ルポ (25) 高津宮と空堀-1-ドイツ料理/高津の富亭13Feb | 容子のふんわり行きましょ

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もとトークばらの山下容子です。2000年から2015年まで『ふんわり行きましょ』というホームページを持っていました。

 

土曜日にぽっかりおヒマになった容子は《どこに行こうかな? 久しぶりにドイツ料理を食べたいわね。あ、谷町九丁目にお昼からやってるお店がある!》。大阪市内の気まぐれ小旅はいつもこんな調子で始まります。

 

 

レストラン『ハンブルク』のおススメはヴァイツェンビール。《あら、銀河高原ビールと味が似てる》。それもそのはず、どちらも小麦のビールでした。

 

 

 

ドイツ料理のお約束はソーセージ&ザワークラウトです(1枚目)。デザートはクリスマスの定番お菓子、シュトーレン(2枚目)。どれも大好きで大満足(^o^)

 

 

 

高円宮がここに来られたようね↑。このお店、今は御堂筋線の大国町(だいこくちょう)に移っています。

 

 

 

 

《さぁて、ご近所にいいスポットはないかしら?》で、訪ねたのが高津宮(こうづぐう)=高津神社。これも市内小旅のいつものノリ(^o^)。ここの参道は長いのよ。

 

このお社のご祭神は仁徳天皇。都を難波高津宮(なにわたかつのみや)に置いて大阪の繁栄のもとを築いた方。でも、都があったのはここではなくて、法円坂? 高津高校? まだまだはっきりしないようね。

 

 

 

 

 

高津宮は市内の高台、上町台地にあって、その中でも絵馬堂↑が江戸時代には大坂一の展望の名所だったみたい。ここで遠眼鏡を貸す商売が繁盛していたのだとか。大阪の時代小説にはそのお話がよく出てきます。

 

この日は2月はじめ(2013年です)にしては珍しくとっても暖かくて(最高気温17℃)、コートなしで小旅しました。スタイルチェックのためにジャケットを脱いでるけど↑、全然寒くなかったわね。

 

 

境内にある『高津の富亭(こうづのとみてい)』は上方落語の寄席のひとつ。5代目桂文枝(6代目文枝=桂三枝、のお師匠)の根城でした。彼の碑が立ってるのよ(3枚目)。

 

『高津の富』というネタは明治時代に東京に下って『宿屋の富』になったそうな。安宿に泊った貧乏人が富くじを当てて大騒ぎになるお話。東京だと舞台は高津宮でなくて湯島天神です。

 

 

 

 

1枚目と2枚目は高津宮の家主さん、比売古曽(ひめこそ)神社。豊臣秀吉が大坂城を造った時に高津宮をこの地に移したのだとか。神輿庫(3枚目)の右端にも少しだけ写っています。

 

 

境内のあちこちに案内板が立ってます。『ふんふん、なるほど』が多いわよ。この案内板は西坂(縁切り坂)の由緒書。坂が三曲り半になっることから『三下り半』に掛けて、悪縁を切りたい時にお祈りしながら歩く、というのね。

 

うふふ、今日もいっぱい復習してしまいました。おぼろげに知ってたことがきちんとわかってくるのが嬉しい(^o^)

 

空堀(からほり)のお話はまた明日ね。