2020年 (116-3) たしらかさん/長岳寺/西大寺で晩ごはん23Oct18 | 容子のふんわり行きましょ

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もとトークばらの山下容子です。2000年から2015年まで『ふんわり行きましょ』というホームページを持っていました。

*** 手白香皇女(たしらかさん) ***


/奈良の小旅(INDEX)/

 

夜都岐神社からはアップダウンが少ないのでラクラク 山辺の道は萱生環濠集落(かよう・かんごうしゅうらく)を抜けていきます。室町戦国時代、大和の村々は濠を造って自衛してたのね。秋の濠が素敵な風情です。

 

今日ぜひ行きたかったスポットが手白香皇女陵(西殿塚古墳/継体天皇皇后衾田陵)。自転車を置き、柿畑の間の細いあぜ道を歩いてたどりつきました(明治の宮内省が修築した時は苦労したかも)。このあたりからは大和三山がよく見え(やまとさんざん)セイタカアワダチソウが御陵に鮮やかな彩を添えています(*1)

 

(*1)手白香皇女=たしらかのひめみこ(489以前-?)。西殿塚古墳=にしとのつか(/とのづか)こふん。衾田陵=ふすまだりょう/ふすまだのみささぎ。

 

手白香皇女の父君仁賢天皇が亡くなり(498年)あとを継いだ息子武烈天皇も8年後に若くして亡くなりました(506年)。そして越前の国から遠縁の継体天皇が磐余玉穂宮にやってきて(526年@桜井市)彼女たしらかさんを娶り、皇后にします。

 

継体天皇にはお妃がたくさんいたから、たしらかさんはいろいろ苦労も多かったでしょうね。でも、彼女は後に欽明天皇となる息子を産み、その後今上天皇まで血筋がずっと続くのね。めでたしめでたしだったのかも(*2)

 

(*2)仁賢天皇=にんけんてんのう(449-98)。武烈天皇=ぶれつてんのう(489-506)。継体天皇=けいたいてんのう(450?-531)。磐余玉穂宮=いわれのたまほのみや(@桜井市)。欽明天皇=きんめいてんのう(509-71)。今上天皇=きんじょうてんのう(=現在の天皇/1960-)

 

じつはこの手白香皇女陵、200年代後半にできたと考えられていて、彼女が暮らしていた年代と合いません。でもいいの。私はたしらかさんのシンパなので、ごあいさつして思いを馳せただけで嬉しかった💛 彼女の本当のお墓は萱生環濠集落の近くにあるらしいので、そのうちじっくり捜しにいってみたいわね。

 

たしらかさんのこと、できるだけ短く紹介するつもりだったけどやっぱり長くなっちゃった(^^)。彼女と出会ったのは継体天皇のお話を読んだ時です。1行だけ出てきたマイナーヒロインになぜか心魅かれ、彼女の生涯に思いを巡らせてるうちにファンになりました。小説にしたいトコだけど私は小説が書けないひとみたいです(^^)。どなたか書いてくださらないかしら。

 

*** 長岳寺 ***

 

 

本日の山辺の道ラストは長岳寺(ちょうがくじ)。たしらかさんトコから5分です。ここは父のリハビリで花の寺の御朱印をもらいにきたことがありました関西花の寺二十五カ所)。今回は(その後に始めた)奈良十三仏なのよ(普賢菩薩)

 

このお寺は真言宗。空海さん(弘法大師)が824年に開きました。御本尊は阿弥陀如来です。石段を上っていった一番奥には大師堂があり、うふふ、自転車乗ってくたびれたのかしら、縁先に座ったら間もなく夢の世界に行ってしまいました(^^)

 

40分ほどです。この世に戻ってきたあとはおかげでスッキリ 天理駅までの帰りは早かったのよ(25分/5km)。山辺の道の東の山並みは優しい雰囲気。一番高い(長岳寺東の)龍王山は標高586mです(りゅうおうざん)。西の生駒山と似たようなものね(642m/いこまやま/いこまさん)

 

*** 西大寺晩ごはん ***

 

/晩ごはんとお酒(INDEX)/

 

日が暮れてきて《天理で晩ごはん食べようかな》だったけど容子を呼んでるお店がなく、声を掛けてくれたのは近鉄大和西大寺駅北口すぐの隠れ家志希(しき)でした。

 

私、鼻の利きが近頃冴えてるようね。このお店、お刺身はもちろん、皮パリパリポン酢と焼き野菜がホント美味しい💛(いいね×3)。 お飲み物はバドワイザーのあと春鹿吟醸酒です(ならまち今西清兵衛商店)。ごちそうさまでした💛💛

 

*** リンク ***

 

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