2010年11月発行の新潮文庫。直木賞受賞作ということである。
井上荒野の作品は『誰よりも美しい妻 (新潮文庫) 』を読んだだけだが、その表現力に斬新さを感じたことを覚えている。この作品についても、穏やかな日常を淡々と描き、それでいて、帯に「繊細で官能的な大人の恋愛小説」と謳われるような効果を秘めているのだから、小さな驚きである。解説の山田詠美氏は「その静寂故に狂おしさが匂い立つ大人の恋愛小説、いえ、情愛小説である。」とまで言っているのだ。自分としては、情愛小説はさすがに言い過ぎで、そこまで深読みする必要もないように思うのだが。いずれにせよ、きわめて文学的な作品であり、その完成度は高いと言えそうである。
物語は、かつて炭鉱で栄えた離島で小学校の養護教諭をしているセイが「私」という一人称で語ってゆくという形式である。セイの夫・陽介は画家で、医院を開業していた亡父の診察室をアトリエにしている。二人とも島で生まれ育ったが、しばらく東京に出ていた期間があり、少しだけよそ者の要素を持ちながら、島に溶け込んで仲睦まじく暮らしている。そう言えば、「明け方、夫に抱かれた。」というのが冒頭の一行であり、それだけで十分に官能的なのかも知れない。この作家は性行為の細部を描こうとはしないけれど。
各章は『三月』から始まり翌年の『二月』まで、島の一年間の季節の移ろいを追ってひと月ごとに表示され、最後に短い『四月』が最終章となっている。離島であることと、小学校が舞台であることが、出会いと別れを凝縮していると言えそうだ。
四月のある日、石和聡が音楽教師として赴任してくる。こんな離島の小学校への転勤は、なにか事情を抱えているのかも知れない。風変わりで、いまにも壊れそうな痛々しさがある。以前は炭鉱夫の社宅でいまは廃墟に近い岬住宅での最初の出会いに始まり、セイは次第に石和が気になる存在となってゆく。
学校には月子というセイの同僚教師がいて、彼女は奔放を謳歌している。彼女は島のみんなが「本土さん」と呼ぶ男性の愛人である。セイと月子を対極に置いて、「本土さん」の妻が島へ乗り込んできたり、一度は「本土さん」と別れた月子が石和と寝たり、再び戻った「本土さん」と石和とに喧嘩沙汰が起きたりと、島には珍しい騒動を点描しながら、セイと石和との心の交流が深く静かに進行してゆくのである。と言って、セイは陽介を愛しているし、石和との間に何かが起こるわけでもない。ただ、心惹かれる存在として重きをなしてゆくに過ぎないのだ。
季節ごとの島の表情、祭りなどの年中行事をさりげなく織り込み、身寄りのない老婆・しずかさんとセイの交流に触れ、しずかさんの入院を介してセイと石和の距離が縮まったりもして、この作家は、控え目な描写を繰り返しながら、周到な配慮により、具体的には何事もないのに、二人が魅かれ合ってゆく過程を浮き彫りにしてゆく。表面的にはありふれた日常であるのに、それが読者の心にも染みてくる。短編の手法を積み重ねて一編の長編を紡いだようで、無駄がなく、隙もなく、それが心地よい。そして一年後、石和は島を去り、穏やかな日常はさらに続いてゆく。
なお、「切羽」とは、トンネルを掘ってゆく一番先のことで、トンネルが繋がれば無くなってしまう。考えてみれば、人生とは時間のトンネルを掘り進むことに似て、一日一瞬が切羽のようなものなのかも知れない。と、そんな深遠なことを考えてしまうのも、この作品の余韻に浸ればこそである。
2010年11月7日 読了
