2020年 (158-2) 鉄炮鍛治屋敷(続き)/清学院寺子屋/出島漁港ランチ/堺港24May1 | 容子のふんわり行きましょ

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もとトークばらの山下容子です。2000年から2015年まで『ふんわり行きましょ』というホームページを持っていました。

*** 鉄炮鍛治屋敷/お庭/座敷 ***

 

 

江戸時代、井上関右衛門さんの鉄砲製造販売は右肩上がり20年158-1)。だからでしょうね、仕事場と同じ棟の私宅のしつらえも調度も渋カッコいいのよ💛

 

江戸明治武者人形たちも素敵です。当時の人気は三韓征伐神功皇后&武内宿禰さん後醍醐天皇&後の南朝忠臣児島高徳さんだったようね。昨今だと金太郎くん鍾馗さんってトコかしら。

 

/三韓征伐=さんかんせいばつ。神功皇后=じんぐう・こうごう(実在すれば300年代に生きた女性)。武内宿禰=たけのうちの・すくね/たけうちの・すくね(実在すれば300k~400年代に生きた長命の男性)。南朝=なんちょう(1337-92)。後醍醐天皇=ごだいご・てんのう(1288-1339/96代天皇)。児島高徳=こじま・たかのり(1312-82)。金太郎=坂田金時/公時(さかたの・きんとき/956-1011)。鍾馗=しょうき(伝説の神様@中国)

 

*** 寺子屋の机が小さ過ぎ ***

 

 

清学院不動明王をお祀りする修験道の寺院です。鉄炮鍛治屋敷と裏庭でつながってるので覗いてきました。町家の並びにあり、不動堂庫裏がひとつの棟にコンパクトに収まってるので、言われなければ寺院とはわからないかも。

 

ここ、江戸後期(~明治初期)には寺子屋『清光堂』でもあったのよ堺市立町家歴史館/O)。当時の生徒たち(=寺子)の机が並んでるけど、《えめちゃ小さいやん(@@)》。身体の大きさが今の子たちとはずいぶん違うのね。じつは次の河口慧海さん、彼も小さい頃ここに通ってました。

 

/清学院=せいがくいん。修験道=しゅげんどう。庫裏=くり。清光堂=せいこうどう

 

*** ラサに向かう河口慧海さん ***

 

 

七道駅前(鉄炮鍛治屋敷の最寄駅@南海本線)で河口慧海さんにお会いしました。彼はチベットに初めて入った日本人。1897年に神戸港を出発し、インド・ネパールを経由して1900年に鎖国中のチベットに入国、翌01年に首都ラサに到着します(なんと4年がかり

 

日本人であることを隠して仏教を学び、02年にチベットを出て紆余曲折の末長くなるからパスするけど、これがまた面白スゴいの)03年に膨大な仏典の他、仏像/民俗資料/植物標本etcを携えて神戸に帰り着きました(今回お勉強してめちゃ感動だったので、リンク先に任せず少し詳しくご紹介)

 

/河口慧海=かわぐち・えかい(1866-1945)

 

*** ちょっと期待はずれのランチ ***

 

 

七道から南海電車和歌山方面2駅の湊駅、ここから出島漁港とれとれ市までは歩いて10分です。《大阪湾から上がったお魚を食べたいな💛》と思って行ったのだけど(いつもと同じ)予習しない私が悪かったのよ~(^^)

 

土日の朝7時に(出島漁港に水揚したての)お魚を一般販売するのは確かです。でも、10時からのとれとれ市は七輪バーベキューするトコなのね。売ってるお魚は他の港で獲れたものばかり。なんだかがっかりでバーベキューする気にもなれず、テキトーランチはおしまい(^^)。ま、こんなこともあるよね。

 

*** 堺港/ルソン助左衛門 ***

 

 

この後大浜公園を通り抜け、左手に堺港を見ながら南海堺駅までお散歩半時間。5月の潮風が心地いいです💛

 

フィリピン(ルソン)さらにはカンボジアに渡って交易した戦国堺商人の呂宋助左衛門さん。彼を描いた大河ドラマはもう50年前のことなのね(1977-78)。今さらながらに驚きです。

 

/呂宋助左衛門=るそん・すけざえもん(1565-)。龍女神像りゅうじょしんぞう(乙姫像)

 

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