2024年

本年も、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

■写真、東京都港区港南の「NTT docomo品川ビル」。

 

 

 

旧年中は、ますますブログを書く事から遠退いてしまっていて、それほど心身共に激動で疲労激しい状況でした。

今年は、心穏やかにそして賑やかに出来たらとの願いです。

 

 

 

元日の夕方、石川県能登半島を中心に大きな地震が発生して甚大な犠牲と被害が。

今も、余震の恐怖と戦いながら神奈川県警察や大阪市消防局等全国から緊急レスキュー隊が、懸命の救助作業をしてくれています。

 

1日でも早く、全ての犠牲者を穏やかに偲び日常生活が復旧される事をお祈り申し上げます。

私の職業は施工管理職

もう、社会人になってからずっと出向・派遣等外部人材として、建築・土木工事の施工管理職をしています。

 

今年(2023年)で35年目なう。

 

 

 

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好きになりかけた人

今から3年前。

その年の夏から11ヶ月、大阪・天下茶屋の自宅から住み込みで京都市伏見区の現場へ。

 

変わった馴れ初めだったが、今から思い出すとあれは人生で初めての経験だった。

 

 

 

2020年春から3ヶ月間、派遣会社では3ヶ月が契約期間凡そ「1クール」だが前の派遣会社は

 

『最初の契約は、是非とも半年でお願いします』

 

とのスタンスだった。

 

「何を今更…」と思われがちだが、大阪・北河内地域のとある物流倉庫の新築工事現場で就業先プロパー社員から、かなり陰湿な嫌がらせを受けた事が原因で、完全にやる気を失くしていた。

 

まさに、その「1クール」で契約を解除して。

派遣会社の当時の担当者、

 

『このパンデミックの状況、実はなかなか就業できずに自宅待機の者がかなり多いです』

『場合によっては、出張も可能ですか?』

 

と問われたので、事前に実家の母からも了解を得られていたので「東海道・山陽新幹線の沿線ならば可能」と。

 

後日、勧められたのがこの京都市伏見区の就業先現場。

面談の結果は「合格」。

 

 

 

赴任したのは良かったが、もう何もかも全て最悪だったかも知れない。

私の立場は、就業先にて元請且つ工事監理者。

1次請負会社が同じ企業グループ、そこにも同じ派遣会社から先に1人赴任していた。

2次請負が、全国展開をしている中堅ゼネコン。

 

だが、2次請負会社がなかなか私達の指示に従わない。

ほぼ毎日、施工ミスと安全ミスのオンパレード。

 

それだけではない、最悪の事態が直ぐ待っていた。

 

 

 

同じ派遣会社から、安全管理者専任として1人常駐していたがこいつが本当にどうにもならない男。

自らのキャリアを振りかざし、「書類不備、自分の指示に従わない」と新規入場者を何人も追い返すのは朝飯前。

 

後からこっそり知ったが、他社から来ていた女性事務職にかなりのセクハラ行為を働いていた。

 

そして、とうとうこいつ有ろう事か1次会社に対して明らかに、恫喝まがいの事をしでかしてバッチリ音声記録されて、下手したら刑事告訴寸前だった。

 

派遣元は、こいつが改悛しなければ斬ると。

案の定、自らのキャリアでマウントを取って、自分が居なければ安全管理は不可能だと抜かして、途中で仕事を放棄して出て行った。

 

 

 

それから、数週間後これらの行為を彼女から聞いて、恐らく会社は聞いていないだろうとその顛末を、聞いたそのまま連絡した。

会社は、厄介払い出来たと安堵するや総務の女性達がかなり激怒していたそうな。

 

 

 

その後、彼女を慰めて少しずつ親しくなり、お互いの身の上話からウィークポイントまで話す間柄に。

京都市内在住、短期大学卒業後折からの就職難で非正規雇用ばかりが続いていたそうな。

 

そして、ある時に資格試験の受験を提案し「You、やっちゃいなよ」と決心をけしかけて。

彼女、「うち、やってみる!」。

 

 

 

建設現場で、総務事務業務を行う際にどうしても必要な国家資格を取得する為に受験、結果は「合格」。

 

お互いに、業務の合間にそれは喜びあった。

 

この時に、彼女からも感謝されているのを感じて、恐らく惚れたのかも知れない。

 

 

 

髪を後ろにひっつめて、日中は業務に就いていたが通勤時は髪を下ろして帽子を被り。

かなり小柄だったが、典型的な京美人。

話し口調も、ほんとうに「はんなり」との形容詞が。

 

彼女から、私もかなり勇気付けられた。

自らが、ASD(自閉症スペクトラム障害)に由来する発達障がい者で人には言い尽くせない苦労と屈辱を重ねてきた事も話すと、

 

『もう、貴方は十分治ってるわホンマ』

 

と。

 

 

 

翌年、就業先にて意見が合わなかったのか所長が子飼いの社員を呼んで、私はそのままお払い箱。

でも、本当に良かった。

 

最後に、彼女にお礼にと食事に誘ったが、当時の状況下もあってそのままお別れ。

 

 

 

今頃、彼女はどうしているだろうか?

