ものぐさでブログを消さずにいたことを思い出したので、だったら書き残す責任があるのかなと勝手ながら思い直したので、書く。
色々読んでみてご意見あると思う。Twitterで「体調が悪いときに生きるということを考えるのはとても堪える」と書いたけど、僕がこれから書くことは生きるということで、その反対でも似ているものでもない。このことだけご了承いただきたい。
ではアトランダムに
かつて戦士紹介を書いた六年以上前、僕は二十歳だった。あのときの自分よりも若いんだ。あの頃免許取り立てで、危なっかしい運転をして友達をひやひやさせていた。そんな未熟さとは無縁だっただろうけど、君が描いていた以上に多分、運転もいいもんだぞ。覚えておいてほしい。
社会人になって笑わなくちゃいけないことが増えた。でも本当に笑いたいとき以外笑いたくなかった。そんなときに社交性や突き抜けた笑顔を思い出して、頭に入れながらちょっと嫉妬していた戦士が何人かいる。君はその内の一人だ。
そして自分でも笑顔が変わったと感じたとき、いくつか分かったことがある。みんなが僕の未来を見てくれるようになったこと。そして突き抜ける笑顔は、抱えるものの反動であったりすること。社会的には「子ども」と呼んで差し支えなかった君は何を見ていたんだろう。
君が見せてくれたのはいつだって未来だったし、僕らはその未来を確かめに行く義務がある。かつて記事を書いたときから唯一分かったことはそんなことなんだ。
今後君が誰かのなかにいる限り、いなくなった日の悲しみよりも、生まれてきてくれた喜びを表してくれる人のほうがずっと多いだろう。想像もつかない葛藤のなかでご両親は、愛情をはっきり形にすることを選んだんだ。
最後に、自分と同じ結末を描く人なんて、今後一人も出てほしくないと君は願うだろう。だからそれは君のことを知る人だけじゃなくて、みんなの宿題にさせてほしい。僕も微力を尽くしていくから
みんな一度でも、もう一度でも、好きって言っておけばよかったなあって思ってる。馬鹿だなあ。俺もだけど。
色々読んでみてご意見あると思う。Twitterで「体調が悪いときに生きるということを考えるのはとても堪える」と書いたけど、僕がこれから書くことは生きるということで、その反対でも似ているものでもない。このことだけご了承いただきたい。
ではアトランダムに
かつて戦士紹介を書いた六年以上前、僕は二十歳だった。あのときの自分よりも若いんだ。あの頃免許取り立てで、危なっかしい運転をして友達をひやひやさせていた。そんな未熟さとは無縁だっただろうけど、君が描いていた以上に多分、運転もいいもんだぞ。覚えておいてほしい。
社会人になって笑わなくちゃいけないことが増えた。でも本当に笑いたいとき以外笑いたくなかった。そんなときに社交性や突き抜けた笑顔を思い出して、頭に入れながらちょっと嫉妬していた戦士が何人かいる。君はその内の一人だ。
そして自分でも笑顔が変わったと感じたとき、いくつか分かったことがある。みんなが僕の未来を見てくれるようになったこと。そして突き抜ける笑顔は、抱えるものの反動であったりすること。社会的には「子ども」と呼んで差し支えなかった君は何を見ていたんだろう。
君が見せてくれたのはいつだって未来だったし、僕らはその未来を確かめに行く義務がある。かつて記事を書いたときから唯一分かったことはそんなことなんだ。
今後君が誰かのなかにいる限り、いなくなった日の悲しみよりも、生まれてきてくれた喜びを表してくれる人のほうがずっと多いだろう。想像もつかない葛藤のなかでご両親は、愛情をはっきり形にすることを選んだんだ。
最後に、自分と同じ結末を描く人なんて、今後一人も出てほしくないと君は願うだろう。だからそれは君のことを知る人だけじゃなくて、みんなの宿題にさせてほしい。僕も微力を尽くしていくから
みんな一度でも、もう一度でも、好きって言っておけばよかったなあって思ってる。馬鹿だなあ。俺もだけど。