山本一力 『赤絵の桜 損料屋喜八郎始末控え』 (文藝春秋) | 還暦過ぎの文庫三昧

還暦過ぎの文庫三昧

 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 この本も文庫ではなく、2005年6月発行の単行本である。やはりF先輩からお借りした中の1冊。

 この作品、損料屋喜八郎シリーズの第2作で、すでに文庫化されている第1作は、そのときに文春文庫版で読んだ。確か、山本作品を読んだ最初の1冊で、以来、作品を目にするたびに読むことになったわけだ。それだけの力が備わっていた作品だったと言うことなのだろう。

 だが、山本作品を何点か読んだ後に、改めてこのシリーズを手にしてみると、若干の違和感を感じる。どちらかというと下町市井の人情・世話物に長けた作家というイメージができつつあって、しかしこのシリーズに関しては、作者が目指す方向が異なるのではないか。ウェットな作風が得意な作家なのに、敢えてドライな、いわゆるハードボイルド的な作品を指向したのでないかと、そんな気がするのだ。もちろん、作風の幅が広がるのは歓迎すべきことだと思うので、これは不満を述べているのではない。

 ドライでスピーディな展開の5編が収録され、なかでも表題作の『赤絵の桜』が秀逸であった。短い挿話を次々に被せて忙しく場面転換を繰り返すので、読み始めは戸惑うが、最後にそれらのすべてがすっきり収斂してゆくのは、思わず「うまい!」と掛け声をかけたくなるほどだった。また、『初雪だるま』は、喜八郎と江戸屋の女将・秀弥を結びつけるために、回りの全員で2人を慌てさせるための大芝居を仕掛ける話で、物語の大切な主人公を作品の中でこれだけからかってしまうという作者の趣向が愉快である。

 ただ、シリーズ第1作の前提を下敷きにして物語が進むので、前作における人間関係などがある程度頭に入っていないと、作品の理解に苦しむことになるような気がする。だから、第1作を未読の人は、この本をいきなり読み始めるのではなく、まずは第1作を手にしたほうが無難だと思う。

  2006年1月14日 読了