シンデレラメソッド®の著者・河合めぐみオフィシャルブログ「天命をおもいだす」 -4ページ目

シンデレラメソッド®の著者・河合めぐみオフィシャルブログ「天命をおもいだす」

今の生活は、そこそこ幸せ。でも、もっと自分には思い出すべきことがあるような気がする。天命を思い出し、意識を拡大させるエネルギーを放ちながら書いているブログです。


なにげない日常が最高に好き。

そりゃ、はじめてのものを見て
刺激的なことも楽しいけれど
朝起きてお弁当つくって娘を玄関まで見送って
息子を保育園に送って行って
食材を買いにファーマーズに行って
車のエアコンを切って窓を開けて
風を感じてみたり
読みたい本を探しに本屋さんに行って
なんとなく棚を眺めながら
今の流行りを知ったり




家に帰ればブログを書いたり
クライアントさんの鑑定したり
お香焚いて部屋を浄化して
神棚のお水と酒と塩を変えて
のんのんって平穏無事を祈り

わんこたちにご飯あげて
「今日もいい天気だねー」なんて
話しかけて掃除機かけて



そんな、なにげない日常は
昔なら物足りなくて嫌だった。


どこかの誰かの忙しそうな日常を
SNSなどで見て
自分で勝手に覗き見したくせに
勝手に自分の日常と比べて
物足りなさを感じて
「もっとやらなきゃ!」
「もっと頑張らないと」
って焦っていた。



でもさ、いつからだろう。
もうそんなのどうでもよくなっちゃって。


なにげない日常が最高で
悔いなく生きたいという想いは同じだけど
忙しく走り続けなくてもいいじゃんって。


特別なスキルを持つ必要もないし
これ以上足すことはいらない。
むしろ引いて引いて
玉ねぎの皮みたいに剥いで剥いで
真ん中の中心のところを見ていきたいなって。




「わたしはすごいんだぞ」
というわけではなくて相変わらず自信はないんだけど、
自分の価値がどうとかそんなことよりも

死んだときは丸裸になるんだから
着飾っても仕方ないやって。

お父さんが棺の中にいる姿を見て
「ああ、これは現実なんだ」と思いながら
どこか幻想を見ている感覚で
白い着物をきたお父さんなんて見たことないから。



棺のそばには津波で流されて発見されたとき
身につけていた見慣れた洋服が
透明のゴミ袋に入れられて
泥だらけになっていて、それを脱がされて
白い着物を着せられて棺で眠っていて。



丸裸だった。
着飾るもなにも最後の洋服すら選べない
おしゃれもなにもない
そのまんまの姿。お父さんの丸裸の姿。
白装束で、まるでこれから旅にでも出るような
ドラマの中だけで見た死人の姿。



ああ、死んだら丸裸になるんだって。


その姿は、お父さんが亡くなってから
時間が経つにつれてわたしのなかで本質となり
強い意志になっていくのがわかる。
どんな人でも必ず死ぬんだ。
それは平等で。

生きているときは地位とか名誉とか
肩書きとか結果とか成果とか
収入とか生活レベルとか
そんなものを重視するけれど
死んだら丸裸。

だから一切興味がない。

無駄に見えるようなことの積み重ねが
日常で
ベランダに植えた花とかトマトに水をあげても
誰も褒めてはくれないし
でもみるみる花は成長して大きくなる。




無理矢理、身体を壊しながら
自分を犠牲にしながら大切なものを失うより
無駄にみえるようなことを
コツコツ楽しめたり
わたしなんて家事は嫌いだけど
誰も褒めてはくれないような家事も
自分なりにかわいい食器をそろえたりして
気分よくやってみたり
珍しい野菜を買ってきて本で調べたりして
触って調理して食べてエネルギー上げてみたり




そんな日常が最高で
丸裸の自分のことを好きになるように
してみる。
そんな日常を沖縄で送っていると
以前にも増して直感が鋭くなる。

本質が視えてくる質が上がった。



自分だけの利益を出すために
自分たちだけが困らない方法を考えている人や
どんな方法を使ってでも
自分さえ良ければいいと人を人として見ていない人は、会った瞬間からわかるようになった。




