エッセイふんわり (9) 99Apr:初体験/Kさん/結婚 | 容子のふんわり行きましょ

容子のふんわり行きましょ

もとトークばらの山下容子です。2000年から2015年まで『ふんわり行きましょ』というホームページを持っていました。

ふんわり行きましょ第9回(ひまわり37号、1999年4月)

第7回(本誌36号70~72ページ)(*1)の続きです。長い間さまざまな女装の、そして男性の方たちを見ていると、あまりにもひとりひとり違っていて、女装とはこういうもんだとか、女装はこうでなければいけないとかいう議論はもうどうでもいいような気がしています。

男性との体験も同じです。何度かトライしてみたけれどあんなのは痛いだけなのでもう2度としたくないと言う人、女装しても心は男なので絶対に男性とはする気になれないと言う人、ハマっちゃうと怖いので絶対にしませんと言う人、映画館で見知らぬ相手と次から次にしてくる人・・・。それぞれの人は自分の生き方が一番合っているのでしょう。たぶんほかの人のまねをするとストレスがたまるだけだと思います。

男性との体験の話はあまりしたいと思いません。でも、私の女装生活のうちで「女にしてもらったこと」はやっぱりすごく大きな、また大切な部分です。だから、たぶん今回1回だけになるでしょうけど、その話をしておきたいと思います。

私を女にしてくださったのはこれまでにも何度も出てきたKさんで、本格的な女装を始めて半年くらいたったある日のことです。それまでにも何人かの男性からのお誘いはあったんですけど、私自身にもいろいろ迷いがあってお断りしていました。

Kさんはどこか雰囲気が違っていました。とは言っても、やさしいとか、ソフトだとか、そんなんではなくて、うまく言葉ではあらわせないけど、結局は波長が合っていたんでしょうね。糸がつながっちゃったという感じです。唄子で何度かお会いしてお話をしていて、あっ、この人だったら、と感じた時がその日です。

阿倍野のホテルでゆったり、ふんわりとしたすごくいい時間を過ごしました。思ったほども痛くはなかったし、むしろはじめから気持ちよくて、女の子って本当にいい思いをしている、というのがその時の一番の気持ちです。もちろん、女性の気持ちがそれでわかったなんていうつもりはありません。女性もひとりひとり全然違うでしょうし、それになにより、「場所」が違うもの・・・(*2)

Kさんも私も実は初めての同性愛(私は異性愛も含めて初めてのセックス)だったのです。最近になってお互い告白してわかったんですよ。不思議な縁だと思います。その縁は今も続いています。でも、会うたびに愛してもらうということはありません。お話だけする日のほうが多いけれど、そばにいるというだけで、ふんわりと包み込まれる感じの、すごくいい気分になれるんですよね。

Kさんには、いろんな人とつき合ってみなさいと言われました。その時は少し不満に思ったんですけど、でも、Kさんのその育て方(あえてこう言います)のおかげでわかったこともたくさんあります。一番大きなことは、男性ひとりひとりがこんなにも違うということ。

ただし、よく言う大きさがどうのとか、テクニックがどうのとか、平均何とかかんとかなんて、私にとって(そしてたぶん多くの女性たちにとっても)何の意味もありません。結局、私の心がその人に開いている時は気持ちがよくって、本当に感じる、ということだったのです。今は、会ったばかりの人、行きずりの人、というのは絶対イヤです。楽しくお話ができて、心がほぐれてからでないと、とてもそんな気にはなれません。

 



ずっと前@飛鳥


あとひとつだけ・・・。私は初体験から5年後に結婚しました。ちょっと話は戻りますけど、これでも大学に入った時にはいっぱしに雄琴に行ってみました。雄琴は「おごと」と読みます。当時はまだトルコ風呂と言っていたソープランドが集まっている関西ではたいへん有名な街です。でも、2回行ってみたけれど結局ダメで、やっぱり女性とはできない運命なのかなと思っていたのです。

うちの奥さんとは、たぶんこれも糸がつながっちゃったんでしょうね。さっぱりした気のおけない女友達で、高校時代から長く知ってはいても男女の関係になることはありませんでした。ところが、結婚する半年くらい前にふっとお互いその気になって、できなくて恥をかいてもいいや、くらいのつもりで、「Kさんに教えてもらったとおりに」したらできちゃった、というのが結婚に至った真相です。あっ、前にも書いたとおり、奥さんは私が女装することは知りません。まあ、知ったとしても別段驚かないでしょうけれど・・・

