先日、湯沢市院内の院内銀山跡に行ってきました。

院内銀山について湯沢市観光協会のホームページではのように解説されていました。

『院内銀山は慶長11年(1606)に発見され、佐竹藩直営の銀山として経営されました。天保4年(1833)から約10年間は年間の産銀量が千貫を越え、「天保の盛り山」と称される最盛期を迎えます。
この当時の銀山は人口15,000人あまりを数え、城下町久保田(今の秋田市)をしのぐほどの活況を呈したと伝えられます。その後、明治維新をへて新政府直轄の経営となり、近代化を推し進めていきます。
しかし、銀価の崩落や鉱脈の堀り尽くしなどでしだいに衰退し、昭和29年(1954)には完全閉山し、約350年にわたる長い歴史の幕を閉じました。今も院内銀山跡地には当時の坑口などが見られ、かつての面影がしのばれます。』



この林の中を通る道の奥に銀山跡はあります。



金山神社です。


この辺りは雪深く、鳥居の上まで雪が積もるため、鳥居や社の傷みは雪のために激しい。苔むした階段は歴史を感じさせられます。


院内銀山が久保田藩の管理下に入ると藩主佐竹家から厚く庇護され、境内には歴代藩主から金燈篭、書画などが奉納され、境内には狛犬、石灯篭などが多数あるそうです。

しかーし、境内にあるほとんどが倒壊したり破損したりしていました。

















三番共葬墓地

共葬墓地は、11あったお寺に入りきれなかった数多くの人たちの墓地と言われているそうです。当銀採掘によって病気のため短い人生で亡くなる人数が多かったとのことです。






ということで、院内銀座跡を見てきたyonejiの独り言でした。


院内銀山の資料館『異人館』がありますが、時間がなくて見学できませんでした。坑口跡も見ていません。また、近々行ってみたいと思います。



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