人には固有の周波数があるけれど
ああーぴったり。っていう周波数は身体で
わかるようになった。
だから、好きな人には
好きと伝えるようにした。



丸裸になったとき恥ずかしくない自分でいたい。



家族が死ぬって
生きている中で結構つらいことだとおもうの。
親を亡くすって子供のときには想像もつかなかった。

「歳をとって老衰かな」ぐらいにおもってた。




それがさ、親を亡くしたとき
目の前が真っ白になって
気が動転しちゃって。
警察の人に遺体の写真を見せられるなんて
まるでドラマの世界だから
「この方ですか?」なんて聞かれたとき
思わず見ないで直視せずに目を逸らした。
旦那さんと妹も同席していたから任せた。



そういうドラマみたいなことが
遺体安置所の施設の中ではそこらじゅうで行われていて、わたしたち以外にもたくさんのドラマがあったんだ。




ビニールシートに包まれたご遺体の数だけ
家族の物語があるんだろうね。



もうさ、あのとき思ったよ
「これ以上辛いことはない」
「これを経験したんだからあとは大丈夫だ」

実際ね、あの震災から時間が経って
わたしは福島県を出てしまったから
もしかすると今でも福島県で生活して震災の記憶がありありと残っている人とは
温度差が出来ているかもしれない。

だから、この文章が他人事のように感じる人もいるかもしれないしそこは否めない。




「なにがなんでもない日常だ」と
思うかもしれない。



でも、あの数の家族の物語を
辛いものとして引きづるか
亡くなった家族の姿を脳裏に焼き付けて
前を向いて生きるかは
その人それぞれの生き方次第なんだ。


だから、わたしは本質からずれたくない。
寄り道をしながらも
いつか丸裸になる日まで自分の日常で
直感を大切にして
出来ることならわたしの能力が
誰かのなにかしらの背中を押せたらとおもう。




ある日の夢で「沖縄の児童養護施設に関与しなさい」って御告げがあった。だから幾つか児童養護施設を調べた。今も調べてる進行形。


沖縄に来てはじめた事業の利益は
児童養護施設に寄付することにした。

着なくなった子供服なんかを寄付するのもいいね。なんらかの形で関わっていこう。




お金なんてさ、丸裸になって
あちらの世界に行くときは持っていけないからね。それよりも、なんでもない刺激もない日常を自分らしく生きたい。





なんてね。




❥-❥-❥-❥--❥-❥-❥-❥-❥ ❥-❥-❥-❥--❥-❥-❥-❥
────────────────
★河合めぐみのメディア
────────────────
★著書
●「シンデレラ・メソッド~プリンセスに学ぶ幸せの絶対法則~」(かんき出版)