子供も3人できたし、奥さんとの仲もいいほうだと思うけれど、本当に今でも不思議でしかたがありません。私は本当のところ女性に対する性的な興味がほとんどないし、奥さん以外と関係を持ったこともありません(*3)。だいいち、私自身はある時期性転換を真剣に考えていて、ちょっとしたきっかけがあったら手術に踏み切っていたかもしれないのです。

でも、今はもうこのままでいいと思っています。たぶん、Kさんに愛されているうちに私の心の中の複雑なモヤモヤが解きほぐされ、溶け去ってしまったのでしょう(*4)。Kさん本当にありがとうございました。

この頃よく知られるようになった性同一性障害も、人によって程度もすごく違うし、また一人の人の中でも、私のようにきっかけがあれば変わっていくこともあるのでしょう。あまり決めつけたり思いこんだりしないで、もうちょっと柔らかく考えるほうがいいのかな、と私は近頃感じています。

今回は4月にちなんで(原稿を書いているきょうはまだ3月ですけど)、結婚する1年前の4月の終わり頃に、飛鳥で貸し自転車を借りてサイクリングした時の写真にしました(*5)。石舞台の写真を撮っている中学生(私を写しているわけではありません)も今は30歳くらいになっているんでしょうね。

(1999年3月17日)

 

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(*1)ふんわり第7回(2021年8月27日アップ)

(*2)『指で耳掃除する時、気持ちよく感じているのは耳と小指のどちら?』(=絶対耳です!)というたとえ話をどこかで読んだことがあるので、『場所』が少し違っても気持ちのよさはそれほど変わらないのかも。『両方の』経験がある女性の詳しいお話を聞いたり読んだりしたことがないので、私にはそれ以上のことは言えませんが。あと、抱きしめてもらうことがすごく気持ちがいいのもこの時知りました。

(*3)奥さんに義理立てしたのではなく、女性と『関係』を持ちたいと思わなかっただけです。こんな私と結婚して(結婚は29歳の時=5年間の『1980年へ』の後です)何十年も仲よくしてくれている(孫もできました)奥さんに心から感謝したいです。

(*4)『関係』は30年を超えて長く続きました。彼は32歳年上=今年98歳でご健勝(奥さんは去年亡くなりました)。『関係がなくなった』今でも1年に何度かお会いしていろいろお話します。昆布茶をすすることはなくてタリーズコーヒー♪だけど、なんだか茶飲み友だちみたいな感じなのよね(^o^)。私、『1日の8割9割はおふとんの中』が何か月も(時には何年も)続くうつ病も、その絶望の淵からのリバイバルもくり返し経験しているので、時々《う~ん、私、人生を何回もやってるのかもしれないわね(^^)》の気分にもなるのです。

(*5)撮ってくださったのはKさんです(記事にしました⇒1980年へ2)。中学生たちは何年も前に50歳を超えたのでしょうね。

 

***** エッセイふんわり7 *****

 

 

***** 1980年へ2 *****

 

 

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今年5月に「容子さんの心はどちらなのですか?」というご質問をいただいたので↓のようにお答えしました。《今回の『注』にぴったりかな》と思ったので、少し加筆修正してここにアップします。

 

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いえいえ、失礼なんてことはないからご心配なく(^o^)。『ひまわり』に連載していたこのエッセイは『カミングアウト&告白』だから。

あのぉ、お答えは ・・・ 『自分でもよくわからない』いうのがホントのところです。時がたつにつれて変わっていったし、同じ頃でもその中でゆれ動いてました。うつ病のときに気づいたことだけど、気分は1日の中でも天と地くらいにどんどん変わっていくのね。それと少し似ています。

第5回、7回、9回にだんだんと書いていくけど、子どもの頃から長い間『ほとんど』女でした。初体験は女のひとでなく、男のひと、Kさんです。乳母車を押してる若いお母さんを見て「いいわね」とつぶやいたら、彼に「ほんまもんやなぁ、はじめてや、こんな子」と言われたことがあります。

でもね、女と男の学問も今どんどん進んでいて、『女か男かどちらかに分ける』のは近ごろは全然議論にもならないみたいよ。100%女性も100%男性もどちらもこの地球上にはいなくて、みんなその間のどこかにいてゆれ動いてるらしいのね。身体の作り、染色体、性ホルモン、 ・・・ 、そして心。中間の人たちが(あまり知られていないけど)ものすごく多くて、もうワケワカメの世界です。

