長い間、投稿をお休みしました。




理由は、2019.09.01に東京都江東区東陽から現在住む大阪市西成区へ転居、そして所属会社を転職しました。

此処までの3年半以上、本当に喜怒哀楽激しく動いて本当に大変でした。


なかなか、心が休まるところも無くて。




ですが、ようやく落ち着いて書ける様に。

少しずつですが、又書いていきます。

2020年7月から、京都市伏見区そして今の和歌山市と出張生活を続けて参りました。

 

 

 

今の就業先において、どうしても人間として赦し難い異常事態がある事を聞くに及び、会社には契約期限である11月末にて解約する様に伝達して、これが受け入れられました。

 

詳細につきましては、守秘義務契約もありますのでここでは書いてお見せ出来ません。

 

ですが、とても人間がやる事ではないと憤慨必至にて。

 

 

 

いよいよ明日から、最後の11月に入ります。

 

母親が、中学校卒業後職工として働いていた娘時分に、職場で出会った親しい友人が生まれ育った和歌山市。

今でも、地元の人たちと同じく固有名詞にて、JR西日本和歌山駅の事を『東和歌山駅』そして南海電気鉄道和歌山市駅の事を『市駅』と呼んでますし、1971年に全廃された南海電気鉄道和歌山市内線(路面電車)を『市電』と呼んでます。

 

私も、この長閑な雰囲気の中で京都での苦しさを幾らかは癒す事が出来ました。

 

 

 

明日から、生活を送りながらも大阪の自宅へ帰る準備に入ります。

インフラ関係の手続き、おうちインターネットの住所変更届。

最終週は、一切の自炊を終了させて水回りの物は全て荷造り。

会社からの支給である自転車は、そのまま頂ける事になりました。

 

ちょうど、ヤマト運輸が宅急便のサイズ拡充を進めているので、京都からの移動よりは自転車を除けば安くなりそう。

自転車も入れて、引っ越し費用は約3万円くらいでしょうか。

 

 

 

出会った方々に恵まれて(所長は別ですが)、本当に良い日々を過ごす事が出来ています。

離れるには惜しいですが、またの再開を期して残りの時間を大切に過ごします。

この6月から、私はそれまでの京都市伏見区から和歌山市内に出張先の仮住まいを引越し、新しい現場での業務に従事しております。

 

 

 

JR和歌山駅から徒歩圏内、「たま電車」で全国的にも有名な和歌山電鐵貴志川線田中口駅が最寄りです。

この和歌山市、実は大阪の母親がまだ娘時分に勤務していたカメラ工場の親しい友人が地元と言う事で、良く遊びに来ていたとの事です。

そして、当時はまだ市内中心部を「市電」が走っていました。

この『市電』、「市内電車」との意味合いでの愛称で南海電気鉄道が1961年に和歌山電気軌道から譲り受けて、引き続き営業していた和歌山市内線です。

 

しかし、折しもモータリゼーション激化によって電車の定時運行が困難になって、1971年に惜しまれながら全廃。

奇しくも、貴志川線とこの路面電車がかつて経営母体が同じだった事から、貴志川線は当時の南海電気鉄道のネットワークから孤立化してしまいました。

 

貴志川線も、利用客の減少が続いているので南海電気鉄道は自力再建を断念。

廃止の危機にありましたが、地元の熱意に推された形で岡山電気軌道が引受先となり、和歌山電鐵を完全子会社で設立して2006年に営業譲渡が完了。

翌年には、電車線電圧を1500ボルトに昇圧を果たしました。

 

 

 

マンションを出て、県道を東へ行くと県内でも有数の学園を見かけます。

和歌山県立向陽中学・高等学校。

県内初の中等教育学校で、高校は県内トップクラスの進学校。

1世紀以上の伝統を誇る高校です。

 

母体となったのが、旧制:和歌山県立海草中等学校。

硬式野球では、1938・1939年の夏の全国中等学校野球選手権大会で全国制覇。

これまでに、春夏併せて10回の全国大会出場を誇ります。

 

戦前の連覇を投げたエースが嶋清一さん。

1940年に、東京の大学へ進学を果たしますが太平洋戦争の激化で学徒出陣となり、そのまま学徒士官として出征し帰らぬ人に。

 

 

 