●河合めぐみLINE@


●河合めぐみ有料記事【note】月額500円
●河合めぐみ公式ブログ

●公式YouTube












5年前も今と同じようなこと言ってるわ。
それなのに、それなのに
最近のわたしったら
自分のことを蔑ろにしていた。


土地の影響なのか
沖縄の洗礼なのか禊なのか
移住して半年が経過したんだけど
まだまだ、わたしのなかのいろんな感情が
顔を出します。




「大丈夫、大丈夫。まだいける」

そう言って身体を駆使して
心を疲弊させ
頭ばかり使い
自分の中に全く寄り添っていなかった。


実際には全くではないのだけれど
7割ぐらいしか労れていなくて
その他3割の内面を無視していた洗礼が
次々と襲ってくる。




いかん。
いかん。



3割のほうが大切なのに。


まだまだ我慢しながら渋々続けていることが
わたしのなかには在って
10月に入ってそれが視えてきた。



しまった…
これ、半年前から気づいていたことじゃん。
ほらみたことか…
わかっていたくせに無理していい顔してきたから
ここに来てドスンと効いているじゃないか。




そんな心境です。
はい。完全にわかっていたのに
やっちまった…という感じです。




みなさんにもありませんか?
初めから違和感に気づいていたのに
頭で考えて違和感をなかったことにして
無視すること。


「この人たちとはタイプが違うけど…
まあ…我慢するか」
とか

「好きではないけど流行ってるし」
とか

「ここに来ると疲れるんだよなー…
最近よく眠れていないからかな」
とか

「一緒にいると疲れるな…
でもずっと仲良しだしな…」
とか




違和感ってそこらじゅうにあって
メッセージとして教えてくれる。
身体や心に。



それらを無視する原因1位が
頭で考えているということ。
心じゃなくて頭で考えると
疲れた身体に鞭打って
カサカサの顔をしながら
作り笑いで乗り越えようとする。



そして少し経って
「あ、この違和感感じてたわ…」




気づいたときには疲労困憊。
へとへと。



そうなってから改善するのもいいけれど
もっと労りたいよね、自分自身を。
せっかくメッセージが届いているんだから。


これは繰り返し繰り返し
自分に優しくすることを意識するしかない。
忘れちゃうから。

つい、社会の仕組みや
世間の目や
周りとの比較で
頭で考えてしまうから。
クセです。クセ。




では、身体のメンテナンスに行ってきますデレデレ






 (浜比嘉島上空から)

 

沖縄というとパワースポット的な

なんだか特別な島のように感じるかたも多いかと思いますが

その理由は沖縄独特な話しや(ユタとか)

沖縄自体の場所の影響もあるでしょう。

 

 

 

沖縄ではアマミチューという神様が大切にされています。

 

琉球開びゃくの祖神・アマミキヨ(アマミチュー)とシネリキヨ(シルミチュー)のお墓が浜比嘉島には

あります。

 

旧暦の1月1日に行われる年頭拝み(ニントゥウグワン)という祭事で

女司祭にあたる比嘉集落のノロ(祝女)が

五穀豊穣、無病息災、子孫繁栄の祈願を行う。勝連町の指定文化財。

 

 

 

わたしは数多くの沖縄の神聖な場所のに足を運びましたが

まず、一番最初の訪れたのが浜比嘉島。

移住前から挨拶に行っていますが

移住したあともアマミチューには挨拶をしています。

 

 

理由は、いまだそこに

存在しているから。

(エネルギーとしてね)

 

 

 

台風前にもアマミチューのお墓に行き

島や日本全体の安全祈願をしてきました。

 

挨拶に行くたびに色々なことが起こる島ですが

行き交う人たちもみんな気持ちよく

橋を渡って浜比嘉島に一歩踏み入れると

鳥肌がぞわぞわーみたいな(いい意味でね笑)

お!今日も鎮座しておられますな。

 

という気持ちになって背筋が伸びます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アマミチューのお墓の入り口には

運が良ければ出会うことができるおばあがいます。

島でとれたもずくや手作りのぜんざいなどを販売しているのですが

すごく美味しいのでわたしが

本土の沖縄に来れない人に送りたいんだけど

たくさん買ってもいいですか?」

と聞くと

「いいよ、いいよ、たくさん買っていきなニコニコ

と快く販売してくれました。

 

 

エネルギーが高く、食べると元気になるので

わたしの家族にはよく食卓に出すのですが

もずくが苦手だった娘も浜比嘉島のもずくは

いっぱい食べます。

 

 

めぐみの八百屋にご注文いただいたかたには

皆さんにこのもずくを入れたのですが

みなさんから喜びの感想を頂いて

あーやっぱり送ってよかったなードキドキと嬉しくなりました。

 

 

 

そこで、今日は新月なので

このもずくを単品で販売します。

送料込み(空輸便)

消費税込みで

3,500円です。

限定5名様。

完売しました。


※常温保存可能なもずくなので

発送もチルドではなく常温の空輸便でお贈りします。

 

 
 
一袋に約500グラムほど入っています。
常温保存で一年間の保存可能。
塩抜きをして冷蔵庫で1週間保存可能です。
常温保存が気になるかたはもちろん袋のまま
冷蔵庫で保存してください。

 
 
浜比嘉島特有の太もずくなので
歯ごたえがありアレンジもしやすいです。
もずく天やスープでも美味しくいただけますニコニコ
 
 
塩抜きの方法は

①塩もずくを水切りカゴに入れ、流水で表面の塩分を洗い流すようもみ洗いします。(約1分間)

②次に、水2Lの入ったボールに①のもずくを5分~10分間つけておく。

③②のもずくを水切りし、再度流水で1分程洗って塩抜き完了。

※塩抜きのポイントは、洗いながらもずくを口に含み、塩加減を確認することです。

 

 

 
 
発送日から3日ほどで到着します。
ぜひ、絶品おばあのもずく
食べてみてくださいドキドキ
 
 
⬇️
もずくについて話してみたので
動画もどうぞラブラブ