観ていて、本当に人間としてとても恥ずかしい。
自国の利益ばかりを求めて、真に国際問題の解決に汗をかこうと全くせず。
これが、「世界の超大国」のリーダーの言葉なのか?

ガザ地区での武力衝突でも、
「アメリカが買収して、住民には移住を願ってリゾート開発を」
とか不謹慎にも程がある発言をするし。



実際に、今でも戦争に参加したくなかった多くのロシアの未来在った青年たちが、無能な指導者にその途を断たされて戦場へ出て生還せず。
ウクライナも、国を守ろうと志願した若い世代の戦死が増えて。
一般市民の死傷者数は、既に5万を超えたか。



報いは、口が過ぎたジジイにも必ずやって来る。

 

 

2025.05.01現在、日本のプロサッカーリーグ「Jリーグ」加盟チームは

 

「J1」20チーム

「J2」22チーム

「J3」18チーム

 

で全部を合わせて、41都道府県に60チーム(球団)。

 

 

 

しかし、コロナ禍明けから全国でそのホームスタジアム新設移転について、報道で取り上げられる程大きくクローズアップそして物議を醸している。

何故なら、「おらが街のJリーグチーム、スタジアムは税金で建設されて当然」だと言う、何とも言えない筋の全く通らない論理がサポーター発で各地に於いて巻き起こっているからだ。

 

日本は、「失われた30年」との言い方には真っ向から大反対だが、長い間続いたバブル崩壊以降の超長期経済不況から世界中の国や国際機関に全く頼る事なく、ようやくその回復基調が軌道に乗って来たところ。

だが、その陰では「全世帯の子供達で、7人に1人が家庭経済の貧困に」との厳しい現実が。

加えて、世界各地で起こっている大規模な軍事衝突及び紛争の影響で、食料品を中心とした生活に不可欠な原材料の調達が縮小してしまっていて1980年以来の物価高そしてインフレに、何処のご家庭も苦労をされていると存じ上げる。

かく言う私も、実家の母が既に後期高齢者で少ない年金+生活保護費受給者で、しかもそこには長い間病気療養中の次妹も同居している。

しかも、基準に未達で障害年金の受給には至っていない。

 

この物価高で、どうしても終日在宅にせざるを得ない実家は、毎月の家計がどうやり繰りをしても赤字。

なので、私も食事の差し入れ等で応援しているが。

 

もっと大変なのが、

「片親世帯、特にシングルマザー世帯でお子様が小さいご家庭」

「39歳以下の青年層で、就業状況が大変な単身世帯」

「発達障がい者・精神障がい者で、働けているが身体的理由で制限あるも障害年金受給に至らない世帯」

等で、毎日の生活が本当に切羽詰まっている世帯も。

 

 

 

そうした社会状況なのに、その人達へのセーフティーネットとして活用されなければならない税金の一部を、一部のサッカーファンの要求である「サッカースタジアム建設」の為に使って良いものだろうか?

いや、私はダメだろうと思う。

 

この文頭に、動画を貼り付けたのでご参照されたい。

J1・セレッソ大阪のホームスタジアム、「ヨドコウ桜スタジアム(大阪市立長居球技場)」である。

クラブの創立母体で筆頭スポンサーのヤンマーディーゼルが、大口スポンサーの日本ハムと全国のサポーター各位から集めた浄財に自己資金を合わせて、球団を指定管理者として3年以上の工期をかけて改修工事を竣工させた。

少しずつ、大阪市へもスタジアム使用料は支払えているとか。

そして、以降の改修工事も全て自己資金で。

 

此処にはないが、同じくJ1・ガンバ大阪も球団の筆頭株主・Panasonicグループや大衆薬大手のロート製薬等スポンサーの提供資金で、大阪府吹田市の万博記念公園内に「パナソニックスタジアム吹田(吹田市立スタジアム)」を竣工させて吹田市へ寄贈。

そのまま、指定管理者として使用している。

 

後は、J2のV・ファーレン長崎やJ3?・FC今治が球団の用意した自己資金でスタジアムを竣工させてホームに。

言わば、「Jリーグ理念」からすると「市民に愛される球団」ってこれだと思う。

 

 

 

もっと言えば、

「年(年度シーズン)に、ホームでわずか数試合しかしない」

「チケット代はかなり安い設定、付加価値を付けたシートの販売とか何の営業努力はしていない」

「そのくせ、公共性の観点からスタジアムの所有者(自治体)へは使用料はごくわずかしか払わない」

って、むしろ「苦しむ市民が居るのに、何がサッカーチームの応援なのか?」と。

 

この点で、全国で

『サッカースタジアム等無用の長物、万里の長城以下』

『それよりは、もっと公共性のあるものの建設に使うべき』

との声が多く上がっているのも事実。

 

 

 

此処で言う。

Jリーグは、「スタジアム設置基準」を全て抜本改正すべき。

ピッチは、天然芝に近いクッション性の高い土(ベース素材)の高規格の人工芝で良い。

観客席スタンドを、全て覆う屋根は絶対に必要なんて無い。

落雷時に、スタンド内へ警報を発令して全観客が避難出来るスタンドを義務付けたら済む。

専用スタジアムではなく、陸上競技場のインフィールドを上述に改修して使用すれば良い。

そうすれば、他の球技も陸上競技でも十分使用できる。

 