今、その歴史にも想いを馳せて毎日を送っております。

この週末まで、本当に常識ではちょっと考えにくい、大変残酷な事件が相次ぎました。

私も、本当にニュース🆕👂️‼️のヘッドラインを見て驚き、そして怒り💢💢💨に打ち震えてました。




日本最大の民鉄、近畿日本鉄道。

その持ち株会社、近鉄グループホールディングス。

事もあろうか、採用担当社員がある就活中の女子大生を誘い『エントリーシート、私が添削してあげる』。

そして、立場の弱いこの女性👩をそのままホテルに連れ込んで………。

さすがに、これ以上は書けません。




しかし、一生の傷を背負わされてしまい、この女性も大変かと存じます。

それよりも、この社員は既に懲戒解雇済みですが近鉄グループに於いては、被害者とご家族に相応の償いをしてもらうのと同時に、是非ともコイツを刑事告訴して欲しい。




そして、日本が世界に誇る日本製鉄。

此処でも、又就活中の女子大生に採用担当社員が相次いでセクハラ行為を。

彼女も、それは心に一生の傷を背負わされてしまい。


同性として、男のモラルがここまで堕ちてしまったとは、本当に情けなく思います。




故郷であり、2019年9月1日より住民票を置いている大阪市。


JR西日本大阪環状線天満駅近く、とあるカラオケパブの若い女性オーナーにしつこく付きまとう56歳の妻子あるオッサン。

オーナーは、以前からこのオッサンについて嫌がっていたそうで。

しかし、とうとうオッサンはこの女性を刃物でメッタ刺しにして殺害。


報道で知る限り、かなりの『構ってちゃん』だったみたいですねこのオッサン。




私はそうではありませんが、良い歳のオッサンがだんだん幼稚退行すると、近年そんな話を聞いた事もありますがまさか😱💥‼️……。




もう、我が身に置き換えて律しなければ。

先ほどまで、NHK総合デジタル「かんさい熱視線」を観てました。

→ 近畿地方ローカル。




このコロナ禍で、住む所もお金💰も無くなり「最後の砦」として機能すべき生活保護保護費の制度が、全国各地で又申請拒否そして門前払いの嵐に。


そこで、政府が社会福祉協議会を通じて支援しているのが、緊急小口資金貸付を拡大した「特例小口融資」です。

しかし、この状況下で返済の為に仕事を探すも、なかなか見つからないところから更なる「追い貸し」が多発しています。




この番組で、インタビューに応じた大阪府寝屋川市在住の男性。

「元建設業」とのクレジットがありましたが、確かに如何にも職人さんらしい風貌。

でも、私が見た限り申し訳ありませんが、かなり違和感を覚えました。




と言うのも、確かにテレビを置くキャビネットに無造作にレジ袋が押し込んでいましたが、何かしら節約して自炊生活が出来なかったものか??

又、長らく職人をされていたらしく拝見、ジョブチェンジは困難かと思いますが敢えてそこを、特性を活かして出来る職種を何故選ぶ事が出来なかったのか??


どうも、男性の言動が腑に落ちませんでした。




そして、男性曰く

『これだけ借りておいて何やけど、いざ返済となるとやっぱり無理やもん』。

申し訳無いけど、計画性がまるでない。

やはり、これまでの仕事を探して返済としか考えていないと、私はそう理解しました。




私も、1991年のバブル崩壊以降様々な事情で働けなくなり、消費者金融からの借入金が元利合計で約400万を超えていました(現在だと、後100万プラスかも)。

自殺も考えました。


亡き実父から、悔しながらもお金を借りました。


そして、勇気を振り絞り転職活動を再開。

一方で、借入金を何とかしたいと自ら東京弁護士会の門を叩き、当番弁護士に相談したら

『私が、何とか面倒を診ます』

と言ってくれました。

全て着手決定後、当時としては奇跡的でしたが着手金の分割払いまで認めてくれました。

→当時はダメでした。




その後、6年を掛けて任意整理した債務の完済を果たしました。




又、2008年秋のリーマンショック以降、私も派遣会社にて雇い止めに遭い翌年春で退社。

初めて、ハローワークに行って失業手当受給を受けました。

そこから、紆余曲折を経て10年後。


思い切って、実家を支えなければと一念発起して、東京都江東区から実家に近い大阪市西成区に引っ越しをしました。

この際に、転職活動を経て入社した建設技術者の派遣会社で、思いも掛けない高待遇の契約をもらい、母親と下の妹の為に行動出来る様になりました。




そして、以前から連携を取ってきた実家所在地の大阪市会議員に協力を得て、昨年10月から実家は生活保護受給者世帯になりました。

母親がもらえだ年金の金額がとても少なくて、思い切って申請したものです。


申請内容をチェックしてもらい、更には窓口担当に直接申請のアポイントまで取ってくれました。

後は、それはスムーズに申請が通り現在に至ります。




数年前まで、大阪市と福岡県北九州市が生活保護申請に対してとても厳しく、門前払いのオンパレードだったと聞きます。

そうです、北九州市で兄弟が家で餓死した事件。

あれ以来、北橋健治市長の手腕に問題多しと、全国から非難が集中してましたね。




今こそ、生活保護申請は弾力的運用を。

今、自宅を出て洗濯物を担いで、南海電気鉄道天下茶屋駅のモール街🏘です。




のんびりとお昼ご飯をと、南海電気鉄道天下茶屋駅改札口横「やよい軒」に入っています。


そこへ、オッサン達がマスク😷未着用で入店しては、喧しく喋って居ます。

この状況下、本当に迷惑。

転じて、最近本当に大阪人もモラルハザードに陥ったのではと、そう思わされる光景に良く出合います。




私は、出来るだけ理性を保つつもりです。



この写真、あの和歌山城天守閣です😆🎵🎵。
そうです、ANN系列の時代劇「暴れん坊将軍」でモデルになった、8代将軍の徳川吉宗公が幼少期を過ごした場所です。

写真は、2020年2月のとある土曜日に大阪から「和歌山ラーメン🍜🍥食いてぇ🎵」と、南海本線特急「サザン」でやって来た時にスマートフォンで撮りました。



昨年7月1日より、京都市伏見区の就業先にて施工管理及び工事監理業務に就いて来ました。
5月24日(月)にて、大幅に工事量が縮小の運びになったのでお役御免になりました。

今日(5月28日)、いよいよ仮住まい🏠から荷物📦️を発送して退去です。



で、次の就業先の住所が和歌山市。
仮住まい🏠、何と御厚意でJR西日本和歌山駅から徒歩👣💨😱💥‼️。
しかも、現場へは自転車🚲️で15分ほど。
買い物👜👗至便、大通りにはそこそこ飲食店もあります。

所長以下3名、少人数でやらなければなりませんがとにかくやってみます😅✌️。