2020年 (67-2) 叡福寺/聖徳太子御廟22Jan13 | 容子のふんわり行きましょ

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もとトークばらの山下容子です。2000年から2015年まで『ふんわり行きましょ』というホームページを持っていました。

*** 蘇我馬子のお墓 ***

 

太子町のキャッチコピーは〖聖徳太子の町〗。ウォーキングコースの案内板も『飛び出し注意くん』も無給で彼をこき使ってるのよ(笑)。じつは兵庫県姫路市のお隣りにも〖太子町〗があり、こちらは彼が創建した斑鳩寺にちなみます(いかるがでら/新西国札所)

 

大阪府は昭和初期にブドウとミカンの生産がそれぞれ全国1位、2位だったことがあり、今でもブドウが全国8位(デラウェアは3位)、ミカンは12位です(2021年)。意外でしょ 柏原市、羽曳野市、太子町の山の南側斜面にはブドウのハウスがたくさん見られます。

 

古いお家が建ち並ぶ一画に〖蘇我馬子〗(そがのうまこ/?-626)のお墓と伝わる石塔がありました。彼は聖徳太子の大叔父で、娘の〖刀自古郎女〗(とじこのいらつめ/?-?)は太子のお妃です。この石塔は馬子のお墓としては小さすぎるし、明日香村の石舞台古墳が彼の真のお墓と考えられているので、お墓というよりは供養塔のひとつなのかも。

 

道草になるけど〖日出処の天子〗では私は天然系刀自古のほうが布都姫(ふつひめ)より好感でした。〖トジコはおバカで勘が鈍いしフツはつまらない〗と、どちらにもダメを出してる人もいるから好き好きですけどね。

 

 

*** 西方院 ***

 

西方院(さいほういん)は父のお寺参りで〖新西国〗〖河内西国〗とも御朱印をいただいたので厚く感謝です。ここは622年に『三尼公』が創設した古いお寺(さんにこう=聖徳太子の乳母を務めた善信尼・禅蔵尼・恵善尼)。去年1400年の法要がありました。本堂もお庭もいつもきれいにされていて、私の好きなお寺のひとつなのよ。

 

 

*** 叡福寺 ***

 

西方院の山門から北へ降りる石段は叡福寺(えいふくじ)がよく見えます。叡福寺は(聖徳太子死後102年の)724年に聖武天皇により創建されたと伝わり、聖徳太子を敬う諸天皇、平清盛・空海・親鸞・日蓮などが参拝しています。Y君が父を何度も連れてきてるけど、容子は今回初めて来ました。

 

南大門

左:金堂、右:聖徳太子御廟

〖おびんずるさん〗(@金堂)

 

*** 聖徳太子御廟 ***

 

可愛い保育園児たちがお参りしてたり、そっぽ向いて友だちとおしゃべりしてるのは聖徳太子の御廟の前。太子の御陵はその奥にあるのね。私、これまで長い間四天王(東南西北=持国天・増長天・広目天・多聞天)が見分けられなかったんだけど、近頃なんとかわかってきたかなです。御廟の二天門は持国天と多聞天(毘沙門天)が護ってました。

 

〖左:持国天〗〖右:多聞天〗(@ニ天門)

 

*** 駅前にも聖徳太子が ***

 

叡福寺を出て近鉄上ノ太子駅まで歩きました(かみのたいし/20分)(*1)。駅前のロータリーでも太子は働いてるのよね(^^)。《労働基準法は太子町にはないのかしら》と思っちゃう。上ノ太子から阿部野橋までは羽曳野市の古市駅乗換で35分。案外早く着いちゃうでしょ(^o^)

 

雨が降り出すとの予報だったので午後は心斎橋・難波でブーツ捜しの靴屋さん巡りです。レポートは明日ね

 

(*1)上ノ太子駅の住所は太子町ではなく羽曳野市飛鳥です。

 

〖駅前の太子さん〗

〖上ノ太子駅〗

 

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