 

 

 

 

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2023.08.05

おはようございます。

なかなか、筆無精になってしまっております。

 

 

 

先月の後半に、近所の銭湯から帰りに阪堺線停留所の踏切で足を思い切り捻ってしまい、ほぼ180°左足の甲が反っくり返って次の瞬間「バキッ」と音が。

左足の小指と薬指を骨折負傷、以降現在も自宅療養中です。

 

お陰様で、会社が傷病手当金を申請してくれるとの事で安心してますし、生命保険会社の口座から見舞金を振り込まれました。

前者が振り込まれるまでの補填も、前の現場で時間数の割に過去最高の残業手当をもらったので、別の口座に預けております。

 

さて、ここまでの転職からの経緯を書きます。

➝  初めて御覧の方もお出ででしたらと、改めて記します。

 

 

 

 

 

2023.02.13

先に、全く謂れの無き舌禍事件の責任を取る形で前の派遣会社と契約を終了後退社。

この日、その有給休暇を全て消化後新しい派遣会社と契約し、大阪府堺市の大規模物流倉庫新築工事へ。

 

一言、全く持ってとある人物のせいで「ムラ」でした。

就業先の副所長でしたが、自分の子飼たちとは気軽に話すものの私は何故か蚊帳の外で。

赴任当日も挨拶がとんでもなく、

 

『貴方とは、明日話をします』

 

と初対面の者への挨拶とは思えない、全く持って失礼なものでした。

 

一気にやる気を出さなくなって、取り敢えず眼の前の事で毎日働きました。

しかし、とうとう長い間の無理が祟ってしまったのか、初期症状なれど腰椎椎間板ヘルニアに罹りある日の朝、早朝出勤で南海本線堺駅からのバスの中で右脚全体がめちゃめちゃ痛み出して、事務所へ辿り着くのがやっと。

仕事を断念して、地元に帰り整形外科医院へ。

 

現場が、それはとても大きくて毎日かなりの距離を歩くために、右脚へはかなりの負担が掛かりました。

 

とうとう、限界を超える事態になった為に会社にお願いして、現場と就業先を替えてもらう様に依頼。

 

 

 

2023.05.08

兵庫県尼崎市にある、大きな公共施設の老朽化対策による改築工事。

工期は、全体で約5年以上と聞きました。

 

現場までの通勤、そして場内の移動がかなりのものと面談で伺い、そして腰椎椎間板ヘルニアの事もお話しましたところ場内移動で用意している自転車を、最寄り駅からの通勤と併せて専用で使って良いとの事。

更に、降雨時には連絡車で送迎もすると言ってくれました。

 

申し訳ないくらいの対応、他の案件をお断りしてこの日赴任しました。

 

所長からは、

 

『とにかく、若くて経験が浅い者が多い。その経験値を植えてやって欲しい。』

 

と懇願されて、少しずつですが行っております。

 

私自身、前の派遣会社でプロパー社員を1名手塩に掛けて育て上げて、見事に独立させる事が出来ました。

それと同じ方法で、今でもやっております。

1から、人間関係を創らないといけない。 

それが、本当に1番大変です。


私は、ASD由来の発達障害者です。

色々大変なんですよ。


しかも、それと両立させるべく敢えて派遣社員。

国家資格を取得してますので、お陰様で食いっぱぐれはあのリーマンショック以降の数年だけで。

 

 

 

 

 

 1989.03.27、大阪府八尾市の公立高校普通科を卒業後直ぐに社会人になり、布団1式を新調しただけで後は身内にスーツをもらって、ほとんど着の身着のままで東京へ。

2段ベッドが並ぶ独身寮、プライベートとか全く無い状態から本当に苦労しました。


でも、転職を繰り返す中でようやくまともな生活を送る事が出来ました。


2019.09.01、実家の事情があり大阪市西成区へ転居。

その際には、冷凍冷蔵車と冷暖房エアコン以外は全て大阪・梅田のYodobashiへ行って大人買い。

念願だった、家庭用ファックス複合機も。

 

 

 

長い間、投稿をお休みしました。




理由は、2019.09.01に東京都江東区東陽から現在住む大阪市西成区へ転居、そして所属会社を転職しました。

此処までの3年半以上、本当に喜怒哀楽激しく動いて本当に大変でした。


なかなか、心が休まるところも無くて。




ですが、ようやく落ち着いて書ける様に。

少しずつですが、又書いていきます。

2020年7月から、京都市伏見区そして今の和歌山市と出張生活を続けて参りました。

 

 

 

今の就業先において、どうしても人間として赦し難い異常事態がある事を聞くに及び、会社には契約期限である11月末にて解約する様に伝達して、これが受け入れられました。

 

詳細につきましては、守秘義務契約もありますのでここでは書いてお見せ出来ません。

 

ですが、とても人間がやる事ではないと憤慨必至にて。

 

 

 

いよいよ明日から、最後の11月に入ります。

 

母親が、中学校卒業後職工として働いていた娘時分に、職場で出会った親しい友人が生まれ育った和歌山市。

今でも、地元の人たちと同じく固有名詞にて、JR西日本和歌山駅の事を『東和歌山駅』そして南海電気鉄道和歌山市駅の事を『市駅』と呼んでますし、1971年に全廃された南海電気鉄道和歌山市内線(路面電車)を『市電』と呼んでます。

 

私も、この長閑な雰囲気の中で京都での苦しさを幾らかは癒す事が出来ました。

 

 

 

明日から、生活を送りながらも大阪の自宅へ帰る準備に入ります。

インフラ関係の手続き、おうちインターネットの住所変更届。

最終週は、一切の自炊を終了させて水回りの物は全て荷造り。

会社からの支給である自転車は、そのまま頂ける事になりました。

 

ちょうど、ヤマト運輸が宅急便のサイズ拡充を進めているので、京都からの移動よりは自転車を除けば安くなりそう。

自転車も入れて、引っ越し費用は約3万円くらいでしょうか。

 

 

 

出会った方々に恵まれて(所長は別ですが)、本当に良い日々を過ごす事が出来ています。

離れるには惜しいですが、またの再開を期して残りの時間を大切に過ごします。