敵を知り
己を知らば
百戦危うからず
/ 孫子
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どうぶつしょうぎ
http://joshi-shogi.com/doubutsushogi/
以前も紹介しましたが、会社の人が買ってきたのでプレイ。
面白いです。
プレイしていると、色んな人が見に来ます。
なんていうか、ヒキがある。
これを機に対戦ゲームの構造についてなんとなく考えてみるテスト。
前にもやった気がするけど。
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将棋を誘われて、プレイしたい!とはあまり思えない。
理由は「複雑な上に強い人が強すぎるから」……だけでは無いけど、ここは言い切っておこう。
人は「勝てるかもしれない」と思うから勝負するのであって、勝てないゲームをプレイして喜ぶ人は多くない。今時の格ゲーの素人がゲーセンで乱入しようとは思えないのと同じ。
これを「プレイヤー格差」と呼んでみる。
プレイヤー格差が拡大すると、対戦ゲームは一般性を失う。
「どうぶつしょうぎ」はそういう能力ランキング的なモノがリセットされているように見える(見えるだけで実態は違うと思うけど)から、多くの人がプレイしてみようかな?と思える気がする。
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プレイヤー格差が発生する要因はいくつかあるが、上達するタイプのゲームである以上解決しがたい問題ではある。では上達しないタイプはどうだろうか?たとえばジャンケンとか。ジャンケンはスキルに(普通は)依存しない。これを「運ゲーム」と呼んでみる。対して将棋は「上達ゲーム」。
「運ゲーム」と「上達ゲーム」は完全に分離する訳ではなく、それぞれを適当に組み合わせる事が出来る。麻雀は組み合わさった例の一つ。図にすると↓な感じ。
「運ゲーム」
↑
ジャンケン
ポーカー
麻雀
将棋
↓
「上達ゲーム」
「運ゲーム」であればプレイヤー格差は発生しないので、誰かと気軽に出来る反面、上達する要素が無いから継続してやろうという気が起きづらい。
「上達ゲーム」は広まっていく過程でプレイヤー格差が広がっていく。プレイヤー格差の強度と範囲が広がると対戦ゲームはプレイしてもらえなくなっていく。
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「どうぶつしょうぎ」は「上達ゲーム」だが、全く新しいゲームなのでプレイヤー層がリセットされた。だから誰とやっても楽しく遊べる、ように見える。
実は将棋も娯楽としてはメジャーな存在から後退している為、将棋が上手いという人はそう多くない。だから、そのあたりの適当な人を捕まえてプレイすれば「どうぶつしょうぎ」と同じように楽しく遊べる筈だ。
だけれど「どうぶつしょうぎ」は将棋としてのアイデンティティを一度捨てて、新しいプレゼンテーションとして見せた事で「やってみたい感」を出す事に成功している。
その上で「将棋は面白いんだからきっと面白いだろう」という将棋の良いところを上手く利用出来た。
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つまり「どうぶつしょうぎ」は、ゲームの面白さそのものではなく、受け手側の認識をリセットする事で商品性を高めていると言える。しかも将棋のバリューが残っているように見せかけて。
そのバランスが良いから、ヒキの強いゲームになってるわけだ。
この構造を格ゲーとかFPSにそのまま持ち込んで実行すれば、新しい商品を生める気がする。
というところまで考えたけど、面倒になってそこで終了。
先を読むのは面倒ですな。企画も将棋も(←上手いこと言ったつもり)。
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ちなみに「どうぶつしょうぎ」にはLPSA版と幻冬舎版があって、幻冬舎版はゾンアマでも購入可能なご様子。
どうぶつしょうぎ (日本女子プロ将棋協会公認)
幻冬舎エデュケーション
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B002FL3WVG?ie=UTF8&tag=bukkoro-22
興味のある皆様はどうぞ~