プロ野球のスタジアムは、全てこれで開放しており例えば阪神甲子園球場は所有者の阪神電気鉄道が、高校野球開催時には日本高等学校野球連盟へ無償で貸与していて、大会運営にも全面協力している。

だから、スタジアムの女性アナウンスも阪神電気鉄道社員が阪神タイガースの公式戦同様に担当。

 

 

 

Jリーグ全体が、もう一度解体的出直しで本来の趣旨を見直す時期に来ている。

 

2024年のGW明けから、大阪・関西万博の海外単独パビリオン建設工事に従事しておりそれもあって、なかなか筆不精になってしまいご無沙汰しております。

 

操作ミスから、ブログ画面に同じ写真をダブって貼り付けてしまいお恥ずかしい。

実は、これが従事していた当時の私の肩書です。

 

 

 

① 「建築工務」主務者として、

万博工事の全体ルールに沿った博覧会協会及び統括管理工区JVその他との連絡・調整

隣接工事との連絡・調整

協力業者への工事に関する重要連絡

 

②「安全衛生管理」主務者として、

法的書類を作成及び全業者から来た書類のチェック及び指導を代行会社担当者と共に

法律上毎月開催が義務付けられている「災害防止協議会」の開催及び議事進行

 

③ その他、付随業務全般

 

 

 

就業先を筆頭に、京都市・兵庫県尼崎市のゼネコンを包含した共同企業体。

此処で、凡そ組織が固まった段階で誰もこうした業務を出来ないとの事を聞き、「それなら」と経験者の私が手を挙げて行って来ました。

お陰様で、各方面からは

 

『対応が丁寧で素晴らしい』

『言わなきゃいけないタイミングで、必ず率先して声を上げてくれる』

 

との事でお褒めの言葉を毎日頂くまでに。

 

 

 

しかし、その裏で……。

京都市のゼネコンから来ていた幹部が、こうした私をかなり疎ましく思っていた様で。

後に、別のパビリオン工事で手を貸して欲しいとの事で、誰か行けるかとの話に彼は真っ先に私を追い出そうとしてそれを進言するや、知らないところでもう私は行かされる事が決まっていたのです。

 

おまけに、此処と異動先でも若い世代に全く謂れなきハラスメント疑惑を掛けられてしまい、精神的にも大きく病み参ってしまいました。

おまけに、初期ながら腰椎椎間板ヘルニアを患う点から、年初に強い痛みを発症して仕事を休まざるを得ず。

そこから、1月をほぼ棒に振る結果になってしまう事態に。

 

結局、仕事は降りざるを得ず。

先のパビリオン工事でお世話になった就業先社長が、

 

『お前さん、もう仕事降りて休めや』

 

と仰せになって、格別の御厚情で休んだ日の大部分は「現場全休」と事実上の有給休暇にしてくれて。

後で聞いて、本当に泣きそうになりました。

 

 

 

2週間以上休養に努めた後、今の就業先で業務をして参りましたがこの5月で終わります。

派遣元の営業担当者が了解したので、改めて現在転職活動を進めております。

此処まで、有期雇用契約でしたので状況を踏まえて……。

 

まだまだ頑張ります。

 

お酒での失敗談

実は、まだ東京で暮らしていた頃にやらかしてしまいました。

酔っ払って、帰宅途中に道端で寝てしまって。

危うく、身ぐるみを剥がされんが状態を、車で通りかかられた先輩に拾われて自宅まで。

 

 

 

 

 

同じネタで投稿する

 

他の投稿ネタを確認する

 

 

2024.09.16(敬老の日)

ふと、気になったブログ記事があったので。

 

 

 

東海道新幹線、それに山陽・九州新幹線の沿線から新大阪駅及び「なにわ筋線」「関西本線」「阪和線」を経て関西国際空港までJR西日本を利用して移動するのに、空港特急「はるか」の特急券(座席指定券)とは別に「大阪市内特定区間」の規定を利用して大阪市南端部に在る杉本町駅(大阪公立大学最寄り駅)からの乗車券を買えば、ブログ主からこんな提案が。

 

こんな面倒臭い事を、よほどの時間に余裕がある鉄道ファン以外しないと思えてならない。

それに、天王寺駅を出発して一部の列車を除いて「はるか」の次の停車駅は確か日根野駅かと。

大阪市内は全て通過するのである。買えないはずなのだ。

 

 

 

最近思うが、報道でも盛んに言われていて私もそう言わざるを得ない。

「鉄道ファン」の多くは、てめぇの趣味で満足さえ出来れば例えそれが刑事立件されようがお構い無しだと。

こんな事もあった。

昨年春、大阪府堺市の堺泉北港に建設中の大規模物流センター新築工事で働いていて、南海電気鉄道南海本線で境駅まで通勤していた。

 

