鍼灸の歴史
①紀元前2383―同1123年(太古時代)
中国の伝説によれば、伏義、神農、黄帝の三王が中国を統一して帝位につき、医薬を定めたといわれています。
伏義
支那民族開祖といわれる伏義は、初めて支那易学の基礎を開いたと伝えられています。
(註)易とは、宇宙万物の消長変化の大法を説いたものです。その中には、漢方医学の基礎ともいえる陰陽ならびに五行説が説かれています。
神農
神農は百草をなめて、薬を定め漢方薬のもとをひらいたといわれています。
黄帝
黄帝は伏義から500年後、古代中国の殷王朝・周王朝(紀元前1500年~700年頃)時代に、支那を統一して初めて支那帝王の位につきました。黄帝は臣下の医師とともに医術の全般について論じ、「黄帝内経素問霊枢」18巻を作り、鍼灸治療をはじめ多くの治療法を定めたといわれています。鍼灸については、同書の霊枢編に詳しく記されています。