2010年10月発行の文春文庫。一年ぶりに第五巻を読んだことを思えば、すぐにこの第六巻を読めるのはさすがにわかりやすい。人物配置などが頭に残っているからだ。それにこの巻では、映画『レッドクリフ』で観た「赤壁の戦い」が描かれていて、そういう意味でも、親しみやすかった。
曹操は北をほぼ平定し、次は南へ攻め入りたい。しかし、袁尚と袁譚を生かしておいては、必ずまた兵を起こすに違いない。曹操はもう一度北へ軍を送り、長雨で渡河に苦しみながらも、二人を誅殺して、冀州の不安を払拭した。
この当時、南の揚州は孫権、荊州は劉表が押さえている。劉備は劉表のもとへ寄寓しているところだ。そして、劉備が諸葛亮(孔明)の学識の深さを知り、三顧の礼をもって彼を迎えたのもこの頃のことである。このとき、劉備はまだどこにも領土を持っていなかった。
やがて劉表が病死し、荊州は次男の劉琮が相続して、長男の劉琦は諸葛亮の進言を入れて江夏郡へ赴任して行った。曹操が南征軍を発したのはその直後である。劉琮は曹操との戦いを避け、服従を選択した。こうなると、劉備は劉琮のもとを逃げ出さねばならない。劉備は曹操に服従するつもりはないからだ。彼は孫権との提携を探ることになる。
孫権としては、信義に欠け、逃げ足の速さで生き延びてきた劉備を全面的に迎える気持はなかった。しかし、孫権はまた曹操に屈服することも潔しとしなかった。折しも曹操から大軍を擁して進軍するという布告が届く。孫権軍は寡勢であるが、北方で騎馬による戦いをしてきた曹操軍は船上での戦いには不慣れであり、そこに勝機があるとして、迎え撃つことを決定した。
こうして「赤壁の戦い」へと進んでゆく。曹操軍は疫病に苦しみつつも、圧倒的に優勢な戦力を誇示し、陸上には塁も構えて、持久戦の様相に持ち込んだ。孫権軍は別働隊の劉備に敵塁の背後を襲わせる作戦を立て、曹操を船上に移動させて、奇策による火攻めを成功させて勝利を得る。実際、劉備が素早く動いていれば、曹操の命はなかったようなのだが、この「赤壁の戦い」でも、劉備はついに目覚ましい働きを見せることはなかった。
大敗した曹操は、江陵の守備を曹仁に命じ、北へ帰った。孫権軍で江陵を攻撃するのは周瑜であるが、曹仁はよく守り、この江陵の攻防は膠着状態となってしまう。曹操は軍の立て直しに時間を要し、その間に孫権は少しずつ北への侵攻を見せるのだが。
劉備は周瑜とともに江陵にいたが、曹操に服従した荊州の内乱を防ぐとして、周瑜の許しを得て軍を離れた。もちろん諸葛亮の建言である。劉備は劉表に厚遇されていたので、荊州には彼を慕う人も多い。彼は一つずつ郡都を制圧し、次第に一方の勢力となってゆくのだ。劉備が曹操や孫権と対抗し得る立場を得ることこそ、諸葛亮が描く構想なのである。
こうして、ようやく『三国志』の三国=魏・呉・蜀の形が見えはじめたところで、この第六巻は終っている。予告によると、第七巻は2011年10月発行ということで、続きを読むにはまたも1年間待たねばならない。せっかく面白くなってきたところでの長い中断、辛いことである。
2010年11月6日 読了