疲労がなかなか取れず、早朝という事もあり先頭車両のかぶり付きでシートに腰を掛けて。

だが、先に待っていた男性の存在に気が付かず、彼から

 

『俺の方が先に待っててんで、順番抜かしなや!』

 

と言われてしまった。

でも、その口調から彼も最近の拗らせた鉄道ファンだと察知して、「あっそ、ゴメンね!」と。

言ってやりたかった。

「普段から、大阪の人間はせっかちが過ぎるから『横入り(割り込み、順番抜かし)』は当たり前」

「なのに、それを自分は真っ当だと言って喧嘩売ってんのかい?」

って。

 

大阪・関西万博の海外単独パビリオン建設工事、今年のGW明けから従事して遅ればせながら着工したと思ったら、歯科治療でその日の午後大阪歯科大学附属病院(大阪市中央区大手前)へ出る以外に日の高い時間帯に退勤叶わず(苦笑)。




Osaka  Metro堺筋線で、自宅のある大阪市西成区迄の帰路で最近必ず立ち寄るお店。

日本橋駅下車、なんばウォークを西へ。

1970年に、旧「虹のまち」として開業以来ずっと近畿日本鉄道難波線日本橋駅西改札口前で、老舗として構えて居られる「らーめん古潭」。

此方、近年食堂形式へと新たな形態へ。


幼少期から、母に連れられて来たお店。

今の形態で、今年に久しぶりに入ってからお気に入りなのが生中かハイボール大とおかずのセット。

ビールは自身の身体だと肥るので、ウィスキーも好きだからハイボール大をチョイスしてお店手作りタレの油淋鶏と。


〆は、伝統のしょう油豚骨ラーメンなう。

久しぶりに筆を取らせて頂きます。

 

 

 

今朝(2024.08.18)、ANN系列全国ネットの報道・情報番組「サンデーLIVE」にて表題の件で終戦79年のコラムが放送されたので、大変興味深く拝見し釘付けになった。

 

別途、この記事に私が大好きです元・SKE48の主力メンバーで俳優の惣田紗莉渚(そうだ さりな)さんの画像も出て来よう。

 

 

 

今も昔も、女性有名人の活躍に男性は目を奪われる。

それが、国の浮沈を懸けて周辺国に戦争を挑んだ場合どうなるであろうか。

 

30年ほど前、大阪・ABCテレビ制作の全国ネット番組である方が取り上げられていた。

 

 

 

「元祖・女性アイドル」明日待子さん。

旧制の高等小学校(今で言うと中学校)を卒業後にスカウトされて、他の方とユニットを結成され東京・新宿「ムーラン・ルージュ」のステージに。

その愛らしいルックス、そして素晴らしい歌声に瞬く間に全国区の人気。

 

『とにかく、毎日が芸事とお稽古で一生懸命』『周りの事など、本当に考える暇がなかった』

生前、TVのインタビューにこう答えて居られた。

先年、99歳で旅立たれるまで北海道でお暮らしにて日本舞踊の流派で長い間指揮を取られていた。

 

 

 

「昭和の絶世美人」、映画俳優をされていた故・高峰秀子さん。

とにかく、この時代の女性芸能人で一番ブロマイドを売り上げられたか。

出演された映画作品は、封切りになるや速攻で前売り券が完売に。

 

しかし、彼女は先の大戦に思いを馳せて自らの半生を書かれた著書にて、

 

『私のブロマイドを多くの方が、そして各地へ広がった戦地へ散って行った』

『私のブロマイドを、戦地へ持って出て行かれた事を決して忘れられない』(以上、著書文章に同意にて)

 

と述懐されて、亡くなられるまで自ら十字架を背負われた。

 

こうして、戦地に赴き還らなかった方が多かった。

 

 

 

歌手の淡谷のり子さん、中国本土や旧・満州へも慰問されたが戦局の悪化で国内へ。

九州地方のある海軍航空基地、慰問でステージを務められた際の出来事。

 

鑑賞中の将兵達が、静かに客席へ入場された上官に耳打ちされて淡谷のり子さんに敬礼後、相次いで客席を後に。

そう、大戦末期で敗戦濃厚の最中航空機による特別攻撃作戦の最前線。

彼らは、命令一下今世との別れをされた。

意を察した淡谷のり子さん、歌唱中に周りに憚らず涙に呉れられた。

 

 

 

こうして、淡き思いを胸に多くの将兵達が死地へ出て往かれたのである。

 

これについて、押田信子・中央大学経済研究所客員研究員もANNの取材に答えられて、

 

『こうしたアイドルに思いを馳せながら、男性達は徴兵そして志願して戦争へ』

『言わば、アイドルが男性達を戦場へ駆り立てた形になった』

 

と分析結果を述べられた。

 

 

 

先の大戦、圧倒的な犠牲を経て終戦から79年。

時代と世代を超えて、アイドルの愛で方そして推し活の形は大きく変化している。

しかし、今の時代に誰1人戦地にとられる事無く推し活が楽しめる事に感謝し、先人達への哀悼の意と誠を決して忘れてはいけない。