白石一文 『心に龍をちりばめて』 (新潮文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 2010年11月発行の新潮文庫。

 白石一文の著作に接したのはつい最近のことで、二作を読んだに過ぎないけれど、作品を追い続けるに値する素敵な作家だと思った。その彼の新潮文庫新刊とあれば、何を置いても読みたくなってしまう。

 しかし、一読後の率直な感想を述べれば、この『心に龍をちりばめて』はデヴュー作『一瞬の光 (角川文庫) 』の男女を裏返しただけではないのか? つまり、焼き直し、あるいは二番煎じ。どうもそんな気がしてならない。

 『一瞬の光』は、東大出で一流企業の人事課長となったスーパーエリートが彼に相応しい容姿も育ちもいい恋人を振り捨てて、心身ともに不安定な女性とともに暮らすことを選択する物語であった。もちろんこれは乱暴な要約であり、長編小説に様々な要素を盛り込んで読み応え十分であったことは強調しなければならないけれど。

 この作品の主人公は小柳美帆、34歳、お茶の水女子大卒で、誰もが振り向くほどの美貌の持ち主である。出版社の編集部を経て、いまではフリーで活動しているが、年収は2千万円。要するに、容姿と才能に恵まれたスーパーウーマンだ。美帆には学生時代からのつきあいの黒川丈二という恋人がいて、結婚も目前であるが、その丈二も、東大法学部卒で通信社の記者をしつつ政界を窺おうという超エリートである。

 この作品は各章が日付で表示されていて、最初が「昭和五十八年八月十日」、美帆の弟・正也が川で溺れかけるところを、美帆の同級生である仲間優司が助けるシーンである。次いで、「平成十六年三月十七日」の現在時間へと移り、美帆が故郷の福岡で仲間優司と再会するところが描かれる。以後、現在時間を中心に進行し、ときどき過去に戻って、美帆と優司の生い立ちが点描されてゆく。すなわち、この物語は、およそ20年ぶりの出会いに始まり、美帆の心が次第に丈二を離れ、優司へと向かってゆく過程を綴ったものなのだ。そして、その優司といえば、背に龍の彫り物を背負った元暴力団員であり、足を洗ったいまは焼鳥店を経営している。世俗的な観念では、一人の女性の将来を託すならば丈二のほうがはるかに魅惑的であると思われるのだが、美帆は優司を選択するのである。物語の推移と結末とが、男女が入れ替わっているとはいえ、『一瞬の光』と酷似しているとは言えないだろうか?

 美帆の出生の秘密や、幼い頃の優司との短いけれど運命的な接触が描かれる一方、丈二が必ずしも信頼に値しない男であることも示されるが、だからと言って、美帆と優司が結ばれるのは必然であると言えるほどの説得力はないような気がする。ましてや、妊娠に気付きつつ丈二と別れた後の美帆の行動は常軌を逸している。著者が読者サービスのために「シャブマン」などの行為を挿入したとすれば、これはやり過ぎというものだと思う。

 この物語のハイライトは、美帆が丈二と彼の両親の前で掛け値なしの本音を語るところであり、その啖呵の切りっぷりは爽快であるけれど、残りの後半部分は全体に荒っぽくなってしまったようだ。最後に、優司に恨みを抱く弟分の研一が二人を跳ね飛ばすシーンがあり、それなのに、優司も美帆もおなかの子供も無事だったらしく、穏やかなハッピーエンドを迎えるというのも不自然である。

 うーん、今回は『一瞬の光』との関係で、厳しい切り口になってしまった。『一瞬の光』を知らずにこの作品を読んだなら、また異なる印象を得たのかも知れないのだが。

  2010年11月13日  読了