言葉の持つ力
三男坊が、学校に行き渋るようになったのは、同級生同士の「言葉」に傷ついたから。
相手は先生と話、我が子とも話「ごめんね」と、解決。
解決?いやいや解決してないから、こんなことになっているのでわ
相手は「ごめん」で 「はい、終わり」
クラスで言葉について話し合うこともないから、他に子が同じようなことを言う 一向に解決しませんが
本当にこの間、「ごめんね」の意味を考えた なんせ仕事が保育士だから、子ども同士の喧嘩で仲直りのために
「ごめんね」を誘導してしまう事がある。「ごめんね」の前の話をしっかり聞いたり、お互い話し合ったりの環境を整えて
いるつもりだが。
自分の仕事にすら、自信がもてなくなってしまう
昨日、2時間だけボランティアしてくれた方が、何をするにも「ごめんね」「何もわからなくてごめんね」何かをするたびに
「ごめんね」って
この人は、自分自身に縛りをかけてるように感じた。話を聞くと、精神疾患があるらしく、社会復帰に向けて頑張っているところらしい。
それならと思い、「ごめんね」って何回も言わなくて平気なこと。どうしても言ってしまうようなら「ありがとう」に変えて
言ってみてほしことを伝えた。
そこでね、自分も気づいたの。私自身も「ごめんね」に囚われていたことを。
子どもにも「大丈夫」「気にしない」って前向きな言葉をかける前に、「心配」が先行してしまっていたこと
自分でも言葉に力をもらうこともあるのに、忘れていたとは
人と繋がることは、発見や気づきを与えてもらえる、出会えたことに感謝
「ありがとー」