小説「海へ」1-3-B
前回までのあらすじ:
主人公は帰る電車を乗り間違え、その電車の中で出会った漫画「たいむぶれっど」に心を奪われる。
しかし、前半で終わっていたため残念に思う。
その時、そこに現れた少女は「たいむぶれっど」の作者で、主人公に後半の原稿を見せる。
主人公は少女の漫画を読みながら、彼女の作品を評価する。
少女は奇妙な言動を見せ、主人公は疑問を感じるが、疲れてどうでもよくなってしまう。
しかし、主人公は再び少女の原稿を読み、その作品が少女漫画の歴史を塗り替えるほどの価値を持つと確信する。
第一部
第3章「天才との会話、及び非線型理論の概要」(2)
さて、物語のほうであるが、山場から山場へと起伏の多い展開を披露しながら、全体としては一貫した筋の通し方をしているという、そのような完璧な構成方式をなしていた。
ぼくはいつしか、その作品世界の内部へと意識を吸着されてしまうのだった。
別に特定の登場人物の誰それかに自己投影するとかというのではなくて、作品世界そのものが自意識と一体渾然と化してしまうのであった。
要するに、それだけ強烈な表現力がそこにはあったわけである。
そして、このようなときに誰でもが感じるであろう感情に、ぼくもなっていた。
つまり、興奮して、感動していたのであった。
おそらくは、この一作によって少女の天才が認められ、全ての芸術分野の刷新が行われるであろう。
そしてその出発点となったのが、このパラドキシカルな運行状況を呈した迷宮電車の中であり、そこにたまたまぼくが乗り合わせていたということも何らかの偶然の符丁があるというわけだ。
どんなに反駁してみたところで、こればっかりは否定できないよ。
ねえ。
(続く)
物語は、山場から山場へと起伏の多い展開を披露しながら、全体としては一貫した筋の通し方をしているという…
(イラストはCiCiAI生成によります)