じつはほかの動物たちも100%♀~100%♂の間で虹のように切れ目なし。動物の同性愛も数かぎりなく報告されています。人間だって、『女→女』、『女→女&男どちらも』、『男→男』、『男→女&男どちらも』が合わせて何十%もいることがわかってきています。

どう? かえって混乱した? 私、自分のことを知りたくてずいぶん勉強したのよ。

Kさんから教えてもらったことはすごく多かったです。それになにより、何十年も長く愛してもらったからか、心までほぐれちゃったみたいね。《私って、女?男?女?男? ・・・ 》で頭がぐちゃぐちゃになってたのが、《そぉか、考えすぎるのがよくないのよね》

言うまでもなく、トランスジェンダーさんや女装さんもさまざまです。性別適合手術しないと生きていけない人もいるし(私も何度も何度も手術を考えました)、手術したとたんに今度は手術していない人を見下げる人、手術したあと元の性に戻りたくなって悩む人、女性の警戒心を小さくして接近するためだけに女装する人、本当は女装したいのに「俺は男だから女装したいと思ったことは一度もない」と言い張る人(ある時ポロっと本音を聞きました)、 ・・・ 、 ・・・ 、 ・・・ 。女装さんにだけ恋する女性も男性もいます。だから、全部を書き出すのは絶対無理というもの。人の数だけバラエティーがあるのでしょうね。『性格』と同じことかなと思います。

トークばらのお店だけでも本当にいろいろな人たちを見てきました。でも、彼女/彼らの心の中すべてが私に見えるはずはありません。一番多いのはただ『女性の服を着てみたい』なのでしょうけど、一度着てみたらそのあとどんどん変わっていったりもします。誰もひとつところでとどまることはありません(このことだけははっきり言えると思います)。私は女性のトランスジェンダーさん、男装さんと詳しいお話をしたことがなくて、これ以上のことは書けないので、一旦ここでおしまいにします。

 

私、セクシャルマイノリティーのことで理屈っぽいことを書くのはあまり好きくないので、貴女のご質問がなかったなら、これを書くことはなかったでしょうね。自分のアタマの整理にもなったから、質問してくださったことに感謝です。わからないことがあったら、またいつでもご質問くださいな。私も《10%もわかってないよ(^^)》だけど、自分でわかるかぎりお答えしたいと思います。ありがとうございました(^o^)

 

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今回多くのコメントをいただき、本文で書き落としたことを2つ、お返事で書くことができました。文章をととのえてここに転載します。コメントをくださったみなさま、ありがとうございました。

 

***** (1) *****

 

『奥さんをだまし続けているのではないか?』というご指摘もあるでしょうね。それは何十年も私の心のトゲになっています。でも、『自分の心の荷物を降ろすためだけに』カミングアウトして(そんな方はよくおられます)今すぐ奥さんの心に波風立てたり、荷物を背負わすこともないと思っています(バレても彼女は波風がそんなに立たないひとだとも思ってます)。《秘密をこのままお墓まで持って行っちゃうのもいいかな》。誰がどこで言ったか忘れたけど、『誠心誠意うそをつく』という名言?があって、私は《ふ~ん、上手いこと言うわね》とナットクするひとでもあります。

***** (2) *****

 

今はおひとりさまがふつうになってきていますが、40年前はまだまだそうではありませんでした。私が結婚したのは30手前の29歳。同級生だった奥さんももちろん同い年で、2人とも適齢期を過ぎようとしていたからけっこう圧力がかかっていました。すなおに言うと、売れ残りどうし。『女性はクリスマスケーキ(=25になったら売れない)』と言われていた時代です。その前の世代ほどの悲壮感はもうなかったけれど、機が熟していたのは間違いありません。

奥さんとの再会がその2~3年前だったら悪い言葉の『おためし』はありえなかったし、私が『できちゃった』のもほとんど奇跡だった気がするし、彼女が嗅覚の鋭いひとでなかったのも別の意味で幸いでした(=『嗅覚敏感・好奇心旺盛・正義感強し』のひとであればいつかどこかで難しい事件がおこっているはず)。今でも本当に不思議で不思議でたまりません。

赤ちゃんを抱くのが本当に好きだった私は(自分では産めなかったけれど)抱っこが実現できたから、繰り返した重症うつ病なんか『ほんのお釣り』に思えるのです。おかげで今回の私のお話は完結したみたいなので(=どうしてあの時私が結婚する気になったか根っこが言えたから)コメントしてくださったことに心から感謝したいです。

 

***** エッセイふんわり&1980年へ(インデックス) *****

 

 

 

***** 大阪市内の小旅&奈良の小旅(インデックス) *****

 

 

 

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